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「専業主婦でも!駐妻でも!輝ける!!」

という謳い文句を、ネットで専業主婦や駐妻の努力(勉強・就労・企業etc.)を奨励するサイトやSNSアカウントなどで見ることが、ここ数年増えたなと思う。

なんで輝いてないって決めつけるの?

私は元駐妻で専業主婦なのでこうした語句に釣られるが、

なぜ輝いてないと決めつけてくるのだろう?

という疑問と不快感が真っ先に思い浮かんだ。

駐妻じゃなければ輝いているのか
兼業主婦なら輝いているのか

「輝き」…それは結局発信者当人にしかわからない曖昧な基準。
世界基準での「輝き」では無いので私には彼ら彼女らの言う「輝く駐妻/主婦」がどういったものか皆目見当もつかない。

しかし、これだけはわかる。
駐妻や主婦を「輝いている」側と「輝いてない」側に分け、発信者は「輝いている」側にいるつもりでいるということだ。

そもそも主婦や駐妻が輝いてない前提で話すの失礼じゃない?

他人から見たら「輝いてない」と思われるような駐妻/専業のイメージとはどういうものだろう。

せっかくの海外生活なのに日本人だけで固まっている人?陰口大会してる人?働かずに夫に養ってもらっている人?

自称輝いている人の文章を読んで、大体こういう日本人妻像を想像していると思った。

しかし、それの何がいけないのだろう。
日本人だけで固まるメリットもあるし、複数の人間が集まれば不満だって出る(出しすぎは確かに良くないけども)、働いていないと言っても家事育児は立派な仕事ではないだろうか。
こうした人の一面を切り取って「輝いていない」と認定する行為こそ、私にはくすんでいるように見えた。

そんなに輝きたいならラメ粉でも着けてろ。

自分より輝いてない人を設定してる時点でそいつはもう輝いていない。

『過去輝いていなかった私のサクセスストーリー』が載っていても微塵も興味がわかない。他人にそこまで興味を持つ時間を他のことに使いたい。

駐妻/主婦というだけで一緒くたにまとめられて「あなたも輝けます!」と言われても余計なお世話だ。
あなたにあなたなりの基準があるように、私は私の基準で十分輝いております。「輝いていなかった」のはあなただけかもしれませんよ。

そう思って私は「輝ける駐妻/主婦」への勧誘ページをそっと閉じた。
輝いていない人についていっても、輝けるわけがない。「輝いている」と高揚することはあっても、その輝きはメッキかもしれない。

「駐妻/主婦でも輝ける」

こうした謳い文句に踊らされ、
何かしらのセミナーに高額を支払ったり、
実名と顔を出したり
ノースリーブを着て不自然な笑顔で写った写真をインターネットの海に流したりするよりは、
日々の家事育児をしている方が私はずっと楽しいし、自分なりに「輝いている」と思うのだ。

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