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長春のくらし。ビールも鼻毛も凍る冬

気軽に読める簡単な文章を書こうといつも思うのですが気づいたら簡単に1000文字を超えてしまってこんな文章一体だれが読むんだろう?と思いながら書き続けています。自分のためって決めたんだろう(でもスキしてもらえたら嬉しいです)。

先週中国の思い出を書きたいとそっと公言したら、あっという間に自分の中でプレッシャーに変わりテスト前に部屋片づけちゃうが如く二本も三本も関係のないnoteを書いていました。肝心の中国の話は一体どこから書き始めたら良いものか。沢山書いてみたはいいもののうまくまとまらないのです。下書きnoteは溜まるばかり。まあ、それも楽しいのです。

中国滞在期間と滞在場所について。

わたしが中国に留学をしたのは大学三年生の時、2009年の3月から2010年の1月まででした。一年間と言いつつ実際には10か月と少しの期間です。10年経った今でも悔いているのですが春節(旧正月)を過ごさずに帰国してしまいました。20歳にして初めての海外、初めての一人部屋(あと初めての恋愛もした)、スカイプでほかの地域に留学していた友だちと毎日連絡をとって励ましあっていたけれど、心も身体もずたぼろでもう一刻も早く日本に帰りたくて、飛行機のチケットを伸ばすことも留学期間を延長することもせず飛行機に飛び乗って帰りました。

留学していた場所は中国吉林省長春市というところで、"旧満州国"と言えば「ああ、あそこか」と思う方もいるのではないでしょうか。中国では"偽満州国"といいます。複雑な歴史があります。


暑い場所はこりごりだった。

北京、上海、深圳、広州・・・中国大陸は広し、北から南まで大学の交流先も様々ありましたが、日本の最北の地・北海道で生まれて高校・大阪、大学・東京の真夏の暑さにもうひとりで汗はびっしょり心の底からウンザリしていたわたしは(大阪では夏休みを49日前からカウントダウンしていた)、迷わず最北端の交流先である、吉林大学を選んだのでした。

マママの発音から懇切丁寧に中国語を教えてくれた恩師であるT教授には、わたしの顔を見るたび「あそこは寒すぎる、吉林には鹿シカいない(鹿と"のみ""だけ"の意をもつ"しか"という助詞をかけた教授渾身のダジャレ)」と言われる始末でしたが、「一年の半分を暑さにバテて無駄にするくらいなら寒いほうが耐えられる、北国育ちをなめないでください」、「寒ければたくさん服を着ればよいが、いくら暑くても裸になるわけにはいかない」などと様々な理由をつけてわたしは吉林大学へ進む決心をしました。

しかし滞在から約半年後、長春の本当の冬を目の当たりにしてその決心は後悔へと変わることになるのです。

ビールも鼻毛も凍る冬

長春は"長い春"と書きます。これだけ聞くとぽかぽかとあたたかな季節が長く続く過ごしやすい地域だと思います。たしかに夏は気温が30度を越えることもなく、北海道育ちのわたしにとってもとても過ごしやすい気候でした。しかし現実はそう甘くはありません。問題は冬なのです。

長春の冬の寒さはマイナス30度にも及びます。毎日マイナス27度とか、平気でいっちゃいます。札幌で「今日は今年一番の寒さだな~!」っていう日がだいたいマイナス10度ほどです。いくら道産子といえども、これはない。重ね着してもだめ。寒すぎます。

まず、鼻毛が凍りました。息をする水蒸気がついて凍ってしまうのです。

鼻の中はまさにこれ。松花江の本物の霧淞を見ることは叶いませんでしたが、わたしたちは毎日自分の鼻の穴と髪の毛で霧淞を鑑賞することになりました。

寒さは時に天然の冷蔵庫になります。これは寒さと共に生きてきた北海道の知恵です。そして留学生寮も北海道と同じで窓は二重窓になっていました。外の冷たい空気を少しでも遮断するためです。しかしここぞとばかりに窓と窓の間で冷やしておいたビール瓶はある日パリン!と音を立てて割れました。ビールが凍ってしまったのでした。アルコールなのに。こんなこと、北海道では一度だって経験したことありませんでした。北海道よりも、ここはロシアに近いんだった。戦慄しました。

ほかにも教室の床が突然ギギギギ!と大きな音を立てて膨らんだり(事務員の話によると寒さで床の水分が凍ってしまって膨張したらしい、授業は続行です)、雪のためにバスが止まってしまい別寮の留学生と先生が来ることができずに授業が中止になったりと、長春の厳しい寒さは大阪の夏の暑さに負けない、いやそれ以上の試練を我々に与えたのでした。暑すぎるのもしんどいけど、寒すぎるのも困りものです。

雪の量は多くはありませんでした。

真ん中がわたし。

肝心の夏といえば、7月から夏休みが始まってからは東北の地を飛び出し南方へ旅立ってしまったがために、長春の涼しい夏の恩恵を受けることはほとんどなかったのでした・・・。

むしろ吉林での生活で涼しい生活に慣れきっていた身体は、上海・広州・深圳で中国南方の酷暑の洗礼を受けることになるのでしたが、それはまた次の機会に。


なんとか生きていけます。