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生きるのってめんどくさいな
なんでだ?
他のみんなは何を原動力に生きてるんだ

目的は?

目的がないと人生ってかなり長く感じるし
見返りばかり求めて受動的な人間になりがちだ

惰性でなんとなく毎日息してる感じがたまにすごく辛くなって2時間だけ死ぬほど病んだりする時がある

そんな私が最近、生きる源にできるかもとぼんやり考えた出来事を今から文にしるす

忘れないために


しばしお付き合い願うね



私には6歳上の兄がいるんだけど


ここ数年で私の中の兄の存在は

「 少し遠くで生きている顔馴染み 」として形付いている

他人でも家族でもなく、同じ施設で育った同志が、新たな家庭に貰われていったなぁという感覚が1番近い


でも嫌いとか会いたくないとかの負の感情はまったくなくて、どっかで幸せに過ごしているんだろうなぁくらいの気持ちが強い

それが今の私の中の「兄」だ



先日キッチンの換気扇の下、ぷかぷか吹かしながらぼーっとしていた時

ふいに脳で再生された昔の兄との記憶


小学低学年の時、兄と真夜中に獅子座流星群を見に公園へ飛び出した

聞き慣れない流星群という言葉
たくさんの流れ星
深夜に家を抜け出す高揚感

すべてがキラキラして1秒だって憂鬱になる時間はなかった

正直なところ流星群が見れたかどうかはあまり覚えていない

滑り台やよくわからない棒、小さな橋が一体化した広めの公園によくあるような大きな遊具に

2人して寝転がって空を見上げていた瞬間的な記憶だけが鮮明に残っている

歳の差もあり当時とても憧れとLIKEが強かったお兄ちゃんと共に、真夜中に出かけられるだけで私のテンションはそれはもうものすごかった

公園から家まで歩いた時間帯が記憶ではam3:00くらいだったと思うんだけど、当時の年齢を考えると

本当に3時か?

と思ったりもする

でも帰り道に通った車と人がいっさい存在しない二車線大通り

鳥の鳴き声だけが響きわたっていて。

センターライン上をスキップ混じりに跳ね
きゃっきゃしながら帰ったことだけは覚えてる

さながら気分は天へ腕おっぴろげショーシャンク名シーンのよう

無敵だった

飲みの後の始発に乗る時のような、
夜と朝の狭間にあるような空気を、

はじめて体験したのがあの時



話は変わるが

" 誰かの記憶に残っている限り、人は死なない "

そんなニュアンスの言葉を映画や小説で目にしたことがある人は多いと思う

正直心から共感するほどは響かない言葉じゃない?

ふーんなるほどね、くらいの。

みんなもそうだと勝手に仮定して喋るけど



さっき話した記憶が換気扇の下で脳裏をよぎった瞬間
その言葉に対して心の底から共感を覚えた


誰かの記憶に残る限り人は死なない


なるほどね!そういうこと!


同じなるほどでも全然違う種類のなるほどだ



兄との真夜中お出かけを思い出した時

昔同じ施設で生まれ育った同志、だった兄が

私とよく遊んでくれる優しいお兄ちゃんに一瞬形を変えた



これってとても素敵なことじゃない?

兄は今も元気に生きていて
会おうと思えばいつでも会えるんだけど

私が思い出したその瞬間
私はお兄ちゃんに会えるし、一瞬であの時の思い出で心が満たされて幸せな気持ちに溺れることができるんだ

しかも回数制限はない

私が思い出した時はいつでも会えてしまうし
兄は確かに存在している


この高揚感を味わった時私は

私との思い出を誰かが不意に思い出して
同じようにちょっと心がポカポカしたり自然と微笑んでしまったり

そういうカケラをちょっとでも多く
人生に散りばめていけたらすごく素敵でハッピーだ、、と思ったんだよね

そうなると生きる意味を見つけられそうだし、
生き方を改めて考え、日々の自分の行い一つ一つを大事にできて

結果的に自身の人生の軌跡に残る、恥や後悔が自然と少なくなるんじゃないかなと


大きななにかを成し遂げようとは思わないし相手のために何かしてあげようとも思わない

自分がちょっと、ほんの少し
自分のために


身近に元気がなさそうな人がいたら
コンビニでアイスと麦チョコをかって簡易パフェを作って一緒に食べようぜ!と持ちかけたり

なんでもない日にラインギフト券を送りつけたり

パスタのルーをたくさんかかえて家に突撃したり

お花を買って帰ったり

美味しそうなパンを勝手に押し付けたり


でもこれはほんとは私がパフェを作って食べたいのがメインだし

コーヒーもあげたいだけだし
パンも美味しさを共感してほしいだけだけど

ついでにちらりとでも記憶に残ってたら儲けモンだねって感じ


私がそれをされる側だったら
きっと後からあの時こんなことしたなぁとか思えたりするから

私の価値観でしかないけれど。

たまに思い出して小さくクスってなれるような記憶を誰かの心に置いてもらう。


私の生涯の幕が閉じる瞬間

あぁ、よかったなぁ
この先も繋がると嬉しいけど
まぁどっちでもいいや

私は私が誇らしいよ

となれるなぁと思った

そうなれるようになりたいと思った


そしてそれが今の私の生きる源の一部になっている




おわり

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