走っちゃう子の幼稚園探し⑥~面接日に「伝えたい」と思ったこと~

とうとうこの日が来てしまった。
晩夏に焦りながら探し当て、児発の担当者には自分たちの指導を聞かない保護者として鼻で笑われ、急いで発達検査を通して資料を作って・・・・膨大な修羅場を短期集中的に潜り抜けた時期が、今終わりの時を迎えようとしている。

そう、9月から時は進んで11月1日。都内の私立幼稚園面接の日がやってきたのだ。

試験で聞かれるかもしれない事項は一通りさらっておいたものの、なにせ小さな園で面接内容の情報がネットにもほぼ載っていない。お受験的な園ではなさそうだけどねえーーーとプレでよく一緒に遊んでくれる子のお母さんとお話ししたものの、我が家には目に見えないASDのハンデがあるのだ。
そのハンデを背負って足元がふらついているその真横で、無園児コースの絶望が家族に向かって大きな口を開けて構えている状態をついぞ忘れることが出来ず、不安でいっぱいなのである。
そしてその不安と横並びで、親として願いを込めて園に伝えたいことは溢れるほどあり、いったいどういう言葉でお伝えすべきかと思い悩んだ。
しかし大きな不安にせよ、伝えたいことにせよ、希望にせよ、もし相手に受け取ってもらえないなら、努力も経験もない未熟な母親の中に残る苦い記憶となるのではないか。
だとすれば、とてつもなく辛い。
ーああ、どうにか受け取ってもらえないものだろうか。

こういう風に脳内で思考の堂々巡りを繰り返しつつも気持ちの言語化を図る一方で、現実的に入園する可能性のある息子本人と一緒に出来た準備らしい準備と言えば、名前だけはなんとか、一応発語はあるから、うっすらとでもいいから・・・最終的に略称でもいいからと、オウム返しで練習したことくらいであった。
そんな細やかな努力レベルの練習であっても、練習をさせるなという児発の言を無視して、とにかくゲーム感覚で本人を褒めちぎりながら練習した。

とにかく、未熟なひとりの親としてありったけの願いを込めて。


◇◇◇◇◇

いよいよ面接の時間になり、園の入り口で面接費の支払いを済ませて順番を待とうとしていた。コロナの影響でそれぞれ親子ペアでの受付となり、夫は近くのカフェで待機してもらうこととなった。
神妙な顔持ちの私を尻目に、教室の楽しそうな壁面制作や、在園児の持ち物がたくさんあって視覚情報的に目移りしてしまう待合スペースで息子はいつも通りぴょんぴょん跳ねてリラックスしていた。

「息子君とと保護者の方、1番の面接室にどうぞ」
「ハイ!!!」
こっちだよ、先生と一緒に行こうね。とスキップ交じりのテンションが高い息子を、やさしくアテンドしてくれる先生に連れられて面接室へ入った。


面接は主任の先生と園長先生によるものだった。
「こんにちは」
ーちわ!
と見学の時と同じく穏やかにほほ笑んで迎えてくださっているのを見た息子は、挨拶をする場だと認知したようだった。頭の方は不明瞭に途切れたものの、彼なりの挨拶として、一礼してこんにちはと言えたのは一安心であった。

が、次の瞬間、先生の背後にあるおままごとキッチンが目に入り、目の前の椅子をスルーして駆け寄って遊び始めたではないか。
ーーああああああ、やっぱり!!!!!
「すみませんすみませんすみません」
いつも通り過ぎる行動に反射的に出るお詫び・・・・やっぱりこうなんだよなあ。ここまで頑張ったのにこの態度・・・・終わったか・・・・・と思いきや、
いいですよ、座らなくても。息子君、幼稚園には楽しそうなものがたくさんあるでしょう?じゃあ最初にお母さんに質問をよろしいですかね?
とワクワク遊び始める息子の様子を見守りつつ、先生は詳しい話を尋ね始められたのだった。

曰く、
ートイレトレーニングの進捗状況
ー食事の自立度
ー近所のお友達の有無
ー好きな遊びの内容
ー飛び出しの有無
ー市の児発や療育関係者の所見

と、ただひたすらに、現状を丁寧に理解してくださろうとしている風の質問であった。
真摯に尋ねてくださっている事に応えようと、用意しておいた発達資料のまとめをお渡ししつつ、包み隠さず発達の進捗についてお話しした。

特に発達の所見については、今現在は凸凹が特に表出言語分野にあるけれど、理解言語が凸な分伸びが出てくるように本人・療育・家庭が一体になって努力すること、療育の先生からは意志を言葉で表現しようとする態度が見られること、総合して母子分離できる状態だと判断出来るから、これ以後は集団へ入って周囲とのかかわりありきで伸びてくると考えられるといわれたこと。
そしてこれから家庭として、ASDの特性と課題を踏まえた上で、コミュニケーションを重視して働きかける努力をする意思を強調して示した。
保護者として積極的に園と療育と密接に繋がって、協調して育てる意思がある。我が子のことを園や療育へ丸投げはしない
どう伝えるべきか考え抜いて、園へいちばん伝えたたい、これからの就学迄の3年で親子で実現・実行したいと思ったのはこういうことだった。


そんな風に生命力を注ぎ込んで面接している一方で、息子はというと我関せずでおままごとキッチンで夢中でキャベツを洗い、電子レンジでチンしている

面接でそんな風に振舞うなんて、誰が想定できただろうか。
(いやあ………うそやん)

遊んでいていいですよ、と仰ってくださっていても内心では私の方が気が気でなく、途中で捕まえに行ったところで今度は着席しないままの息子本人に質問をされた。

ー何歳かな?
ーお名前は?
ー今日は誰と来たの?


漁船に水揚げされたばかりのマグロよろしくピチピチと威勢よく暴れながら、彼はサンサイ!!!ムスコタロー!!!ママ!!!と今の彼の中から絞り出せる限りの言葉で懸命に叫んでいた。

イレギュラーに弱い特性、およびオウム返しでのコミュニケーションが増えてきた発達段階を考えたら、質問されたことに関して奇跡的な反応を返している訳で、これでも十二分に息子としては頑張ったな!と思って感動した。
一方で一切面接らしく振舞えない態度が先生へのあまりにも申し訳なく、同時にその結果落ちてしまうのではという絶望が交互に襲い掛かって、私はもう、どんな表情を顔に浮かべればいいのかわからなくなった。しかし尚レンジでの調理を続けようと跳ねている息子を離すわけにはいかぬと羽交い絞めにしているこの時間はまるで永遠のように感じられた。


すると先生は「あ、答えられたね!えらいねえ」と様子を見ながらメモを取られ、最後にもう一度お母さんだけ座ってください。お子さんはそのままで大丈夫ですからと余裕を感じられるトーンで促された。

そうして最後に先生から、
「大丈夫ですよ。療育に通いながら、通ってくれたらいいんです。わからないことがあればこちらから療育へ問い合わせもしますよ。」
と、過去この園以外の場で受けてきた、悲しくて辛い言葉とは反対に、見捨てずに受け入れてくださる旨のお言葉を頂いた。
この言葉があまりにも温かくて、その場で感謝の気持ちが溢れて泣き出しそうになりながら、ありがとうございます、と深々と頭を下げた。

伝えたいと思っていた気持ちは、受け取って下さる存在と繋がってはじめて現実の形になったのだ


「息子君、また遊びにおいで。じゃあ最後にキャベツはレンジに入れておいてね。」
「プレの先生からお絵かきも得意って聞いたよ!また幼稚園で描いてみせてね!!今日はバイバイね~」



こうして、もっとおままごとキッチンで遊ぶと大騒ぎしながら面接が終わったのだった。

◇◇◇◇◇◇◇


後で気づいたのだが、同級生にも息子と同じ発達っ子の仲間がいた。
発達以外の健康上の理由で他の園から拒否された仲間もいた。

「インクルーシブ教育に熱心に取り組んでます」とこの園は表立って明言しないし、HPなんて最近の園児の様子がさっぱり更新されていない。
それはきっと、どんな子もそれぞれに自分なりの集団参加が出来たらそれでよし。かといって、マンモス園の中でありがちな放任ではなく、こじんまりした環境の「どこか」にその子らしい居場所をつくれるかな?園も子どもも親御さんも一緒に楽しめるようにやってみましょうよ。
そんなこんなで手間暇がかかってしまうけれど、幼い心をやさしく包んで育む為にとても必要な、心の根っこを育てる教育を絶えず考えて実践するのにどの先生も忙しいからなのだろう―――と思った。


今から伝えた言葉を形にする、現実の居場所をつくる努力の日々がくる。
次のお友達へ良いバトンをお渡しできるように、園と息子と一緒に挑戦していこうと思う。

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