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ピタゴラ装置 〜決定論について〜


 物体は、初期位置、初速度、質量、力の大きさと向き、摩擦・空気抵抗等、全ての条件を同様にして運動を開始すれば、全く同じ軌跡を辿る。

 設計が、緻密な計算によるか、アバウトな試行錯誤によるかは別として、全く同じ条件下で動くピタゴラ装置の未来は、何度試しても同じ結果をもたらす。

 「未来はすでに決定しているのか?」この問いを素通りする者もいるだろう。けれども、直視する者にとっては、“決定論“と“非決定論”の選択は、人生に関わる重要な問題である。

 決定論では、「ラプラスの悪魔のように、存在する全ての粒子の位置と速度を知りうる能力を持てば、物理法則に従って全ての物体の未来を予測できる」と考える。

 これを疑問視するのに、よく「ブラジルで一匹の蝶が羽ばたけば、テキサスで竜巻が起きる」という、ローレンツの例え話が挙げられる。いわゆる“バタフライ効果”である。

 この「初期状態のわずかな誤差が、やがて想像もつかないような大きな差を生み出してしまう」という“カオス理論”は、間違ってはいない。

 ただ、それは、現時点の物質の状態を全て誤差なく計算し未来を予測することは、事実上不可能だと言っているに過ぎない。決して、因果律や決定論を否定するものではない

 一般的に、決定論を否定する根拠とされるのは、ミクロな世界での、電子を始めとする量子と呼ばれる粒子の振る舞いを記述した“量子力学”である。

 原子や電子、光子等、量子の振る舞いは、“波動 ”と“粒子”の二重性を示し、それはヒトが日常経験している古典物理学の法則では記述することはできない。

 有名な二重スリットの実験で、単発で発射された複数の電子が、結果として写真乾板に干渉縞を描くという事実は、古典物理学では説明しえない摩訶不思議な現象である。

 これは、一個の電子が同時に二つのスリットを波動関数として通過し、重ね合わせの状態で干渉し合った後、観測により収縮し一個の粒子に戻ったと解釈される。

 量子力学は、“ハイゼンベルクの不確定性原理”により、「電子の“位置”と“運動量”を同時に正確に計測することはできない」ことを証明した。

 また、写真乾板の干渉縞に現れる、量子の観測された時刻、場所での存在確率は、波動方程式である“シュレディンガー方程式”によって明解に求められる。

 つまり、ミクロな世界では、原子や電子の振る舞いは決定的ではなく、確率的なのである。言い換えれは、量子の未来は一つに決定されず、確率的に複数存在するのだ。

 この事実から厳密に言えば、完全な決定論は否定される。しかしながら、こうした量子の確率論的性質は、マクロな世界では、大勢に影響を与えることはない。

 なぜなら、重ね合わせ等、特別な量子的性質(量子コヒーレンス)は、真空、絶対零度等の条件のもと、観測を含めた環境との相互作用を一切排除した上で生じる現象だからである。

 実際、このマクロの世界においては、量子は、他の多くの原子、分子と共存する中、環境との相互作用は避けられず、量子デコヒーレンス(量子コヒーレンスの崩壊)が生じてしまう

 そうなれば、量子は粒子の姿に収縮してしまい、現実的にほとんどの場合、原子、分子を含めて物体の運動は、古典力学で十分説明しうるものとなる。

 実際、今後未来に活断層がずれて大地震が起こる時や、太陽が燃え尽き膨張して地球を飲み込む時が、確率論的に変動することはない。また、サルの受精卵からヒトが生まれることもあり得ない。

 たとえ、量子力学の示す量子の姿が真実であったとしても、因果律によって進行するマクロな世界の現実、自然の法則を変えることはできない

 ビリヤード台の中央に並ぶ15個の球に、キューで1個の球を打ち込めば、ぶつかりあって転がる球の軌跡は、全て計算によって正確に予測される。その現実に何ら変わりはないのである。

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