10. 大きすぎるかどうか

江原茗一です。
新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。

ソールドアウト公演だったためお知らせこちらではしておりませんでしたが、先日新年一回目のライブを終えました。青山の月見ル君想フにて、butajiとのツーマンライブでした。butajiとは20代の頃ミュージシャン仲間でよく飲む友人でしたが、一緒にライブをしたことはこれまで一度もありませんでしたし、何より久しぶりに会えて良かったです。元気そうで本当に何より。会場はかなり混雑していたので長時間立ってらっしゃったお客さんも大変だったことでしょう。どうもありがとうございました。もう何年もやっていなかった『歌の中で』を久しぶりにライブでやったり、『最初の日は』のアレンジを結構変えたり色々試せたので楽しかったです。私はめっちゃ失敗したけど。あとまだ『ゲームオーバー』の歌詞をパーフェクトで歌えるかどうかが心配なので、出来た時の達成感が凄まじいです。ついつい曲終わりに「おっしゃああ!!」と言いたくなる。自分の曲なのに。
私はまたしばらくの間ライブがありません。引き続き制作に打ち込んでいこうと思います。広い場所でライブしたいなあ。フェスに出たいなあ。

新しいお知らせが一点。昨年配信されたCornelius『変わる消える』が12インチになるそうです。A面に小山田さんが歌唱する新バージョン、B面に私が歌っている元のバージョンとJohn Carroll Kirby氏のリミックスです。2月22日に一般発売だそうで、現在は予約を受け付けているとのことです。(詳細はこちら
私は自分が歌うバージョンよりも、坂本さんが仮歌を歌って送ってくれたバージョンばかり聴いているけど、小山田さんご本人のもさぞ良いでしょうから楽しみです。

変わる消える

2023年、1991年生まれの女達は皆厄年らしい。自分が厄年かどうかなど普段から気にもしていないが、前厄の2022年に両親から送られてきた厄除け守りによって自分が本厄を控えている身なのだと知った。それからというもの、何かにつけて「まあ、前厄だから」「来年が本厄だから」と自虐的な言い方をこじつけて対処してきたが、それが物凄くしょうもなく思えてきた。結局全ては自分の行いの致すところじゃないか。今年一体何があるというのか。何が起きても驚かない。うろ覚えの記憶だが、芸の人は「厄=役」が逃げるからという理由で厄除けしないというのは本当だろうか。私の記憶違いかな。

大晦日から4日まで家に引き篭もっていた。何も起きなければ10日のバンドリハまで外に出なかった可能性もあったが、Firestickのリモコンが動かなくなったことをきっかけに家から徒歩2分のコンビニで乾電池を買うため外へ出た。年明けはいつも天気が良い気がする。キラキラしているように感じるのは「おめでたい」とか「新しい」とかそういう季節的な前提のせいなのかわからないけれど、清々しいので新年は好きだ。
外へ出ると身体に纏わりついた何かがぶわっと剥がれて浄化されるような感覚があり、自分の精神状態が良くない状況だと気が付いた。外に出て散歩するとか何かしなければ。
翌日、人の少ない時間帯にマスクを外して音楽を聴き、歩きでスーパーへ向かった。今の街に暮らし始めてからは殆ど自転車移動中心の生活になってしまったけれど、それだとあんまり運動になっていない気がするし、何より音楽が聴けない。
年末のラジカク拡大放送で「年末年始に聴きたい曲」というお題があり、私はそこで和田アキ子の『さあ冒険だ』をチョイスした。本当は格好つけてミュージシャンらしくナイスな一曲を選曲したかったが、白状すると正直あんまり頭が働かなかった。まあ『さあ冒険だ』は実際に好きだし、こういう時は小難しくない前向きな内容の音楽を聴きたい気分であることは確かだったけれど。
NewJeansの新曲『Ditto』にしようかとも思ったけれど、後者はMU-STARSの藤原さんと見事に被っていたので選ばなくて良かった。
それはそれとして。スーパーへ向かう時、最大の音量で今年一番に何を聴いてやろうか、実際の「年始に聴きたい曲」は何だろうと考えた結果、いや正直そんな真面目には考えていなかったけれど、何となくMott the Hoopleの『All the Young Dudes』を聴いた。まあある意味前向きな曲だ。サブスクの音源は音質があまり良くないが、どうしようもない奴らに向けられた美しいムードのアンセムは、くさくさ中の私にとっては今年一番に丁度良かったのか、いつもよりも気持ち良く聴こえて感動してしまった。「すべての若き野郎ども」対象者の気分で。
気持ち良くて両手を広げたくなったところで、もっと分かり易く気持ちの良い状態になりたくなり、昨年Bruno Marsの来日公演に行った記憶もあってかSilk Sonicを再生すると、こちらも多幸感が通常のましましだった。どこまでも歩いていけそうな無敵で素敵な気分になれますね。夜に突入する前の夕暮れ、くさくさした人間にとっては、化粧も何もしていない素肌の顔面に冷たい新年の風を浴びながら聴くポピュラーな音楽が包容力に満ちて身に沁みる、精神衛生的に良い、そういう瞬間だった。
制作期間のせいで自作のしょうもない音しか耳にしていないのは良くなさそうだ。下手に良い曲を聴いていたり音楽ディグをしていると制作に影響されそうで怖いという理由もあって、あんまり積極的に音楽を聴かないようにしていたが、やっぱり適度に良い音楽を聴いた方が良い。
この間のバンドリハで、浜くんが「ちょっと一回皆でレゲエ聴かない?」と言い出した。Coffが「キャプテンガンジャは?」とリクエストしたので大音量でTraditionの『Subaquatic Swerves』を流して踊る時間をやった。突然で面白いと思いつつ、そういうことを大事にしていきたいと思った。なんてナイスな提案なんだろう。

新年に入ると「今年の抱負は何?」という話題は絶対に避けられない。この話になると会社員時代に「ウィルシート」とかいう来年・3年後・5年後の目標を書くとかそんな感じの物を書かされたことを思い出す。「3年後とか5年後なんて知らんわ」と当時は思っていたけれど、今となっては今年の抱負や目標の方が浮かんでこない。「良い曲を作りたい」とか「ライブで色々な場所へ行きたい」等の当たり前なことか「痩せたい」とか「これ以上シミを増やしたくない」とかちっぽけなことばかりが浮かぶ。なのでラジカクで抱負を聞かれた時にも「アルバムを出したいですね」「ライブをしたいですね」と言ってしまった。私は自分の発言や行いをいつまでも反省しくよくよするタイプなこともあり、面白み皆無な回答をしてしまったことを延々と悔いていたのだが(誰も面白さなんて期待していないのに)、その流れで抱負を突き詰めていった結果、発展しすぎて何故か将来の目標を決めた。それは「家を買う」だ。とにかく自分の城が欲しい。社会的信用ゼロのミュージシャンが家を自力で買うなんて大変なことだ。しかしそれが私の将来の目標。

日々悩みが尽きず苦しいな。言いたいことを包み隠さず言ってしまえて、したいことを躊躇いなくやって人目や評価を気にせずに飛び込んでしまえたらどんなに楽だろうか。今年もきっと大変に違いない。波瀾万丈なはず。
稚拙で道逸れた邪念を消し去る為に自己を奮い立たせ、一時的なアドレナリンで集中、仕事に打ち込んでみる。スーパーサイヤ人にもなっていられる限界があるように、私も時々駄目になる。酒を浴びるように飲み、何も解決することは無いと分かっていながら、30代になってもそんなことばかり繰り返している。気が付くと諭吉が消えている。だからそんなポンコツに、家なんてたいそうなモノが本当に買えるのだろうか。今は部屋を借りることだって一苦労である。でも馬鹿みたいな大きすぎる目標を立てると気持ちが良い。

「稼がねば」と思うとこの曲が頭の中に流れる。今で言うパパ活で生活しようする少女について、みたいな歌だけど。「リッチガール♪」の部分だけが理由で。

たまに美味しい物を食べて、好きな人たちに会って、素直になれる人と会話をして、神宮で野球観戦をして、大人な酒の飲み方をして、楽しく過ごしたいものです。

新年早々いつも以上に中身のない文章を書いてしまった気がする。まあいいか。
ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?