絵のようなものを描く不思議
noteは毎日書かなくて良いというルールを課しています。黒歴史みたいなものが発生する確率を下げることで、永く真面目に使っていければと思っています。単純に書く時間が取れないというのもあります。書きたかったけど出したくない、それは出さない。枠を作って安心する。
でも裏アカみたいなところで何か出したい。webを介さないで何かを。できれば人間関係も介さないで。
それでこのところ、絵を描いている。いや、むしろ線を描いているとか、白いノートに染みをつけていると言ったほうがいいかもしれない。あるいは雨という漢字を、圧縮ファイル解凍するみたいに絵に開いたこともあります。その絵は気に入ったので2回描きました。
絵は、下手だし、鑑賞もよくわからないし、基本的にはそういう創作はあんまり楽しくないです。なんていうか、あれかしと願ったものは紙に降りてこない。でも、描くとときどき、「あ、こんなこと、あるんだ!」というのがあります。基本、アクシデントなんですよ。あー、こんなんなったわー、て。
何を描いた訳でもないけど、なんだかとってもエロスを感じてしまうものが存在すること。立ち姿の女性を描くとき、右手に長いものを持たせがちなこと。混乱や恐怖を描こうとした筈なのに、いつも何だか楽しげになってしまうこと。これは中学生の頃と変わらない。危険を描くのに、言い訳みたいに安全装置を設置してるアホらしさ。いまはコピることに情熱を傾けないために、何も見ないでイメージを紙に落とす。
ボンデージ・ファッションの女の子を描いたときは、不思議だった。だいたい、ボンデージ・ファッションのディテールがどんなふうかなんて、まったく知らない。でも、描くと決めたので、描く。サイズ違いの同じ服を着て、同じ髪型と化粧で、同じ鞭を持って、同じポーズをして、体型だけが違うのを3人並べようと思った。
1人目。ぽよーん、とした体型の女の子を描いた。ふてぶてしい表情の子を。肉感をちょっとグロめにして。ぷくぷくの赤ちゃんか猪突猛進型の兵士みたいな迫力ある可愛い女の子になった。ボリューム感は『七つの大罪』のディアンヌちゃんをイメージして描いた。これはこれで、好きだった。
2人目に、いかにもそういうファッションが似合いそうな女王様っぽい雰囲気の女の子を描こうと思った。まず、キレイで女王様っぽいのが、まったく描けなかった。見下す感じの視線が欲しいのに、なんかキャビンアテンダントのスマイルみたいになったからね。それで、同じ身長にしたかったのに、肩幅を狭くしたら胴体も縮んだんですよ。細くて儚げなひと、好きなんですけどねえ。でも、自分で描いたその女の子は、もう意味がわからなかった。
3人めには、病的にガリガリな女の子を描こうと思っていたが、2人目で「これは続きを描けまい」と解ったので、止めた。
3人並べたら、勝手になにか違うものが見えてしまう筈だと期待していた。でも、1人目しか描けなかったのは、なんだか楽しかった。だって1人描けたら何人でも描けるってフツーに思ってたのに。
言葉を介するのとは違う何かが、たぶんそこにはあるんじゃないかなあ。
予期せぬ場所で親戚と目があっても全く気がつかないし、映画を見れば美男美女ばっかで区別がつかなかったりする。それくらい視覚情報には疎い。でも、ふわっとしたものを視覚情報に変えてくのは、なんだか失敗すら新鮮だ。まあ、視覚情報の読み方とか、考えたほうがいいのかもしれないけど、まだただ戯れていたい。
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