「『サッカー』というもの。」4年 小長井崚真
「『サッカー』というもの。」
商学部商学科 4年 小長井崚真(京華高等学校)
こんにちは。
今回、部員ブログを担当させて頂きます、商学部商学科4年の小長井崚真です。
まずはじめに、新型コロナウイルス感染症に対し、最前線で向き合っている医療従事者の皆様、そして関東大学サッカーリーグ戦をはじめ、大学サッカー各大会の開催や運営にご尽力頂いている全ての関係者の皆様に感謝申し上げます。
また、日頃より明治大学体育会サッカー部をご支援頂いているスポンサー各社の皆様、OBの皆様、関係者の皆様にお礼申し上げます。
今回で4回目、そして最後となる部員ブログです。何を書こうかと大変悩みましたが、自分の人生において「サッカー」がどんなものであったか、そして明治大学体育会サッカー部での経験について書いていこうと思います。少し文章が長くなると思いますが、最後まで読んで頂ければ幸いです。
「サッカー」
自分がサッカーを始めたのは、まだ幼く記憶もない頃。父がサッカーをしていたということもあり、物心ついた時にはボールを蹴っていた。
幼い頃の自分にとって「サッカー」は、コミュニケーションツールの一つだった。
父の仕事の関係で、3歳から8歳までアメリカで生活をした。言語はもちろんのこと、文化や習慣も違う状況下で生活した。3歳ということもあり日本での生活の記憶もほぼない中ではあったが、そんな自分でもさすがに環境が変わったことには気がつき、最初は戸惑うことしか出来なかった。
そんな環境の中、ある時から自分はすぐに地元のクラスメート達と仲良くなることが出来た。それがサッカーをした時だった。
以前ネイマール選手がサントスからバルセロナに移籍したときのコメントでこんなことを言っていた。
"向こう(欧州)のサッカーもここ(ブラジル)のと同じ。ボールだって丸いんだし。"
この言葉が表しているように、サッカーはどこでも同じものである。丸いボールさえあれば、相手とパス交換が出来て仲良くなれる。みんながゴールを目指して協力し、ゴールが決まればみんなで喜ぶ。言語が通じないなどは関係ない。だからこそ、自分はすぐに溶け込むことが出来た。
『サッカーというスポーツは世界共通。』
もちろん、国や文化によってはサッカーの歴史や文化、スタイルも違うが、根幹は同じである。私はこれを直に経験した。
そして日本に戻ってからも、小学校は地元のサッカー少年団で、中学・高校は部活動でサッカーを続けた。
その中で自分はサッカーの楽しさに触れ、勝つことの嬉しさ、負けることの悔しさを知り、努力することの大切さ、継続することの難しさ、組織をまとめることの大変さ、様々なことを経験した。このような経験を出来たのもサッカーをしていたからである。
そして、高校サッカー引退。
大学進学を目指し、明治大学への入学を決めた。そこで一つの選択肢が目の前にあった。それは体育会サッカー部に挑戦すること。そして、その部は名実ともに大学サッカー界のトップである明治大学体育会サッカー部だった。
自分自身、覚悟を持って練習参加に臨んだが、そんな覚悟はすぐに打ち砕かれる厳しい環境であった。
練習の強度、質、選手の意識、声の掛け方、取り組む姿勢、何もかもが自分の経験したことのないレベルだと感じた。その中で自分も練習生として参加するわけだが、当然通用するはずもなく、最初の4ヶ月は周りで自主練をする日々。正直、諦めようかと思うことも多々あった。
もちろん"ここでサッカーをしたい"という自分自身の強い想いもあった。だが、続けられたのにはそれ以外に二つの理由があった。
一つ目は高校の監督、小金丸先生の存在。
先生も大学サッカーの経験者であり、よく自分たちにその時の話をしてくれた。そして、自分が明治大学への進学が決まった時に、サッカー部への挑戦を後押ししてくれたのも先生だった。
大学サッカーで学べること、経験できること、そして続けたことで何を得たか。たくさんのことを教えてくださり、自分を支えてくれた。
自己都合だけでは到底諦められない、先生の顔に泥は塗れない。この想いが自分の中にあり、頑張り続けることが出来た。そして練習生期間を経て入部を果たし、この4年間の経験を得ることが出来た。だからこそ、今でもその決断を後押ししてくれた小金丸先生には感謝の気持ちしかない。
二つ目は同期の存在。
一般生一人という状況の中で、なかなか部に馴染むことが出来ていなかったと思う。その中で積極的に声をかけてくれ、自分の良い部分を見つけ褒めてくれたり、時には食事にも誘ってくれた。もう諦めようかなと思っている時に限って、岡庭や越智が声をかけてきて話を聞いてくれた。その時は「タイミング良すぎだろ!」と思っていたが、今思えばあの時話を聞いてくれて引き留めてくれたからこそ、今の自分があるのだと思う。
そんな自分も4年目を迎え、いよいよこの部から引退する時が近づいてきた。この4年間、本当に濃密な時間を過ごし、多くのことを学んできた。もちろんサッカーの面では、今までにないレベルの中で、苦しいことや悔しいと思うことのほうが断然に多かったが、毎日が気付きや学びの連続でサッカーの奥深さや難しさ、そして楽しさを改めて感じた。
そして、この組織に入って最も学ぶことが出来たのは、
「組織の一員としてのあるべき姿、そして人としてあるべき姿」
だと自分自身は思っている。
試合に出ていない先輩たちの振る舞い方、チームを第一に考えて行動する姿勢。高校の時はどの選手もチームの中心でやってきた選手たち。その選手たちが試合に出れない悔しさを抱えながら、それでもチームのためにそれぞれの立場で全力を尽くす。この伝統こそが明治という組織の基盤を築き上げているのだと感じた。
「明治大学サッカー部はプロ養成場ではなく、人間形成の場である。」
栗田監督は日頃のミーティングでこの言葉を仰っている。
きっとこの言葉を外部の人が聞いたら、あれだけプロ選手を輩出しているのだからそんなこともないだろうと思うかもしれない。
だが、この組織の中にいれば絶対に分かる。人間性がしっかりしていない人、裏表のある人、他人や外部などの環境のせいにする人は、どんなにサッカーが上手くても、それだけでは明治ではスタメンを取れないだろう。だからみんな日々サッカーだけでなく、私生活でも気を緩めずに学ぶ姿勢を持ち続ける。その姿勢が些細な変化を生み、やがてその小さな変化が大きなものとなって、最終的に自然体となり、サッカーの面でも人間性の部分でも成長させてくれる。このサイクルを肌身で体感出来たからこそ、自分自身も日々の小さなものに目を向けて、それに全力で取り組むことで成長することが出来た。
それでもまだ足りていない部分も多いだろう。でもそれは言い換えれば伸び代がまだあるということ。だからこそ残された短い期間の中でも、より成長出来るように日々全力で取り組んでいきたいと思う。そして、少しでも後輩たちに明治がどういう組織か、その中で自分が何をしてきたかを残していかなければならないと思っている。
また、自分は昨年の12月から約9ヶ月間、三半規管による体調不良でチームを離れていた。もちろん、自分自身の気持ちはすごく浮き沈みした。これまで一緒に練習をしていたみんながリーグ戦で戦っている姿を画面を通して見る日々。最終学年であるのに、チームの活動に帯同出来ない虚しさと悔しさ。大好きなサッカーを出来ないもどかしさ。様々な想いが自分の中にあった。そしてその期間中、本当にたくさんの心配と迷惑をスタッフの方々や同期、後輩たちにかけてしまった。
それでも温かく迎え入れてくれた栗田監督をはじめとするスタッフの方々、そしてチームでの居場所を空けて待ってくれていた同期、何事もなかったかのように接してくれた後輩たちには感謝してもしきれない。
だから自分は全身全霊をかけて、このチームのために身を粉にして闘わなければならないし闘っていこうと思う。
この文章を書いていて、心の中で想うことが多くあった。それは今まで自分を指導してくれた方や支えてくれた方への感謝の気持ちや、これまで所属してきたチームや部活、仲間に対する愛着なのだと思う。
こんな気持ちを自分の中に与えてくれた「サッカー」というものは本当に素晴らしいものだと思う。
最初の文章で、自分にとって「サッカー」がどんなものであったかについて書こうと思う…と述べた。
その答え。
自分にとって「サッカー」は、これから生きていく上で必要なあらゆるものを与えてくれた。そして、自分の人生においてかけがえのないもの…それは大切な仲間や成長する環境、喜怒哀楽の感情を与えてくれるものであった。
本当に長い文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
いよいよインカレも開幕します。自分達の学年にとっては最後の大会です。
11月13日、果たせなかったリーグ戦優勝。悔しい想いがありながらも、みんな前を向いてここまでやってきました。必ず優勝して、笑顔で今シーズンを終えられるように、一戦一戦を噛み締めながら戦っていきます。
今後とも明治大学体育会サッカー部へのご支援、ご声援のほど、宜しくお願い致します!
次回は今年ラストの部員ブログ、石井主将が務めます。1年間このチームを引っ張ってきた大黒柱。責任感が強くとても頼りになる同期です。サッカー中は怒ってることが多いですが、プライベートでは優しい存在です。今年を締め括る熱く、素晴らしいブログを書いてくれると思います!ぜひインカレ前に彼の熱い言葉、気持ちを受け取ってください!お楽しみに!!
小長井崚真(4年=京華高等学校)
商学部商学科。DF。
【過去のブログ】
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