焼魚の苦い所
甘い。
恋は甘い。
叶わない恋ほど甘い。
理想をぐんぐんと作り上げて、
素敵な人だと信じるから。
思い込むから。
それが本当だと思えてくるから。
好きな人とはずっと一緒にいたいし、
離れたくないし、
失恋してもう会えない、
なんてことにはなりたくない。
だから一歩踏み出さずに、
ぬくぬくと、ぬるぬると、
曖昧な関係を続けて、
なにかをはっきりさせてしまうのを恐れて、
沼にハマったように狂って、
悲劇のヒロインかのように
ずっと忘れられずに好きでいる。
こんなにずっと大好きなんて、
私はなんて一途なんだろう、
なんでこんなにも愛しているのに、
どうして届かないんだろう、
そんなメンヘラチックな自分が嫌になったり、
暗い部屋で悲観に走ったり、
悲しみの淵で涙を流したりもする。
でもそれは全部作り上げてるもの。
虚像だ。
作り上げたものは甘い。
たとえ切なくても甘い。
だって自分で作ってるから。
だれだって自分には甘いから。
現実はもっと苦い。
でもきっとそれは苦いほど美しい現実。
例えるならば、焼魚の苦い所。
サザエの1番奥の所だろうか。
そんな苦味を好んで食べるのは大人だ。
苦味の中に美味をかんじる。
それが大人だ。
まだ未熟な子供には、
そんな難しい恋愛の方程式はわからない。
甘いものに飛びついてしまう。
単純な舌だ。
やさしさのオブラートに包まれた内側に
どんな苦味が詰まっていようが、
舐めてみないとわからない。
舐めたいけど舐めたくない。
だって内側は苦味かもしれないから。
それでも舐めてみるべきだと私は思う。
叶わない恋だと分かっていても、
可能性が数パーセントだとしても、
舐めて、
苦味を知って、
強くなればいい。
甘い甘い幻想に目を眩ませて、
目がチカチカして、
真っ直ぐ歩けなくなるよりマシだ。
苦味を知ってオトナになればいい。
コーヒーと牛乳の配分が
少しずつ茶色から黒に変わるように。
街角の木々の葉が、
新緑から赤黄色に変わるように。
大人になんてなりたくなくても、
大人になろうとしなくても、
大人になってゆく私たちだから。
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