見出し画像

手持ち無沙汰で

私の母は絵を描いて生きてきた。今はもう殆ど描いていないけれど、中学から絵を習い、高校では美術の学科へ、新聞社の賞を貰ったりコンテストでも入選していて、卒業後はデザイン事務所で働いた。そのころ母がデザインした包装紙は数年使われていて今もどこかできっと生きている。話を聞くたびに誇りであり、それと同じくらい羨ましくもあった。自分が作ったものが誰かの手に渡るってどんな気持ちなのだろう。

私はと言えば中学のときから写真を撮るのがなによりも好きだった。
ずっと眺めていた青い空と白い雲、ベランダからの景色、散歩をしたときの空気。そこらへんに咲く花を見て思ったこと、近所の空気や虫の声、一瞬のことを全部詰め込んで感情もまるっきりカメラに写した。
なにより多感で感情に支配されていたあのときは自分のきもちを代弁する術がほしかったのだ。自分のためにも映したくて。忘れられるほど楽しい時間をくれた。

10年の時を経て。
気付けば写真はあまり撮らなくなった。撮らなくても大丈夫になって、日々が過ぎていくことさえそんなに惜しくない。今を残しておきたいという熱は、いつの間にか冷めていた。これほど虚しいことがあるだろうか。私の最近はそういうのばかりだ。写真も音楽も読書も気付けばどんどん遠くに離れていく。近付こうとしてももう決定的に違って、なくてもそれなりに生きていけてしまう。そしてないのが日常になってしまった。
母からすると 大人になるとそうなってしまうものだから悲しいけど仕方ない らしい。ずっと同じ熱量で大好きを更新し続けることは想像より難しかった。一つのことを続けるのが苦手な私は特段そうだ。

それでも持って生まれた矛盾に溢れた性格と、つい考え込んでしまう脳みそは、そう簡単に変わるわけがなく、不確定な感情と言葉の数々は延々と生まれ続けているのに何処にも行き場がない。

なにか、なにでもいいから、表現したい
なにかを生み出し創りたい
とどこまでも抽象的な気持ちがずっとある。
でもその方法が私にはなにも思いつかないまま。手先も不器用、絵も文も写真も特に上手くなければ、美的センスだって大したことないこと、きっちり自覚している。
ただ下手くそでも難しくても誰の目に留まらなくても、自分だけのためになにかをまた始めてみようかなと、こんな毎日に思った。noteとtumbler、あととりあえずスマホでいいから写真を撮る。
感情の供養、私の中から成仏してね。そしたら明日は少しだけ晴れやかに、余裕をもって生きていける気がしてる。