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インターネットは広い海

他人がどう思うかは知らない。私にとっての話だ。

小学四年生の私に、父は専用のノートパソコンを渡した。これからはインターネットの時代、将来パソコンを使えないと困るから。父がパソコン関係の仕事をしていたことも理由の一つ、私の手に渡したその選択は正しかったのだろうか。今はもう分からない。

でももし、そのときにパソコンを渡されていなかったら。今全く違う人と出会い、全く違う仕事をしていて、性格まで違ったかもしれないと思う。そのくらいインターネットは大きな存在だ。

小学四年生の頃、リヴリーというインターネットゲームにハマり、それから掲示板、チャットをはじめ様々なSNSに入り浸っていた。夜寝る時間が惜しくなるほど、まさしくそれは依存に近かった。

とくに中学二年生から始めたアメーバピグ。ここで出会った人たちとは今でも仲良くしている。アメーバピグのチャットやスカイプでたくさんの話をした。それぞれの闇を持った五人のグループ名は「現実否定ズ」だった。

チャットモンチーとくるりとYUKIばかり聴き、重松清と江國香織の本を読んでいた中学生の私。先生が鳴らす電話の音から耳を塞ぎ、部屋の窓から身を乗り出すほどに空を眺めていた。遠く遠く誰も知らないところへ行きたかった。

私はそんな中学生活から自分なりの努力の末に抜け出し、高校生となる。写真も本も好きなままだったけど、それよりなにより音楽がとびきり好きになった。

同じ趣味を持つ人とSNSで繋がった。Twitter。呟きから仲良くなったその人たちとライブ会場で実際に会って、本当の友達との境が分からないほど仲良くなる。共通点があれば話題は事欠かない。不思議でもあるし、必然でもある。

大切な友人、大好きな恋人、一緒に笑って泣いてくれたあの人たち、死ぬ前に私に会いに来てね と言ってくれたあの人、
そしてあの頃の私にとって大好きな音楽を同じ気持ちで観てくれる人が横にいること、それは何よりも心強かった。
思い浮かぶその人たちに、私は何度も確実に救われている。

だから正解。私はインターネットの渦に巻き込まれて溺れそうになったけど、今プカプカと浮いている。これから岸に上がり砂場で遊ぶかもしれないし、まだまだ優雅に泳いでいるかもしれない。
でももう私はひとりのおとな。だから大丈夫。

明日も明後日も私はどの服を着るか、靴下も靴もイヤリングも指輪も、少しばかり悩むだろう。でも決められる。アラームで目を覚まし、駅から地下鉄に乗って仕事へ向かう。すこしの変化も愛せるおとな。

#エッセイ #インターネット