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映画『オン・ザ・ロック On The Rocks』(2020)の感想

脚本・監督ソフィア・コッポラの『オン・ザ・ロック』を映画館で観てきた。

夫の浮気を疑った妻が、父親にそれを相談してから、父と娘の探偵ごっこが始まり、その珍道中(冒険)が描かれる。

このあらすじを読んで、まずソフィア・コッポラとお父さんのエピソードなんかも含まれているのだろうか、と期待して観に行ったのだが、そういう要素はなさそうである。

浮気者だった父親に何度も失望してきた娘だが、その父親の魅力にも気が付いている。そして、父親は女の扱いを熟知している。要所要所で、相手が娘であっても、女性としての魅力をほめたたえる。そんな男をほかの女が放っておくわけがない。女をいい気持ちにさせる才能のある父親を憎みながらも、どこかで魅了されている娘の揺れ動く心理をラシダ・ジョーンズが演じている。

(えっ、ラシダ・ジョーンズのお父さんって、クインシー・ジョーンズなの? ほんと、びっくりだわさ)

浮気をしているかもしれない夫も、仕事ができる、仕事を頑張っている男である。よき父親でもある。

一方、妻は作家ではあるが、娘二人の子育てに追われ、執筆はうまく進んでいない。生活に追われるばかりで、仕事も中途半端で、おしゃれもしていない。夫は自分に興味を失っているのではないか。もし、夫が浮気をしていたら、どうしよう、だからうやむやにしてしまったほうがいいのかもしれない。真実なんて知りたくない。そういった葛藤が描かれる。

妻には裕福な実家もあるし、両親も健在ではあるが、まったく強気ではない。仕事のうまくいっていない女性が離婚を恐れるのは当然のことである。また、シングルマザーになることには、文化に関わらず、リスクのある道なのだろう。

ニューヨークの街の風景の美しさ、ジャズ、生活に不自由はしていない(貧しさなどは微塵も感じさせない)登場人物たち。どこかで、観たことがある。そう、ウディ・アレンの世界を彷彿とさせるスノッブさがある。

ただ、ウディ・アレンの登場人物たちは、男も女も、頭が足りなかったり、皮肉っぽかったり、ダメなところが描かれているのだが、それがソフィア・コッポラにはあまりない。

結末は、どうということはないのだが、女のほうも、結局はないものねだりなのだ。

魅力的で仕事のできる男は浮気をする確率が高い。できる男と結婚するような目ざとい女は、さえない仕事のできない、浮気もできないような男とは絶対に結婚したくない。優秀な子どもがほしい、と思えば、おのずとそうなる。

父親の浮気、男性の甘えなども、批判的に描かれるが、甘え上手な男のほうがモテるに決まっているではないか。女側からすれば、どうしようもないジレンマである。『オン・ザ・ロック』は佳作であったことは認める。

この作品を観ねばと思ったのは、ソフィア・コッポラが『ロスト・イン・トランスレーション』から変化したのかどうかを確認するためであった。

この映画は、TSUTAYAで借りたDVDで観たような気がする。そこで驚いたのは、異文化(日本文化や日本人)をエイリアンとして扱い、決して交わろうとしないアメリカ人の頑なさが描かれていたからである。ディスコミュニケーションを描くにしても、あまりに低次元ではないか。もう少し、アメリカ人ってオープンだと思うし、日本人も歩み寄るはずだよ、と思ったことを覚えている。

そういう意味では、『オン・ザ・ロック』は、ケチをつけるほどではないが、拍手喝采をするような映画でもない。

異人種間の結婚ではあるが、人種の問題に一切触れないのもリベラルなニューヨーカーなら当たり前といった感じなのだろうか。ただ、トランプ大統領によって分断されていると言われ、BLMの運動のさなかに公開されたアメリカ映画にしては、物足りない気がしないでもない。

ちなみに、製作は私のお気に入りのA24で(作中にもA24というワードが出てくる)、それをオープニングで知り、気分は上がった。ただ、ソフィア・コッポラの作家性のほうが、良くも悪くも前面に出ていたかもしれない。








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