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#映画感想文265『裸足になって』(2022)

映画『裸足になって(原題:Houria)』(2022)を映画館で観てきた。

監督・脚本はムニア・メドゥール、主演はリナ・クードリ。

2022年製作、99分、フランス・アルジェリア合作。

製作総指揮がトロイ・コッツァー(『コーダ あいのうた』の主人公のパパの俳優さん)が務めていて、その点でも注目されている作品である。

舞台はアルジェリア。冒頭からビヨンセの『Single Ladies (Put a Ring on It)』が大音量で鳴り響く。バレエレッスン前の女の子たちが、自撮りしながら、リズムに体を揺らしている。

この曲のおかげで、そう遠くはない過去が描かれていることが観客にも瞬時でわかる。(2008年発売か。わたしは結構最近までよく聞いていた)

主人公のフーリアはバレエダンサーになることを夢見て、ホテルの清掃員として働きながら、日々レッスンに励んでいる。オーディションも控えている。

フーリアにはダンサーとして働いている母親がいるものの、(父親はイスラム過激派に殺されており)金銭的には困っていた。彼女は闘犬ならぬ闘羊で、お金を稼いでいた。やめようと決意した矢先、自分の羊が負けたことを認めず、不当だと訴えるアリという男に目をつけられてしまう。アルジェリアはイスラム教の国であり、夜中に女性が出掛け、違法賭博に参加することも、ある種の男たちには許せない行為をする女として映るのだろう。

ある夜、またフーリアを見かけたアリは「自分の儲けを盗んだ泥棒だ」と言いがかりをつけ、フーリアのあとを追う。フーリアは走って逃げたものの、追いつかれ、反論し、アリの頬をたたく。すると、逆上したアリに階段から突き落されてしまう。フーリアが目覚めると、病院にいて、歩けず、事件のショックで声が出なくなっている。フーリアのバレエダンサーになりたいという夢は断たれる。生きるために彼女はリハビリと心の傷を癒すために時間を使うことを余儀なくされる。

フーリアはリハビリ施設で、さまざまな事情を抱えたろう者の女性たちと出会う。内戦中のテロで息子を失って精神疾患を患っている女性や内戦で捕虜となり暴力にさらされていた自閉症の姉妹、誰しもが過酷な過去を持っている。フーリア自身、声が出なくなっているので、手話を覚え、彼女たちとコミュニケーションを取り始め、歩けるようになるまで回復すると、彼女たちにダンスを教え始める。

本作で特徴的なのはフーリアと彼女たちの食事シーンだ。何度かあるのだが、毎回みんなで同じものを食べている。やはり、どのような文化であっても、同じ時間に同じものを食べて、絆を深めていくのは重要な行為なのだろう。生きるためには食べなければならないし、人間は仲間の前でしか食べないものだ。

フーリアの生活が落ち着いてきた頃、立て続けに事件が起こる。自由な生活を謳歌したい、抑圧的なアルジェリアで人生を終わらせたくないと言っていた友人のソニアがボートでスペインへ渡ろうと試みて失敗してしまう。つまり、遺体として発見される。自由を求めても、それがうまくいくとは限らないという絶望。

そして、郵便配達人の顔に見覚えがあり、フーリアを狼狽える。自分を階段から突き飛ばしたアリが刑務所ではなく、娑婆で働いているではないか。フーリアは弁護士のところに駆け込むが、アリの一家と警察は繋がっており、裁判をしても勝てないと弱腰で対応してもらえない。

ダンスレッスンをしていたスタジオが閉鎖されショックを受けていると、フーリアの前にアリがやって来て、盗んだ金を返せと言う。その金で車を買ったから、もう金はないと告げると、衆目の中、車の窓が叩き割られる。アリは自分が何をしても捕まらないと思っている。その後は、自宅にまで入られ、家の中が破壊される。警察に行くな、騒ぐなといった脅迫の意味合いもあったのだろう。被害者がさらに被害を受け続ける悲惨な状況、下手に立ち向かったら殺されてしまう。

ラストのダンスシーンは激しく鮮やかで、とてつもなく美しい。

しかし、現実の世界と同様に問題は何も解決しないまま終わる。ほんの小さな希望を胸に抱き、生きていくしかない。

Esquireのムニア・メドゥール監督のインタビュー記事が興味深い。

インタビュアー:抑圧されてもなお、漏れ出る個性。集団に負けない強い「個」は、ある人にとっては脅威でもあり、別の人にとっては勇気づけられるもの。抑制するダンスと解放するダンス。この二つのダンスの対比と同時に前作『パピチャ~』でも描写されていた国から出ていく人とそこに留まる人の対比も際立っています。

監督:映画では、両方の生き方を表現しています。でも、どちらかと言えば私は残る人を賞賛したいのです。このような社会では、逃げないで残るほうがよほど難しい。それは、闘い続けなければいけないからです。残る人が、この国の変化に貢献するわけですから…。特に家父長制による社会の変革は、そこに留まる人の肩にかかっているわけです。私は残る人こそが、ヒーロー、ヒロインと言えると思っています。そこに留まる人たちを描く理由は、もうひとつあります。彼女たちはあえてそこに残る(rester, resider ※)、つまり、レジスタンス(resistance ※)するというわけです。日常的に直面する困難に、そこで立ち向かわなければらない。警察の無関心に妨害されても、ダンススタジオをテロリストに破壊されても、お互いに連帯し、集い、屈しない。その姿は外からはなかなか見えません。その内なる戦いを提示したかったのです」

『裸足になって』ムニア・メドゥール監督インタビュー|戦争の呪いが抑圧する自由(Esquire)

そう、前作の『パピチャ』でも、アルジェリアに残って闘う女性たちが描かれている。国を離れてしまったという監督自身の悔恨も、多分にあるのだろう。

ここからは超蛇足。主演のリナ・クードリは親しみやすい顔をしている。

テレビドラマの『TRICK』のシーズン1の最終回に、山田奈緒子(仲間由紀恵)が「安室奈美恵とウーパールーパーを足して2で割ったような女の子を見かけませんでしたか」という台詞があったと思うのだが、リナ・クードリを見るたびに、それが蘇ってきてしまって困っている。

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