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「スキ」を仕事にできなくてもいいのだけれど…

先日、近年、急成長しているアパレルショップに行ってきた。いわゆる、プチプラで、大衆的な薄利多売のお店である。

わたしは防災バッグを作るために、ネットでリュックサックを調べていた。その店の商品は頑丈そうであるし、容量もまずまずだと思った。ただ、実物を確認してから購入したかったので、電車に乗り、その店まで足を運んだ。

駅から歩いて20分。やっとこさ、到着し、店舗内を2周するが目当ての商品はない。うろうろ探すものの、見つからない。店員さんに「すみません」と声をかけると、一瞥もされず、「少々お待ちください」と言われ、去られてしまった。その男性店員を遠目に見ていると、レジに立ち、大量に商品を購入している人の対応を始めてしまった。その後ろに人も並んでいる。おそらく、待っていても、戻ってこないような気がする。そのように判断したわたしは、次に棚の整理整頓をしている女性店員に声をかける。スマホの画像を見せながら、この商品はありますか、と尋ねる。

「取り扱いはないです」

以上の一言で終わってしまった。ネット注文できるとか取り寄せができるとか、新たな情報はなく、事実伝達のみ。びっくりした。挨拶的な表現やクッション的なやりとりもなく、本当にこの一言だけだった。簡潔でよいし、笑顔を愛想もいらないのだが、「この会社、ヤバくない?」と思ってしまった。ロボットのような店員に人扱いされずに、あっけにとられた。(そもそも、わたしは背が低いので、なめられがちではある)

「好きなことを仕事にしよう!」なんてことが盛んに喧伝されたりもするが、好きなことだって仕事にしたら好きでなくなるのが世の常だ。だから、好きなことを仕事にする必要なんてない。キラキラシュガーパウダーでコーティングしても、しょせん仕事は仕事。それ以上でも以下でもない。

しかしながら、「自分の仕事が嫌い」「この仕事をしている自分が嫌だ」「自分の仕事が憎い」というのは、とてもまずい気がする。わたしもそういう状況に陥ったことがあるので、彼らのふるまいはわからなくもない。もしかしたら、ものすごくひどい労働環境なのかもしれない。ただ、ヘルプ的に来ている日雇い的な働き方の人だった可能性もある。

仕事の中に、「楽しい」とか「やりがい」とか、「ちょっとした達成感」とかは本当に必要だと思う。それがなければ、仕事が嫌いなわたしが嫌いな仕事をして一日を過ごす、という悲惨な毎日になってしまう。もちろん、その小さな楽しみすら、ぶち壊す、嫌な客や上司がいたりするのもわかる。

ただ、自分の仕事を好きになれない、何の楽しさも見いだせない、というのは、なんとも悲しいことであり、本人にとっても辛いことだ。わたしは仕事の中に、自分にとって大事な何かが一つぐらいあれば、それを吹き飛ばせると思っている。(まあ、わたしは自分が何かを工夫して数字が伸びている、といった、はっきりと証明できることで確認するのが好きなのだけれど)

二人の店員さんの行動でジャッジメントするのはアンフェアだと思うが、そのチェーン店には二度と行かない、と思う。おそらく、労働環境に大きな問題があり、企業として構造的な問題を抱えているはずだ。消費者としてはそのような企業を選択すべきではないだろう。

その後、グローバル企業でブラック企業でウイグル自治区での強制労働問題なども抱えている某アパレルショップに立ち寄る。商品の陳列はわかりやすく、店員さんも迷っていると話しかけてくれる。セルフレジも簡単で、ストレスフリーだった。しかし、この店だって問題があるから、利用すべきではないこともわかっている。一貫性がないよね、本当。

ただ、いち消費者としては、問題のある企業を使わない、という選択をすると買い物も外食も選択肢が猛烈に狭まり、難しくなるのが現実だ。そのあたりでどう折り合いをつけるべきか、自分でも判断ができない。もう、極力買わない、外食しないとか、そういうことになってしまうかもしれない。

日本の大企業と個人事業主的な小規模のところのサービスは総じてレベルが高いと思う。おそらく、そうでないと生き残っていけないからなのだろう。サービスが過剰なぐらいで、そんなにやらなくてもいいのに、と思うことも、しばしばある。

その一方、中間にある中規模の企業ほど、極端な差があるような気がする。お客さんより先に働いている人を大事にする。大事にされた労働者は顧客にも優しくできるはず。ただ、物事はそう簡単なことでもないのだということもわかる。

「働く」って難しい。

チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!