「始めたら半分」という韓国のことわざを知る
先日、やる気が起こらず、やる気を出すために、やる気が起こるような記事を読みたいと思い、クーリエ・ジャポンの記事を読み漁っていたら、以下の記事を見つけた。
その記事の中で、「始めたら半分」という韓国のことわざを知った。
だよねー、と何度もうなずいてしまった。その通り! 始めるのが一番きついのよ。
始めたら、脳の側坐核からドーパミンが分泌されて、作業ができちゃうわけよ。とはいえ、脳の仕組みがわかっていたとしても、やる気が無尽蔵に湧き出るわけではない。
作業に没頭すると、その後にぐったりする。そのぐったりが嫌だという記憶があるからなのか、始めるまでの腰が重い。あまりに重くて、椅子に座らず、ベッドに腰掛けたら最後、寝てしまうこともある。
頭を整理しようと、To Doを書き出すこともあるが、そのリストを見ただけで、うんざりして、リストだけが残り、モヤモヤは加速する。
そのうえ、冬で寒いこともあり、帰宅後の入浴すら億劫に感じる始末。食欲だけは異様にあって、食っちゃ寝したいという欲望にしっかり負けている。ただ、この逃避をしている自分に対する苛立ちもあり、やらないことで楽をする自分を心底軽蔑しており、精神衛生上、よろしくない状態が続いている。
集中力は有限だし、ブルーライトは目に悪いので、スマホを寝床で見るのはやめた。多少、寝つきがよくなった気はするが、花粉症の季節なので、結局、目はごろごろして、まぶたは重い。
人間には恒常性があり、面倒くさがりなのは、わたしに限ったことではないのだが、なぜ、ここまで努力ができないのかが、自分でもよくわからない。確かに、この努力をしないことによるペナルティは特にない。おそらく、人生の後悔となるだけだ。やらなかった後悔、重い、重すぎる。
習慣化することに失敗している。頑張って時間をかけてやって無駄になること、失敗することを恐れている、ということもある。徒労、骨折り損のくたびれ儲けとか、本当に嫌だ。ただ、その試行錯誤を経ない限り、前に進まなかったりするのよね。あと、脳の疲労を避けようとしているのだとも考えられる。
休日にあれもこれも家で作業をしようと思うのだが、やる気待ちで夜になってしまい、そんなんだったら遊びに行けばよかったじゃんということもある。ただ、動かないのは、動けないからで、無自覚なだけで心身ともに疲れ切っている可能性も否めない。
朝は起きられないし、夜は寝てしまう。しかしだね、10分でも5分でもいいから、始められれば半分は終わったも同然なわけよ。
このことわざを信じて、ぼちぼち始めたいと思っている。