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#映画感想文235『ザ・ホエール』(2022)

映画『ザ・ホエール(原題:The Whale)』(2022)を映画館で観てきた。

監督はダーレン・アロノフスキー、原作・脚本はサム・D・ハンター、出演者はブレンダン・フレイザー、セイディー・シンク、ホン・チャウ。

2022年製作、117分、アメリカ映画。

映画館で予告編は何度も目にしていたものの、あまりにテーマが重そうだったので見るかどうかを迷っていたのだが、いやはや見てよかった。食わず嫌いはよくない。

主人公のチャーリー(ブレンダン・フレイザー)は、恋人だったアランを自死で失って以来、ジャンクフードの過食に走り、272kgの巨体となり、自宅の中を歩くことすらままならない生活を送っている。現在の彼の生活を支えているのは、アランの妹の看護師のリズ(ホン・チャウ)で、チャーリーはリズにだけは甘えることができる。

心不全の症状がひどくなり、死期を悟ったチャーリーは、娘のエリーとコンタクトを取り始める。しかし、8年前に家族を捨て、恋人と駆け落ちをして家を出たということもあり、当然うまくいかない。

本作は、人間の身近にある「害」となるものが、羅列されているようでもあった。

・安価で簡単に手に入るジャンクフード。ピザ、ミートボール入りのサンドウィッチ、チョコバー。過食による肥満症に苦しんでいるのはチャーリーだけではない。

・ネットのポルノ動画。引きこもり生活をしていても、自分を簡単に慰められる。

・新興宗教(キリスト教原理主義)のニューライフ。家族に信仰や活動を幼少期から強要されたアランは自死にまで追い込まれ、妹のリズ自身もいまだに怒りを抱えて暮らしている。

・恋愛至上主義。恋に落ちたら家族を捨てることすら許されるような風潮がある。しかし、そこで捨てられた側は深い傷を負う。娘のエリーは怒り狂って、友達もおらず、誰かれ構わず傷つけている。わたしは彼女の怒りが理解できてしまう。傷ついた自分と、父親に配慮されなかった、傷つけても構わない、取るに足らない人物として扱われたことによって傷つけられた自尊心。もちろん、アメリカの田舎で、男性と駆け落ちした父親が受容されるはずもなく、周囲による偏見や差別は苛烈だったのだろう。

・傷つくのが嫌で他人と関わらず、引きこもること。自分自身で孤独に苦しむように仕向けている人も少なくない。

どの害も、身近にあるもので、それらに蝕まれ、心と体の健康が失われることは、誰の身にも起こり得るものだ。

チャーリーの過去の行動は自分勝手ではあるのだが、どこか憎めない人でもある。娘が書いたメルヴィルの『白鯨』に関するエッセイをずっと大事に持っており、愛情深い人であることもわかる。

家族であった娘のエリーや元妻のメアリー、ほとんど家族同然であるリズに厳しいことを言われても、チャーリーは受け入れられる。皮肉なことに死を前にしたチャーリーにとどめを刺すのは、外部の人間、いわゆる社会(世間)側の人であった。

終末論を唱えるニューライフの宣教師として活動をしているトーマス。彼は同性愛は間違っていたから肉欲に溺れたアランは自死を選び、神による救済がなかったののだと言い放つ。

毎晩、チャーリーにピザの配達をしているダンは、チャーリーの具合が悪そうであったことから、ピザを取りに来る様子を見ようと、待ち伏せしている。チャーリーの巨体を目にしたダンは嫌悪感を露わにしてその場を走り去る。単なるピザの配達人のそのふるまいにチャーリーはひどく傷つく。ただ、そのダン自身も、容姿から中東かアジア系の移民であることは明らかで、ピザの配達人の薄給で食いつないでいるであろうことは容易に想像できる。弱者と弱者が傷つけあってしまう。それも、すぐそばにある現実だ。

「孤独」というのは、普遍的に人間を蝕むものであることが作品においても象徴的に描かれていたと思う。自分自身の孤独を直視して自傷行為に走ってしまう人も少なくない。チャーリーにとってそれは過食である。わたしも食に走ってしまうことがあるので、チャーリーの行動は理解できてしまう。やはり、自分以外のもの、外部に拠り所を作っていくしかないような気がする。

チャーリーの、娘のエリーを思う気持ちはある種の「祈り」のように見えた。人から気にされ、人を気遣える人間になってほしい。人に愛し愛される人間に君はなれるんだよ、と語りかけるチャーリーは、人生は生きるに値するものだし、君は素晴らしい人間なんだよと繰り返すことで、エリーが良い人生を生きてほしいと心の底から願っている。本当に父親らしい。この言葉はこれまでの罪滅ぼしではなく、エリーの未来に向けられていたと思う。言霊は馬鹿にできないとも思う。

そして、父親が死の直前であることを悟ったエリーが目に涙を溜め、狼狽する姿は、子ども時代からの父親への思いが溢れ出すようでもあり、ぐっときた。本当に嫌いな父親と子どもは会おうとはしない。エリーの態度は刺々しく最悪だが、やはりチャーリーは悪い父親ではなかったのだ。

ラストが暗転ではなく、真っ白な画面が映し出されたのにはまいった。あの光は「救済」を意味するものであってほしい。

エンドロールの最中、あちこちで鼻をすする音が聞こえ、嗚咽を堪えている観客がたくさんいた。他者の孤独と痛みに共感できるのは人間の強みであるとも思う。こればかりは映画館に行かなければわからないことなので、足を運んでよかったなとしみじみ思った。

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