#映画感想文259『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』(2023)
映画『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース(原題:Spider-Man: Across the Spider-Verse)』(2023)を映画館で観てきた。
2023年製作、140分、アメリカのアニメーション作品。
公開初日に映画館に観に行ったものの、感想として何を書いたらいいかわからず、時間が過ぎてしまった。すごかったことは確かなので、公開が終わる前に書き留めておこうと思う。
とにもかくにも、映像がすごい。色彩が鮮やかで、表現のバリエーションが無数にあり、情報量が多く、圧倒されてしまった。
帰宅後、配信で『スパイダーマン:スパイダーバース』を見て、登場人物の情報を補完したりもした。(公開当時の2018年は、映画を観る精神的な余裕がなかった。人生は変化していくのだなと思ったり)
スパイダーマンシリーズにおいては、「大いなる力には大いなる責任が伴う」というメッセージが繰り返されていた。それと引き換えに、主人公は自分は特別な存在、唯一無二の存在としての誇りを持ち、それゆえの孤独に苦しんでいた。
本作の舞台はマルチバースであり、「スパイダーマンはあなただけではない」「あなた以外にも無数のスパイダーマンが存在しており、彼らも宿命を背負っており、それは避けられない」という、ヒーローにしてみれば悲しい宣告をされてしまう。
それは十代の若者が直面する葛藤のメタファーなのだろうか。特に十代後半は自分自身のアイデンティティや個性、才能に拘泥する時期でもある。親世代との価値観の違い、ギャップによって、諍いを起こしたりもする。人より抜きん出たいという自己顕示欲を抱えながらも、みんなと一緒がいい、という埋没を望んでいたりする無茶苦茶な時期である。
主人公のマイルス・モラレスは、明るくて本当にいい奴なのだけれど、正直に生きることができなくなりつつある微妙なお年頃である。
マイルスの前に現れるスポットという敵も、憎めないコミカルな存在として描かれており、カオナシを想起させる。彼は社会人、組織の人間として生きることの困難さを象徴させたような存在として描かれていたように思う。
ともかく、お話としては前半が終了しただけなので、後半を観てから、もう少し深掘りができたらと思う。
ただ、映像作品、アニメーションの表現技法の凄さでいえば、他の追随を許さない作品であることは間違いなく、スパイダーマンに興味がない人にも映画館での鑑賞をおすすめしたい。たぶん、テレビサイズで観たら、何が何だかわからないと思う。まあ、映画館でも、把握はできていないのだけれど、間違いなく映画体験と呼べるものが体験できると思う。
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