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#映画感想文312『オッペンハイマー』(2023)

映画『オッペンハイマー(原題:Oppenheimer)』(2023)を映画館で観てきた。

監督・脚本はクリストファー・ノーラン、出演はキリアン・マーフィー、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・ジュニア、フローレンス・ピュー。

2023年製作、180分、アメリカ映画。

オッペンハイマーは物理学者だが、学問一辺倒な人ではなく、大学の中に労働組合を作ろうとしたり、共産主義に傾倒したり、とめずらしい人であった。ドイツが核実験に成功すると、アメリカは負けじと原子爆弾を作るプロジェクトマンハッタン計画を推進していく。そのプロジェクトリーダーとして、オッペンハイマーは役人のように、政治家のように立ち回る。そして、広島と長崎に原爆が落とされる。

オッペンハイマーは、罪悪感に苛まれ、苦悩していたのは確か。ただ、それは原爆投下による22万人の死に対するものだけではないように思われた。もちろん、それも含んでいるが、愛人が自死をしたり、組織の中で徐々にパワーを失っていくこと、他人を信頼できず追い込まれていくさまは見ていて痛々しいが、結局、人間は自分のことでしか悩めないのだ。そんな小さな人間が、大量破壊兵器を作ってしまえること自体が悲劇なのだろう。

原爆をどこに投下するかを話し合う会議は、さながら『ヒトラーのための虐殺会議』(2022)であった。この映画は、おじさんたちが、ひたすら、ユダヤ人を効率よく殺す方法について淡々と話し合うシーンが延々と続く。本当に退屈なのだが、まともそうな人たちが、平然と残酷なことを官僚的にやってのけるという事実にぞっとする。

『オッペンハイマー』も、おじさんたちの立ち回りをずっと観る映画なのだが、そこはクリストファー・ノーラン。映画とは、動画、活動写真なので、おじさんたちがただ話し合うシーンでも、首をかしげるおじさん、足を組むおじさん、煙草を吸うおじさん、頭をかくおじさんと、多種多様なおじさんが常に動き続けており、何とも忙しない。3時間というボリュームの映画なのだが、早送りを見ているようで、気を抜くことのできるシーンがなかった。

愛人役のフローレンス・ピューはなぜ出てきたのかわからない。オッペンハイマーが「君は思想的に揺れないのか」と尋ねると、愛人となる彼女は「揺れてみたいわ」と答える。その直後、案の定、ベッドシーンになるのだが、これダサい。超絶ダサい。ノーランに誰もツッコめなかったのか。もう少し暗示的にやったらどうだい。

人類は、作れると思ったら作りたいし、好奇心は止められない。現代人も、生成AIが何を奪うのか、機械の自動化で何が失われるのか、わかっていても、誰も真剣に止めようとはしていない。想像力が乏しいのではなく、想像力を働かせて他者を慮るのは面倒なのだろう。

『オッペンハイマー』は評伝映画として、実に正しい。ノーランの解釈は非常に抑制的で、政治性もわからない。彼の作家性は見えづらい。ノーランは難題に挑んだように見えるが、巧妙に逃げている。皮肉ではなく、お上手であると思う。



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