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「イケメン」はもうおしまい

「イケメンの時代は終わった。これからは○○だ!」みたいな記事ではない。

「彼はイケメンだよね」と外見をジャッジメントをする時代は終わった、という話である。

そもそも、日本人は他人の外見についてコメントしすぎていると言われている。久しぶりに会って「太った?」「痩せた?」を口火にして会話を始めることも、めずらしくはなかっただろう。わたしも「ちょっと痩せた?」ぐらいのことは言っていたかもしれない。でも、これからは、おそらく言わないだろうと思う。

数か月前、「イケメン」という表現に違和感を覚えている自分に気が付いた。同僚の若い男性が「イケメン」と呼ばれていた。本人は気まずそうでも、まんざらでもないというわけでもなく、ただ黙って愛想笑いをしていた。おそらく、本人はそれほど気にしていないだろう。言われ慣れている感じもあった。でも、鼻につく感じはない好青年だ。

しかし、イケメンとは言われないほかの同僚男性の立つ瀬がないではないか、とちょっと思ったことと、女性に「かわいい」とか「美人」というのは、もう完全なるセクシャルハラスメントである。「イケメン」も、どういう関係性であれ、もはやセクハラであると思う。

もちろん、褒めている。褒めているのだけれど、「イケメンですね」と言った時点で、「わたしはあなたの顔面を評価できる立場です」という宣言にもなってしまう。「イケメン」は、もうコミュニティの中では使えない名詞なのである。

そもそも誰かの外見を評価する必要なんてないし、誰かに評価される筋合いもない。よしんば、評価していたとしても、それを口に出す必要はない。心に秘めておけばよろしい。

「ルッキズムとか、うるせえよ」とわたしは思わない。外見のことで、他人を傷つけたこともあるし、傷つけられたこともある。

ポリコレ、コンプラのせいで窮屈な時代だとも思わない。この二つの概念が自分を守ってくれているようにも感じるし、さまざまな事象が言語化されていくのは、むしろ清々しい。今の世の中が窮屈だと不満たらたらの人は、特権的な立場にあるのか、あるいは優越性のある立場にいると勘違いしているトンマであることを自覚されたほうがよいと思う。差別できない不自由を堂々と語るのってすごく恥ずかしいことだ。

近しくて親しい関係の人にだけ、「あなたは世界一のイケメン」「あなたは銀河系で一番かわいい」と伝えればいいだけの話。時代が変われば感覚や感性もどんどん変わっていく。それは本当に面白いことだと思う。

チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!