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誰かを評価したくなったとき(内的準拠枠の話)

誰かを評価したくなったとき、どうするべきか。わたしは、今、誰も評価しないことに挑戦中である。

評価しそうになったら、思考を止める。考えないことに集中する。

例えば、誰かの言動に引っかかりを感じて、それを分析して、人をジャッジメントしてカテゴライズする。すると、次に会うとき、その人に相対するとき、色眼鏡をかけて接することになる。

これはお互いにとってよくない。もちろん、ひどいことをされた場合は、話は全然別である。しかし、わたしだけでなく、他人をジャッジするのが癖になっている人もいるのではないだろうか。

すれ違いざまに、面識のない女性に「ブス」などと言ったりするのは圧倒的に男性に多い。男性たちは、なぜ自分が女性の容姿をジャッジメントする特権的な立場にいると勘違いしているのだろうか。なぞだ。

でも、そのジャッジに使う時間自体が無駄で、結局、自分のものさしで他人を測定しているに過ぎないのだから、自分ができる以上の評価はできない。

心理学(カウンセリングの世界)では内的準拠枠(internal frame of reference)と呼ばれているものだ。端的に言えば、「自分の基準」「自分のものさし」だ。この考え方を知り、これが自分も他人も苦しめているような気がした。

「ぼくが思うあなたのイメージから外れないでください。もっと優しい人としてふるまってください」

と面と向かって言われたことがある。そのときは「はああ?」と思って、心のうちで激怒した。わたしは返事をしなかった。イメージを押し付けられたことに相手の尊大さを感じた。

そして、今ならわかる。彼の中には、かくあるべき「他者」のイメージが知り合いそれぞれに付与されていたのだと思う。無意識のうちに。

これって、結構、怖いことではないだろうか。それに「わたしの考えるあなたのイメージから外れるな」って、ものすごく押しつけがましい。

他人には言わずとも、自分が応援している推し(芸能人やアニメのキャラクター)には当然の権利であるかのように「わたしが考える枠から外れるな」と堂々と言っている人は少なくない。

評価する側も、評価される側も、お互いに息苦しくなるから、やめようよ、と思う。そして、評価しなくても、人間関係は円滑を進めることはできる。「予想外のことをしてくれるな」というのは、脳みそが怠けているだけなのだ。自分のものさし、あるいは強固な檻から、意識的に離れる訓練をしていきたいと思っている。

チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!