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#映画感想文226『冬の旅』(1985)

映画『冬の旅(原題:Sans toit ni loi)』を映画館で観てきた。

監督・脚本はアニエス・バルダ(アニエス・ヴァルダ)、主演はサンドリーヌ・ボネール。

1985年製作、105分、フランス映画。

ちなみに1985年 第42回ベネチア国際映画祭の金獅子賞受賞作品である。

ある朝、若い女性の凍死遺体が畑のそばで発見される。それが主人公のモナ(サンドリーヌ・ボネール)である。物語は、彼女が旅の中で出会った人たちが、彼女とのやり取りを回想し、証言していく、といった構成で進む。それゆえ、語り手は自分にとって不都合なところは隠蔽したり、ときに嘘をついたりする。しかし、彼女はすでに亡くなっているので、反論のしようがない。

モナは、ヒッチハイクをしたりもするが、基本的には一人で歩き、しかも野宿をしたり、空き家で雨風をしのいだりする。いくら治安が良かったとしても、非常に危険な行為である。

ときどき、日雇い労働をして日銭を稼いだり、なかには善意で泊めてくれる人もいる。突然、強姦されたりもするが、その悲劇性は強調されない。売春を半ば強要されたり、レイプがあったことはわかるのだが、そのシーンは直接的には描かれておらず、あえて加害シーンを描かない、というやり方は以前からあったのだと改めて確認することができた。それは女性監督であることと無関係ではないだろう。

女性がモノ扱いされる現実は、ことさらには強調されないのだが、女性の裸のポストカードが売られていたり、そのようなカレンダーがモナの後ろに映り込んでいたりする。映画なので、単なる偶然であることは考えにくい。監督が社会背景がわかるものとして、あえて撮ったのだろう。

モナの口癖は「働きたくない。頑張りたくない」で、実際、彼女は雇ってもらえても、世話になっても、一生懸命に恩返ししたりはしない。すぐに煙草を吸い始め、サボる。助けた人たちは、彼女のふるまいに落胆する。みんな、すぐに見返りを求めてしまう、という人間の弱さと傲慢さがそこにはある。

彼女の語りによれば、大学卒業後、秘書として働いていたが、やりがいを見いだせず、放浪の旅を始めたらしい。

この怠惰な女の子の存在が、むしろ清々しいとさえ、思えてくるから不思議だ。一生懸命働いて何になる? 怠惰で何が悪い? 煙草も大麻も大好き。ずっと寝転がって暮らしていたい。髪も服も汚れていて臭いけれど全然気にならない。何もかもどうでもいい。彼女はあまりにも正直すぎるのだ。

しかし、まあ、そのような自暴自棄の怠け者が生きていけるほど、フランス社会も優しくはない。次第に彼女は行き場を失っていく。

彼女が緩慢な死を選んだことは間違いない。旅を始めた時点で、セルフネグレクト状態であったし、夢も希望も持っていなかった。もちろん、そうなってしまった背景には女性の大卒者でもお茶くみばかりでまともな職場がなく薄給であった、ということもあるだろう。

ただ、その一方、怠惰であることを謳歌したい人がいても、何ら不思議ではない。労働者になりたくない。妻にも母親にもなりたくない。いっそのこと、娘であったことも忘れてしまいたい。

女の一人旅が危険でも、危険であることが旅をやめる理由にはならない。彼女は出会った人たちの期待にも応えようとしない。彼女は人生に絶望しながら、決して自分以外の人間になろうとはしなかった。誰かに愛されようとしたり、世の中の役に立とうともしなかった。それも、ひとつの選択で、わがままではない。彼女が好きに決めていい。

一生懸命に生きたくない、という女性を誰が責められるだろう。ただ、自由であることは常に代償を伴う。だらしなく生きるのも、本当に難しいことなのだと今更ながらに知った。


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