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マネタイズというケチくささ

「時は金なり(Time is money)」ということわざは、幼少時から頻繁に聞かされてきた。

「時間は貴重なものですから、大事に使いましょう」

これぐらいなら、受け容れることは難しくない。

しかし、これが行き過ぎると、時間管理と効率化、なるべく無駄な時間を過ごすな、という抑圧がやってくる。

物事を「金になる」「金にならない」の二分法で判断することの、せこさ。

「いつか金になるかもしれない」という淡い期待も、お金という尺度にとらわれ過ぎている。

もちろん、わたしも貯金をしている。ただ、ハイパーインフレなんか来た日には、一瞬で、ただの紙屑となるような量だ。ご近所さんと仲良くしているわけでもないので、飢え死に確実である。

(アルコール中毒で酒の空き瓶の中で暮らしていた弟と勤勉で貯蓄を怠らなかった兄の寓話が意外と好きだ。ハイパーインフレだか戦争だかがやってきて、兄は一文無しで困窮、弟は酒の空き瓶を売って暮らしたというキリギリス賛歌のオチは嫌いじゃない)

「それってマネタイズできるの?」

これはビジネスで上司が発する言葉としては、何も問題はない。当然の指摘だ。しかし、その思考は、我々の日々の暮らしにまで浸食しているような気がする。

例えば、わたしはnoteで年間1,000円とか2,000円でもいいから稼ぎたいと思っている。せっせせっせとAmazonのアフェリエイトを律儀に貼り、クリック数を眺めている(ちなみに今のところ、購入してくれた人は一人もいないので、収入は0である)。とても貧乏くさい。ケチそのもの、守銭奴である。読んでもらうだけでは満足ができない餓鬼である(←そこまで自分を責めなくていい)。

インフルエンサーや芸能人なんかは、生活のすべてを金に繋げられるのだし、それが商売になっている。それが受け手である消費者にとっても、当たり前になっている。ステルスマーケティングだけでなく、露出し、話題になり続けることで、回りまわって収入になる。これは一般素人にはなかなかできないことだ。有名人にとってのSNSは、収益にもなるうえ、承認欲求を満たせる。まさに一石二鳥。ただし、炎上には気を付けるべし、といったところか。

そして「Youtubeやブログを収益化!」という情報商材がネット上にはあふれている。その被害者もまた高い授業料を支払わされたことに怨嗟を吐きながら情報商材を売るサイトを作るのだろう。民事訴訟にならず、消費者庁から怒られず、GoogleからBANされない程度のよい塩梅の情報商材(ほぼ詐欺)のコピーが粗製乱造されていく。

それは今に始まったことではない。昔から、ネズミ講、アムウェイ、ネットワークビジネスなどいろいろある。ファミレスで熱心に話している男子大学生は、たいていネズミ講にはまっている。

話を戻す。お金になるのか、お金にならないのか、それだけが行動基準になるのは、一抹のさみしさといったセンチメンタルなものでなく、実は恐ろしいことなのだと思う。「金という数値的な尺度のみ」が人間を規定することを自らに刻印することになるからである。そして、何でも売買可能だと考えることも、勘違いに過ぎない。

その思考は日常生活の中にも染みこんでいくだろう。無駄なこと、余計なことはしたくない。たとえば、家事労働を忌避する人なんかはその典型である。彼らは、金にならないから家事をしたくない。最低限のことで生活を立ち行かせようとする。(社畜時代のわたしがそうでした!)

しかし、お金にならないことの豊潤さは、いくらでもある。ただし、そこでも、やりがいをエサに無償労働をさせ、搾取してやろう、という輩もいるので、もう油断も隙もあったものではない。

(金を支払わせた上で働かせたりするサロンビジネスは情報商材よりたちが悪い。新興宗教に酷似している)

とにかく、金にならないことをもっと大事にしたほうがいい。意図せずにやったほうがいい。

(ある商品やサービスにお金を払うかべきかどうかを吟味するのは、また別の課題である)

時間は無駄遣いしていい。昼寝をしてもいい。長風呂をしてのぼせてもよい。つまらないと思いながら読み続ける小説の結末がやっぱりつまらなくても、つまらないという経験には、豊かさがある。

「無駄」の意味を2020年10月に赤い公園というバンドの津野米咲さんの訃報を目にしてから、わたしは何度も考えている。

彼女は、SMAPの『Joy!!』という曲の作詞作曲をしている。2013年6月にSMAPの記念すべき50枚目のシングル曲で、まさに抜擢であった。SMAPの曲はコンペ形式で、名だたるミュージシャンたちの公募から選ばれる。(コンペについては、西寺郷太さんの記事を読んでください)

彼女は『Joy!!』のサビで、こんなことを言っている。

無駄なことを一緒にしようよ
忘れかけてた魔法とは
つまり Joy!! Joy!!
あの頃の僕らを
思い出せ出せ 勿体ぶんな
今すぐ  Joy!! Joy!!
SMAP 『Joy!!』 作詞・作曲 津野米咲

彼女は21歳にして、無駄なことの重要性がわかっていた。リリースされた当時も「ずいぶん大人びた人だな」と思ったことを覚えている。つまり、当時からすでに彼女は無駄なことをする余裕がなく「無駄なことをやろうよ」と自ら宣言しなければならないぐらい忙しいのだろう、と思った。それか、多忙を極めるSMAPと現代人へのささやかなメッセージとして作詞したのか、実際のところはわからない。

「あえて無駄なことをやって人生を楽しめ!」というメッセージは、今のわたしにはとても響く。意味とか、金とか、考えれば考えるほど、自分の行為がつまらなくなっていく。好奇心の赴くままに、脳が喜ぶことをやればいいのだ。初期衝動に勝るものはない。(もちろん、犯罪は駄目ですよ)

お金にも時間にも貧乏性な人は、まず自分に無駄なことをしてもよい、と許可を出す必要がある。

明石家さんまさんの「生きてるだけで丸儲け」という言葉は好きではなかった。端から生きることを金勘定しているようで、受け入れがたかった。ただ、明石家さんまさんはこの世の「地獄の沙汰も金次第」という大前提をふまえたうえで「生きているだけで、すでにあなたは大富豪なのです」と言っているのだと最近は思っている。「あなたはすでに富豪なのだから、何をするのも自由なのですよ」と。

椎名林檎さんも『ありあまる富』という歌の中で「人間の価値は命にしか付随しないのだから、あなたはすでに資産家」と歌っておられる。

(この曲が主題歌のドラマは、脚本が本当にひどかった。文句を言いながら見ていた、あの無駄な時間が愛おしいではないか)

マネタイズって、あんまり好きじゃない言葉だと思ったら、こんな長文になってしまった。

無駄とか無駄じゃないとか、意味があるとか、意味がないとか、お金になるとか、お金にならないとか、そういうことを考えないこと、そこから解放されないと息苦しいままだ。これからは、考えない訓練が必要なのだと思う。この単純化された二項対立は、行動をストップさせる厄介な壁なのだから。

そして、これはミヒャエル・エンデが『モモ』で訴えていたことでもある。時間泥棒は外からやってくるのではなく、中から増殖を始めるのだ。

わたしたち現代人は、もはや、自ら自らを搾取するモンスターになっているのかもしれない。

チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!