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妊娠19週 せつが教えてくれること【3】

記録と自分の気持ちの整理のために、書かせてください。

入院二日目、朝の処置。
カーテンの向こうから先生の小さな声が聞こえる。
「10本用意して」
え、じゅ、じゅう?昨日4本だったよね?10?
聞き間違いだと思いたかったが、本当に10本だった。
このまま明日の朝まで待ち、開き具合を見てお薬(陣痛促進剤)を入れると説明され、処置は終わった。

病室に戻り、昨日と同じようにベッドの上で本を読んで過ごした。

ふとインターネットで調べてみると、小さいままおなかの中で亡くなった赤ちゃんに着せてあげる産着の作り方が載っていた。
私は、母親にガーゼハンカチと裁縫道具を持ってきてもらい、これを作ることにした。
この子のためにしてあげられることは、今はこのくらいしかない。
ちゃんと着られる状態で出てきてくれるかもわからなかったけど、裸のままじゃ寒いもんね。

実際に作った産着


夕方、生理痛のようなおなかの痛みが出てきた。
定期的にくる、ズシン、ギュウっとする痛み。
その頻度はどんどん上がり、22時ころには5分間隔で来るようになった。
これは陣痛なのでは?と思いつつ、ナースコールを押す。
看護師さんに痛いと伝えると、「夕方から痛みの強さは増してますか?」と。
正直、痛みの強さはあまり変わらない。
ただ、頻度が多い。
「痛みが増すようでしたら痛み止めも出せるので、また言ってくださいね」と言われ、我慢した。

3時間後、眠れないのが辛くて痛み止めをもらった。
薬を飲んでからも寝たり起きたりを繰り返し、一晩中痛みと格闘した。
早く朝になってほしいと思いつつ、産むことを想像するとこわくて、朝が来ないでほしいとも思った。




入院してから、自分の気持ちと向き合った。

それは、仕事について。

私は身体を動かす仕事をしていて、その頻度を減らすために、妊娠が発覚して二ヶ月後には同僚だけでなくお客様にもにそのことをお伝えした。
まだ安定期に入る前だった。
もちろん、お伝えしたすべての人が「おめでとう」と言ってくれたし、それについて文句を言う人は一人もいなかった。
ただ、たくさんの人が妊娠の事実を知っているということは、この状況を伝えなければならない人もたくさんいる、ということになる。
会う人会う人に気を遣わせてしまう。
きっと、何と声をかけたらいいかわからない。
私も、どうしたらいいかわからない。

そして、頻度は減らしたが、ほぼ変わらず動いていた。
ダウン、ジャンプ、転がったり、側転したり。
あまり良くはないとわかっていても、動けてしまったから。
心配だし動きたくないなと思うときも、仕事が始まってしまうと抑える方が難しかった。

もし無事に出産できていたとしたら、約一年間育休をいただくことになっていた。
4月から産休でお休みし、一年後の4月に復帰予定。
私は、それはそれでとても不安だった。
お客さんは待っていてくれるのか。
戻ってきてくれるのか。
一年って長いよな。
今と同じように動けるのかな。

赤ちゃんができて嬉しい気持ちでいっぱいだったが、その影にはいつも仕事への不安があった。

これらはずっと心の中にあったけど、感じてないふりをして、誰にも言わなかった。
子どもがほしいと思っていても、それが現実的に想像できなかった。
私はずっとこの仕事をしていくのか。
子育てをしながら?いつまで?
もしもう一人できたら?また休む?休める?

独身のときは、自分の好きな仕事をして、好きなことにお金と時間を使い、それが幸せだった。
休みの日に仕事が入っても、それが普通と思ってた。
無給だけど、元々そういう契約だったから、別によかった。

結婚してからは、休みの日は夫との時間を持ちたいと思うようになった。
週に一回しかない休み。
できるだけ一緒に過ごしたい。
仕事入らないでほしい。
どうせお金も増えない。
そして、仕事が忙しいと家のことがままならない。
時間に余裕がほしい。

これが、きっと子どもができたら、また変わる。
子どもと過ごす時間を一番大事にしたい。
週休二日で、夜遅くならない仕事がいい。
家族でたくさん過ごしたい。
たまには旅行も行きたい。
ということは、お金もちゃんと稼がないと。

人生において、自分の一番大事にしたいことはどんどん変わる。
それに合わせて、生活スタイルも変えていかないといけない。
仕事や趣味が一番なら、最初のままでよかった。
でも今は違う。

また赤ちゃんをおなかに迎えるためには、その前に私が準備するべきなんだ。

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