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私が見た南国の星 第2集苦しみを「乗り越えて」④

怖い人が登場しました。こんな人と渡り合って来られた野村さん、女傑といってもいいかもしれません。「頑張れ!日本のママ」


劉氏脅迫される


 社員たちのストレスを解消させるために、龍氏が社員たちを連れて町へ出掛けた。夜の9時が過ぎて、仕事を終えた社員たちが楽しそうに身支度をしていた。私は、
「みなさん、今日は綺麗ですね。何処へ行くのですか?」
と尋ねた。
本当は龍氏と町へ出掛けるのだとわかっていたのだが、彼女たちの笑顔が見たいので声を掛けたのだった。
「ディスコ」「買い物」さまざまな答えが返って来た。社員たちは本当に楽しそうだったので、それ以上の事は口を出さないようにして暫く無言で彼女たちを眺めていた。あまりにも社員たちが遅いので、玄関先で待ちきれなくなった龍氏は、女子社員のいる部屋に入って行った。
「みんな、遅いよ!早く行こう」
と彼自身も楽しそうだった。そして、私に対しても誘いの言葉をかけてくれたが、疲れていたので断った。数人の社員を連れて出掛ける龍氏は、まるで子供のようだった。
 その数時間後に彼の気分を害する出来事が起きる事は、誰にも予知することはできなかった。
 私は龍氏と一緒に出掛けなかった社員たちと日本語の会話練習をしていたが、何故かこの日だけは変な胸騒ぎがした。十二時近くになっても戻ってこない社員たちの事も心配だったで、龍氏に何度も電話をしたのだが電源が切られた状態だった。心配になった私はフロントの社員へ事情を話した。同行した社員の携帯電話に連絡をしてもらって、やっと龍氏の声を聞くことができた。
「龍さん、どうしたの?帰りが遅いので電話を掛けたのですが」と言った瞬間、彼は小さな声で「直ぐ戻ります」と一言だけ答え、電話を切ってしまった。何だか元気のない声だったので、ますます気になり彼が戻るのを待つ事にした。彼の帰りを待つ時間がとても長く感じられ、ホテルの駐車場付近から道路を眺めていると、遠くからヘッドライトの明かりが見えたので、龍氏が運転している車だと思った。やはりそれは彼の車だった。社員たちの話し声が聞こえたので事務所から顔を出して
「静かにして!早く部屋へ戻って休みなさい」
と声を掛けた。
「ごめんなさい、直ぐ寝ます」
と社員たちから明るい声が返ってきた。
 ところが龍氏の姿が見えない。「何処へ行ったのかしら」と思い彼を捜した。すると、彼は庭の片隅にあるベンチに座っていた。近くまで言った私は、声を掛けるのも何だか戸惑いを感じた。彼は下を向いて考え事をしているようだった。やはり何かが起きたとしか思えなかった。思い切って声を掛ける事にした。
「龍さん、町では社員たちと楽しかった?」
彼は少し元気が無い様子で、
「はい、社員たちだけね」と答え、その後は無言だった。やはり、いつもの彼とは違うという気がして、胸騒ぎがした。何が起きたのかわからないままでは、明日の業務にも差し支えるので、
「龍さん、何か心配事でもあるのですか?」
と声を掛けた。すると彼は、
「恥ずかしくて言いたくないです!」
と答えた。恥ずかしい事と言われても全く検討がつかないので、なるべく興奮をさせないように気を遣いながらもう一度尋ねてみた。
「龍さん、差し支えなかったら話してくれませんか」
と聞いてみても、ため息をつくばかりだった。そして、暫くして
「お姉さん、隣の鄭さんはやっぱり悪い男ですよ」
と言った。どうして急に鄭氏の事を言い出したのだろうと不思議に思った。すると、彼は、ゆっくりと
「実は、僕の携帯へ何度も電話が掛かってきたのです。でも、彼ではない声でした。たぶん別の人だと思いますが、鄭さんがきっと頼んだのでしょう」と言った。
「どんな事を言われたのですか」
彼は私の質問に対して答えようとしなかった。自分でも怖くなったのだろう。暫く無言だったが、少し落ち着いてから
「僕が鄭さんの以前の業務について調査をしているから、余計な事をすれば僕の家族が安心して生活が出来ないようになると言われました」
と、とても心配そうな表情で打ち明けてくれた。彼の家族は海口市に住んでいて、妻と女児が一人いる。毎日、妻から電話が掛ってくるという仲の良い夫婦だ。単身赴任なので、彼の寂しい気持ちは痛いほど分かった。海口市に残してきた家族に何か起きたらどうしようと、悩んでいる様子だった。まさか、あの鄭氏がそんな脅迫までしてくるとは思わなかったので、
「龍さん、あなたの考え過ぎかもしれませんよ。鄭さんがそこまでするなんて信じられないわよ」
と私は言った。しかし龍氏は真剣な顔で言った。
「お姉さんは知らないだけですよ。彼は暴力団の友達がたくさんいます。それに中国人は本当に行動をします。あなたも今はわからないかもしれませんが、そのうちわかると思います」
その言葉が本当の事であれば、やはり鄭氏は只者ではない。そして、日中友好組織のN氏も日本人として最低の人間だと腹立たしくなって来た。時間も深夜の一時半近くになっていたので、今日はどうする事も出来ないと説明して、静かに休ませるのが先決だと考えた。そういう私自身も、なかなか眠りにつくことが出来ずに夜明けを迎えた。
 早朝、龍氏は家族の安否を確かめようと電話を掛けていた。私は、そんな彼の様子を少し遠くから眺めていた。彼は家族の無事を確認したようで、少し元気を取り戻していた。それを見て私の気持ちも落ち着き、いつもどおりの気合を入れて、レストランへと向かった。劉氏も朝食時顔を合わせた時には笑顔が戻っていたので、
「龍さん、今日も元気で頑張って下さいね」
と声を掛けた。彼も
「はい!」
と元気な声で答えてくれた。
「もう、昨日の件については触れないようにしよう」
と、心の中で呟きながら一緒に食事をした。
 しかし、この件はまだ終わっていなかった。夕方の4時過ぎだった。龍氏が業務の事で私の事務所へ来た時、彼の携帯電話が鳴り出した。彼自身も、この電話が昨日の続きだとは思いもしなかったようだった。電話に出た直後、彼の顔色が急変した。電話のやり取りが海南語ではなかったので、大陸人との会話だと私は直感した。やがて龍氏の口調がだんだん強くなってきたので
「きっと、あの人物だ」と思った。彼は電話を切った後、青ざめていたので、優しい口調で尋ねた。やはり、私の思った通りだった。
「龍さん、余り何度も脅迫をしてくるならば公安局に相談しましょう。この会社に関係する事なのだから」
と私の意見を言いました。しかし彼は、
「そんな事を相談しても同じです。鄭さんは、今の県長と仲がよくて公安局も相手にしてくれません。さっきの電話は鄭さんでしたよ!」
と言い無言になってしまった。鄭氏は一体何を彼に言ったのだろう。でも、その時は劉氏がとても気の毒に見えてそれ以上彼に聞くことはできなかった。
 思い余った私は、北京の鄭氏へ電話を掛けた。
「もしもし。鄭さん、こんにちは!」
と言った瞬間、彼は私だと気づき明るい声で返事をしてきた。
「あぁ、貴女でしたか。お元気ですか。何かご用でしょうか。どんな事でも困ったら言って下さい」
と、先ほど龍氏へ脅迫電話を掛けた人物とは思えなかった。
「実は、お聞きしたい事があるのです。貴方は龍氏へお電話をされましたか?」
と尋ねると、彼は驚いた様子もなく
「はい、先ほど電話を掛けましたよ。それが何か問題でしょうか、彼は余計な事ばかりするから注意をしたのですが」
これを聞いて私は驚いた。本当に彼は、おとなしく見えるだけで暴力団と少しも変わらないのではないかと思った。しかし、私も負けてはいなかった。
「貴方が以前、このホテルを管理していた時に杜撰な処理が多くて、私も正直なところ大変困っているのです。数多くの営業許可書も正式な手続きがされていませんし、代表者の名義変更もされていませんでした」と、私はかなり強い口調で言った。彼は、そんな私に対して淡々と、
「政府の手続きについては本社も承知していますよ。正式なルートで申請をしていたら中国で会社の設立は難しいのです。貴女は日本と同じ感覚でいるから理解が出来ないのでしょう。これから中国で生活をしていかれるのならば理解が出来るようになります。政府の人たちを、お金以外で動かす事は七仙嶺の山々を移動させるのと同じなのですから」
と言った。彼と私の言葉のやりとりは30分ほど続いた。そして、彼も気分がイライラしてきたのか、
「いいですか、もし私が悪い事をしたというならば貴女の会社の社長は、もっと大変な事になりますよ」
と、今度は社長に対する脅迫だっが、私は負けずに、
「わかりました鄭さん、この件については本社へ報告をします。それによっては貴方が裁判所へ出頭する事も覚悟をしていて下さい。いいですか」
私は冷静さを失っていたのかもしれない。とにかく腹が立ってしかたなかった。
 もし、会社が彼を告訴すれば彼は実刑を免れられないだろう。中国では脱税金額で懲役の年数が決まるそうだ。酷い場合には死刑との話も聞いた。外国企業を騙した場合は、一般の法律よりも罪が重いと弁護士から聞いたこともある。過去の真実は彼が一番知っているはずだから、私の言葉に動揺したらしかった。
「いいですよ。何処へでも出頭しますが、貴女の社長も同様に罪を犯している事を忘れないで下さい。多額の日本円を無申告で何度も持ち込んできた事実があるのです」
と言ってきたのだ。その言い訳は、おそらく彼の最後の抵抗だったのだろう。しかし、この外貨のハンドキャリーについては証拠など何もない。もし、証拠があるとしたら、それこそ彼は命取りになるはずだ。なぜならば「持参した金額は一体どこへ消えてしまったのか」ということになるからだ。そうなると脱税よりも罰金の金額が増えることになる。さすがの彼も、彼も墓穴を掘ったことに気づいたらしく、
「私は貴女のホテルに対しては最善の努力をしてきて頑張って参りましたが、社長はじめ役員の方から罪悪人と思われている事は残念です」
と言って、上手く切り抜けてしまった。その電話を切ってから、龍氏に話をして彼の気持ちを落ち着かせた。
 結局、このような問題が起きたのも本社の管理体制に大きな問題があったとしか言いようがない。私がこのホテルで管理を始めてから、さまざまな問題にぶつかる度に、自分に負けないようにと一人で粋がる自分が情けなくなる時がある。「この会社は一体だれが管理をすれば上手くいくのだろうか」そんなことを考えている自分を情けなく思ったこともある。
 最も危険だったのは会社設立当初から数年間だろう。このホテルの土地及び建物までもN氏名義のままになっていたからだ。社長は、信頼していた二人に完全に裏切られていたことになる。
 この問題が発覚してから、龍氏と共に会社の代表者変更を済ませたのだが、昨年の12月23日に龍氏が辞めてしまってからは土地の名義問題や税務問題を私一人で解決しなければならなかった。私としては、今回の税務問題から始まった過去の未処理について、何とか自分の力を発揮したいと強く決意をした。
 これはほんの始まりに過ぎなかった。この後、このホテルが廃業となるまでの間には、語り尽くせないほどの難問が待ち受けていることをこの時は知る由もなかった。


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