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私が見た南国の星 第2集「苦しみを乗り越えて」⑤

「確定申告」大変そうです。会計係さん、よく頑張りました!ほっと一息です。中国の女性は気の強い人が多い気がしますが、海南島の少数民族の女性はもっと強力そうですね。

「確定申告」
 本来ならば、この二年目の海南島生活は去年の苦労をステップにして、充実した日々を送りたいと願っていた。しかしながら、龍氏が退社して依頼、彼の会計処理にも問題が多く、後任の会計係りが頭を抱えていた。公共領収書も不足していたし、帳簿の数字と毎月の税務申告表の数字が合わず、今回の確定申告のことが脳裏から離れなかった。この処理に追われながら一息ついたある日、やっと海口市の会計事務所へ依頼をして申告の準備をする事になった。会計事務所からは数人の会計士が来られたが、今までの会計処理について疑問が多くびっくりしていた。
「今まで数々の会社の税務処理をしてきましたが、こんな杜撰な会計処理では先が思いやられますよ。でも、税務局が受理してくれた事に疑問がありますが」
と言われ、とても情けない気持ちになった。これでも外国投資企業の独資企業なのだから、このホテルの件で他の日本企業の評価が下がったような思いがして、恥ずかしくてならなかった。しかし、会計士から今後の対策を教えていただき、今回の確定申告にあたり何とか無事に終了するようにお願いをするしかなかった。今までの杜撰な処理は、私が在任する前の事だとしても現在は私の管理下にあるのだから、問題が生じれば全て私自身の責任なのだ。会計係りの黎輝祥は朝早くから夜遅くまで残業の日々が続いた。しかし、彼は初めての経験だから真剣なまなざしで会計士の指導に耳を傾け、精一杯の努力をしてくれた。会計士が来社されてから三日目の午後、やっと申告に関する全ての処理が終了した。しかし、これで安心できる訳ではない。これからが大変なのだ。万一、申告した数字に疑義が生じた場合、海南省の国税局や外国企業管理局から監査が入るのだ。黎輝祥も眠れぬ夜が続き可哀想だったが、私は黙って待つしかなかった。
 数日後、彼は確定申告に関する書類を持って海口市へと出かけて行った。海口市まではバスで3時間以上の道のりだ。午後到着したら、管轄の管理局へ出向くとの事だった。ただし、申告は一箇所だけではない。国内企業と違って外国企業の場合は六箇所の管轄へ順番に書類を提出しなければならないのだ。正直私も、こんなにも大変な事だとは夢にも思っていなかった。本社の役員たちは日本と同じ感覚で思っているので、いつも私の説明を理解してくれなかった。今までこの問題以外にも、何度も理解してもらえないことがあり、私は河本氏の言葉に怒りを爆発させていた。理解してもらえない時にはいつも、
「そこまで言われるのでしたら本社の方に来ていただきたいです。ここは、日本とは違います」
と言った。この言葉は、以前から私が中国人に言われてきた言葉なのだが、いつの間にか自分が言う立場になっていた。この頃やっと、日本の業務管理とは大きな違いがあると理解できるようになった。だから、日本企業は中国で投資をするには相当の覚悟が必要だ。
そんなこんなではあったが、今年の確定申告は苦戦しながらも皆さんのお力を借りて、なんとか申請が終了した。会計係りの黎輝祥から報告の電話が掛かってきた時には
「ご苦労様でした。気をつけて戻って来て下さい」
と、心から労いの言葉をかけた。
この日の夕方5時ごろ、黎輝祥はホテルへ戻ってきたが、疲れた顔も見せず申告についての報告明細をしてくれた。彼の数日間の疲れを思い、直ぐ帰宅をさせた。
「黎輝祥、明日は午後からの出勤でいいから、ゆっくり休んでください」
と声を掛けた私に、
「謝謝、ママ」
と笑顔で言ってくれた。きっと彼自身も自分が頑張ったことに対して、私が理解をしたと感じてくれたように思う。
私自身も仕事を早めに切り上げて気分転換をしたかった。だから、通訳人の馮さんに
「やっと申告書も提出が出来たので夜は町まで買い物に行きませんか」
と聞いてみた。彼女は
「いいですよ、でも何を買いたいのですか?夜の街は悪い人も多いですからお金はたくさん持っていかないほうが良いですよ。何時ごろに出かけますか」
と、いつもどおり明るい彼女だった。
 

黎族の女性


夕食が終わり、夜の8時ごろになったので出かける準備をしていた時、社長から電話が掛かっていると私の部屋へ連絡が入った。慌てた私は
「直ぐ電話を切り替えて!」
とフロント社員に告げた。しかし、待っていても電話がつながらない。
「今日は本社の役員会議の日ではないはずなのにどうしたのだろう」
と思っていた時、馮さんが私の部屋へ来てくれた。海南語で社員に何か言っているのだが、少し口調が強いので、何か問題が起きたのかもしれない。
「どうしたの?社長からの電話が繋がらないみたい」
と声を掛けたが、埒が明かないので、
「もういいから、私の方から日本へ掛けます」
と言い、私から本社に電話した。
「こんばんは、お疲れ様です。先ほどはお電話をいただいたのでしょうか。こちらの交換が調子悪くて申し訳ございませんでした」
とにかく、この場は早く謝らなければならないと思った。
「そうですか、何度掛けても切れてしまうから心配していましたよ。どうですか?現在の状況は何か問題でもありましたか」
ゆっくり話される社長の言葉にも、緊張感があった。
「今日は確定申告の提出を全て終わらせましたので、数日後には結果が出ます」
と報告をした。社長も簡単な私の報告に対して追求されなかったのでホッとして、気が抜けてしまった。電話を切った後、どうして回線の切り替えが出来なかったのか尋ねようと、フロントに行こうとするとちょうどフロントの責任者である黄秋梅が通路を歩いていたので、呼び止めて事情を話した。すると、責任者の黄秋梅は急に顔色が変わりフロントまで走り出した。馮さんと私は、慌てて彼女を追いかけたが、すでに彼女はフロント社員を怒鳴りつけていた。
「誰が社長からの電話をママへ転送させたの!」
と大きな声がロビーまで聞こえてきたのでびっくりした私は、
「もういいから、そんなに大きな声を出さないで」
と言った。でも黄秋梅の小言は、機関銃のように止まらなかった。
「馮さん、悪いけど早く止めさせて!」
彼女も止めようとして言葉を掛けたのだが、止めることは出来なかった。
海南島には代表的な少数民族の「黎族、苗族」がいる。中でも黎族の女性は気が強いと聞いていたが、黄秋梅はその黎族の女性だ。聞いていた通りの気の強さを目の前で見た私は、
「私も日本では気が強いと言われてきましたが、彼女の凄さには負けるわね」
と、馮さんに言った。馮さんは困った顔で
「どうしますか、お姉さん」
と一言。
「この状況は、台風と同じだから去るのを待つしかない」
と答えた。
こんな調子で10分間の攻撃が続き、一人の社員が泣き出してしまった。彼女は一週間前に入社したばかりの新人だったので、操作に不慣れだったようだった。そこで私は、黄秋梅に対して一言助言した。責任者として注意をする事も大切だけれど、社員教育は叱るだけではダメだという事を説明した。しかし、彼女からは、
「わかりました」
という言葉は返ってこなかった。これが少数民族の特徴なのかもしれない。少数民族の中でも、黎族の女性は働き者が多くて、男性は怠け者が多いと言われている。男が怠け者だから、女が収入を得て家族を支えなければならないなのだという。女性の気が強くなるのも仕方のないことなのだろう。そして、どのような事があっても人に謝るという事は、恥ずかしい事だとされている。それは、文化や習慣の違いだけではなく、民族の特徴なのかもしれない。人に頭を下げたり、謝罪の言葉を言ってしまえば、自分は弱い人間だと認めることになってしまう。これも貧しかった少数民族が生きるための手段の一つなのだろうと私は思った。コブラなどの危険な野生動物も捕獲して生きてきた民族だから、軟弱では生きて行く事は出来ないのだ。このホテルの社員は少数民族が大半だが、やはり女子社員は男子社員より気が強いようだ。
 嵐が去って静かになったが、何だか町へ出掛ける気分になれず、今日の外出は止める事にした。
 

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