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私が見た南国の星 第3集「「母性愛に生きて」⑯

海南島の幽霊
 明日、事件のことが新聞に出ると思うと、夕食も喉が通らなかった。阿浪や馮さんは、私の気持ちを思ってしきりに気遣って言葉をかけてくれた。
 眠れぬ夜だった。私は一人で静かな中庭へ向かい、ベンチに座り、輝く星座を見て考えていた。
「悩んでいても明日という日は必ず来てしまう。どうしようか」
考えれば考えるほど、辛くなってしまう自分が切なく、情けなくなった。でも、そんな私をよそに、星たちはキラキラと輝いていた。暫く夜空を眺めていると、暗い通路を歩く足音が聞こえた。
「誰かしら?」
こんな夜中に歩くのは保安係りしかいないはずなのにと思って、その音を追い駆けるように私も通路の方へ歩いて行った。でも誰もいない。
「気のせいだったのかも知れない」
と思い、自分の部屋へ戻ることにした。通路から階段を下りる私の足音とは違う誰かの足音が、私の後ろから階段を下りてくるような感じがした。
「誰かしら?」
後ろを振り向いたが、やはり誰もいなかった。やっぱり神経が疲れてしまっているのだと思って、部屋の電気を消して眠ることにした。
「どうしようか、眠れない」
イライラした気分が頂点に達した。そして、階段を下りる足音がまた聞こえてきた。
「変ね、また誰かが階段を下りている」
私は気になってドアを開けた。やはり階段には誰もいなかった。私の部屋は階段を下りて直ぐの所にあるので、誰かが下りてきたら直ぐにわかる。私は自分の神経が変になってしまったと思った。
 部屋に戻り明かりを消しても、ベッドに入ると明日のことが心配でなかなか眠る事が出来なかった。小さな電灯を点けて、壁に貼ってある絵の方を見た瞬間、壁の中に人影が見えた。
 実は、私は「霊」を見たり、「霊」と交信をして遊んでいるような子供だった。母がとても心配して、病院に連れて行かれたこともある。また、母は私を京都の東本願寺まで連れて行き、和尚さんに相談をしたこともあった。和尚さんに、
「この子は霊感がありそうですよ」
と言われても、母は信じられなかったという。その時、和尚さんは寺の中にある無縁仏の墓へ母と私を案内してくれた。そこには無数の墓が並んでいて、寂しそうにさえずる小鳥の声がしていた。和尚さんが、ひとつの無縁仏の墓に手を合わせて経を唱え始めた。母も私も一緒に手を合わせた。経が暫く続いた頃だった。墓の中から女性の声が聞こえてきたのだった。母には聞こえなかったそうだが、その女性は私に助けを求めていて、
「娘さん、お願いがあります。私をここから出して下さい」
「おばさん、どうして死んだのですか、ここから出たいのですか?」
と言ったので、
「お母さん、おばさんは死んでいないって。ここから出して欲しいと言っているよ」
と言ったそうだ。子供の時のことなので、私ははっきりした記憶はないのだが、母は腰が抜けそうなくらい驚いて、しばらく動けなかったそうだ。和尚さんは、母に、この無縁仏は可哀想な女性で、いくら経を唱えても成仏が出来ないので、霊感のある娘さん頼ってきたのだと、和尚さんに言われたそうだ。こんな私だから、壁の中の人影が私には見えたのだろう。
 その人影は年老いた女性だった。そして、何か私に言いたそうな顔で壁の中から私をじっと見ていた。すると、
「あなたは、どうしてこの村へ来たのですか。ここは以前、私の家の土地でした」
と、言って消えてしまった。あの老婆は誰なのかはわからないが、少なくとも私が見たのは夢ではないというのは確かだった。
 そんなこともあり、明け方まで私は一睡も出来なかった。新聞の記事も気になり完全に眠気が覚めてしまった。社員たちが起きる前に、このホテルのオープン前から働いていた早朝出勤の社員に尋ねてみた。
「夜中に老婆の霊を見たのだけれど、昔この土地は誰のものでしたか。貴方は知っていますか?」
私の話を聞いた社員は、生まれた時から七仙嶺の麓で育った少数民族なので、霊の話も怖がらなかった。
「ママ、以前ここは村人の土地でした。名前まではわかりませんが、このホテルを建てる前は墓もあって、工事の時に墓を移動したのです。でも、2,3人の墓の持ち主が不明で、工事中に人骨もバラバラになってしまい、何処に埋まっているのか分からないそうです」
と彼が話してくれた。やはり、このホテルに数多くの不思議な出来事が起こるのは、そのせいかもしれないと思った。霊の存在については、さまざまな議論をされるが、私自身は霊の存在を信じている。
 霊の存在を感じるのは私だけではなかった。社員の中の数人が、奇怪な出来事を体験していた。正直なことを言えば、ここに来てから、この老婆だけではなく数多くの霊を見てきた私だった。近郊のホテルでも奇怪な現象は起こっていたのだが、そのことについては証拠がないので、新聞には載されるようなことはない。海南島の山村は殆どが土葬なので、それを考えると霊現象が起きるのも理解ができた。この老婆については、今回の事件とは全く関係はないが、その後も、雨上がりの夜には私の所へ時々現われた。

一方的な新聞記事


 その老婆のことよりも今朝出るという新聞記事が私にとっては重大問題だった。社員に新聞が届いたら、すぐに持ってくるように告げた。新聞は、午後1時過ぎないと届かないと言われた。新聞は普通朝一番で届くものだが、この田舎では、そう言う訳にはいかないのだ。焦れる気持ちで、新聞の到着を待った。ホテルに新聞が届く頃には、すでに海口市や三亜市では話題になっていたらしい。
 事件は三面記事に掲載されて大きく報道されていた。
「ホテル側の酷い対応と謝罪」
という見出しと、ホテル管理についての彼等の抗議文が掲載されていた。そして、この記事が原因で、海南省政府も動き出し、この町の工商管理局や旅遊局からも事情聴取があり、連日大変な思いをして過ごすことになった。
 その新聞記事と、副県長から言われた話が全く違い過ぎて、私たちは残念でならなかった。
「彼等の行為は悪いです。許せませんが厳重に注意をして速やかに退出をさせますから」
というのが、副県長の話だったが、新聞記事には、
「ホテル側には厳重に注意をして、彼等に納得をさせて和解をさせました」と、副県長からの取材文の記事が掲載されていたのだ。私たちには理解できなかったが、今は何を言っても仕方がない。政府に談判をしても意味がないことは分かっている。この記事に社長の名前が出ていなかったことだけが救いだった。そして、この記事が原因で、宿泊客が減少すると心配していたが、実際は殆ど影響は出なかった。
 この事件についての問題は、謝罪と補償だった。工商局からホテル側の意見を聞かれたが、彼等には一切、謝罪や補償はしないと報告をした。なぜホテル側が謝罪と補償をしなければならないのだろう。彼等の行為は決して許されるものではない。ホテル側が要求を拒否するのであれば、裁判で戦うと言われた。「私は何処へ出ても正当な理由がありますから」と、平気だった。しかし裁判にでもなれば、社長が出廷をしなければならなくなるので、私には、この問題だけが悩みだった。
 工商局の職員達は連日のようにやって来て、意見を聞かれ、要求を受け入れるようにと説得された。最終的に本社側の意見として、広州日本国総領事館に相談をするように言われた。こんな事件が起きても本社からは誰一人として海南島へ来てもらえず、私が全て対応をしなければならなかった。本社に対して私の不満は募るばかりだった。現地からの報告をするたびに、政府の対応が理解出来ない本社の役員たちは、私に文句をいうだけだったので、私の我慢にも限界がきていた。連日の政府からのプレシャーと、本社の冷たい対応に挟まれた私は、神経も疲れきっていた。
 ある日の午後、この日も工商局が彼等との和解を交渉するために、ホテルにやって来た。
「彼等には何度も要求を取り下げるようにお願いしたのですが納得しません。本社ではどのような対処をされますか。もし、裁判にでもなれば社長も来て頂かなければなりません。そして、莫大な経費もかかり損失が多くなりますから、彼等の要求を承諾出来ませんか」
この日も同じことの繰り返しだった。私は本当に神経が疲れてしまった。工商局の職員も、水掛け論に疲れ切って、結論が出ないので困っていた。
「要求に従う事はホテル側の非を認める事になるという理由で、納得が出来ません。申し訳ないのですが、当社としては広州にある領事館へ相談をすることに致しました。」
これを聞き、慌てた彼等は、直ぐに県政府へ報告をした。そして、翌日の朝に再びやって来て、県長の意見が報告された。
「領事館へ行かれても構いませんが、これ以上の交渉は難しいと思いますよ。ここは中国ですから、日本人の考え方が何処まで通用すると思われていますか」
と、ちょっと不機嫌そうな職員たちの顔には、焦りも見えていた。領事館へ相談をするということは、自分たちの業務が怠慢だと省政府から言われるからだ。場合によっては、海南省政府からも県長に厳しい処分があるかもしれない。そんなこともあって、工商局側では速やかに要求に従って欲しかったのだろうが、結局この日も何の進展もなく、この問題は領事館へ相談の後ということになった。


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