私が見た南国の星 第2集「苦しみを乗り越えて」⑬
一時帰国の日本で
高校時代の同級生
いつの間にか、この年も夏になっていた。私は両親の墓参りも気になって、眠れない日々が続いていたので、社長に了解をもらい一時帰国をする事にした。8月のお盆前に帰りたかったのだが、夏休みという事もあってホテルも忙しく、お盆が過ぎた頃に日本へ戻った。お盆が過ぎても日本の残暑は厳しかった。両親の墓参りに行く途中、スーパーに立ち寄り買い物をして、レジで人の列に並んでいた時だった。レジ係の女性が私に声を掛けてきた。はじめは誰なのかわからず、
「ごめんなさい、あなたは私の事をご存知なのですか」
と尋ねた。すると彼女は、
「忘れたの?私の事を覚えてくれていると思っていたのに」
と言われてしまった。彼女の顔をよく見ると、
「あっ、思い出したわ。あなたが変わりすぎてしまってわからなかったの」
と謝った。彼女は、高校時代の同級生だった。昔の彼女は、色の白い子でポチャとした可愛い女の子だった。でも、私の目の前にいる女性は、まるで別人のようで、顔も浅黒く、やせ細った身体と髪型は年齢より老けて見えた。彼女と、墓参り後にお茶を飲もうと約束をした。墓参りが終わって、待ち合わせの喫茶店へと向かう途中、彼女の事が気になってしかたなかった。
「どうして、あんなにも痩せてしまったのかしら」
と思いながら、喫茶店のドアを開けて中を覗くと、彼女は、私の顔を見て手を振ってニッコリ笑ってくれた。
「本当にお久しぶりね、あれからお互い変わったわよね」
学生時代の楽しかった思い出話から始まり、現在の生活や心境を語り合った。彼女も苦労をしてきたようだったが、私の人生に比べれば幸せなのかも知れないと思った。しかし、彼女からすれば私が羨ましくも見えたようだった。
「いいね、外国で生活が出来るなんて」
彼女の言葉に声が詰まる思いがした。確かに中国は外国だけれど、彼女が想像している中国は北京や上海などの大都会だろう。
「中国でも私がいる所は海南島なの」
と、私は言った。すると、
「海南島?中国にそんな島があるなんて知らなかったわ」
知らないのも当たり前、私自身も2000年に行くことになって初めて知ったのだから、返す言葉もなかった。
「ハワイやグアムと同じなの?それともオーストラリアみたい?」
と、彼女はテレビで見ている観光地を想像しているようだった。夢を壊すのも抵抗があったが、現地の事を正直に話す事にした。
「えぇ、そんな時代遅れの島で生活して幸せなの?」
私は
「そう、幸せ」
と言いたかったが嘘は言えなかった。かといって、泣き言を言う気にもなれず、
「そうね、子供の頃に戻ったみたいかも」
と自分を慰める言葉が出てしまった。話に花が咲き始めたのだが、彼女は主婦なのでいつまでもおしゃべりを続けるわけにはいかなかった。会話の続きは次回の帰国の時までとって置くことにした。たった1時間ほどの会話だったが、学生時代を思い出して心が弾んでいた事だけは確かだった。
スナックで
故郷の町を後にして、名古屋のホテルへ戻った私にフロントから電話が入った。電話の相手は河本氏だった。
「今日は一緒に食事をしましょうか。海南島へ一緒に行った方々が、あなたに会いたいって言われていますから、どうしますか」
せっかくの誘いを断る理由もないし、感じの良い方々ですからお誘いを受ける事にした。皆さんとは久しぶりの再会だったので、感無量だった。美味しい料理をご馳走になって、食事の後はスナックに行きカラオケを楽しんで、久々に日本を満喫することが出来た。スナックでは、店のママや若い従業員たちは、店を出るまで私を中国人だと思っていた。
皆さんが、私の事を中国から来た女性ですと紹介したのが原因だったようだ。確かに私は中国から来たのだが、このお酒の席で
「違います、私は日本人です」
と言っても、しらけてしまう気がした私は、片言の中国語を話した。
「中国人の方って日本人と変わらないわよね、顔なんて日本人だもの」
私たちは爆笑だった。スナックに中国の曲があるから歌ってほしいと言われた時は、
「どうしよう、日本人だとわかってしまう」
と、ちょっと焦った。しかし、私は海南島へ行く前に10年以上もスナックを経営していたので、話を交わすのは得意だった。
「今、私は日本語の勉強中ですから日本の歌を聴いて下さい」
と言葉を返した。店の女性との会話を横で聞いていた皆さんは、それぞれ笑いをこらえて楽しそうだった。そして私が「山口百恵」の曲を歌うと、店の常連客からも大喝采だった。歌は上手ではないけれど、日本人なので日本語が上手なのは当たり前、
「すごい!本当に日本人が歌っているみたいよね」
と、店の若い子たちが、私を観て感心していた。拍車を掛けるように店のママが私に駆け寄り、
「ねぇ、ここでアルバイトをしてくれない?」
と、その真剣な眼差しに罪の意識を感じた私だった。
「ママ、私が失業したらお願いしますね」
冗談を言っては必死で店の雰囲気を盛り上げていた。日本を離れてから、こんなにも楽しい会話は久しぶりだったので、ストレスも解消された。
「日本で生活をしていたら、こんなにも楽しい時間が過ごせるのに」と、その時の私は海南島の事をすっかり忘れていた。今思えば、あの時は海南島での生活が本当に苦しかったのかもしれない。
「日本での生活が苦しくて海南島へ逃げ出した私なのに」
人間は身勝手な生き物なのだろう。苦しいことがあれば、そこから逃げて楽な所を捜したくなる。結局どこへ行っても生きて行くのは、険しい山を登るのと同じなのに。
「急いで登れば息が切れて苦しいし、一人で登れば寂しいし」
やはり生きて行くということは、大変な努力が必要なのだから頑張ろうと、今日も自分に言い聞かせている。
この帰国以来、日本へ帰る度にこの楽しかったひと時を思い出す。
本社会議
今回の帰国中には本社会議も参加をしなければならなかった。私は、海南島での業務内容について事実を正直に報告した。そして、今後の業務についても、社長や役員の方々には私の信頼できる部下の必要性について私の考えを話した。この件に関して、私の心の中では適任者を決めていたのだが、自分からは言えなかった。日頃の業務について問題が起きた事や、阿浪に助けてもらっている事などを報告したその時だった。社長から私が期待をしていた言葉が出た。
「じゃあ、その青年にお願いして働いてもらったら」
他の役員たちは無言のままで反対の意見はなかった。嬉しかったが、阿浪がどのように考えているのかも不明だったので、
「ありがとうございます」
とは言えなかった。彼が公務員という職を捨ててまで、このホテルに貢献してくれるという確信がなかった。
「海南島へ戻り次第、彼の気持ちを聞いてみます」
と答え、話題を変えた。
その後、社員についての状況を報告した直後に社長から予想もしない言葉が出た。
「黄秋梅は、あなたが海南島に戻り次第、直ぐ解雇して下さい。彼女には退職金は出しません!」
不機嫌そうな社長の顔をしっかり見る事は出来ず戸惑った。社長が決断をされた以上は従わなければならない。
黄秋梅については、私が海南島に来てから仲良くしてきた社員の一人だったが、性格がきつくて他の社員たちも困っていた事は事実だった。自己中心的な考え方が強く、協調性に欠け、責任者としての職務に問題が多いのは本当のことだったが、オープン当初から働いてくれていたので、本社も大目に見ていてくれたのだった。今回の解雇理由は、彼女がスパイ行為をしていたことが発覚したからだ。実は、彼女はこのホテルに多大な損害と、社長に精神的苦痛を与えた隣の経営者「鄭氏」の部下だったのだ。他の女子社員たちはその事を知っていたのだが、黄秋梅が怖くて内密にしていたらしい。
後日、社長の訪中の際に、会社の業務内容などを全て鄭氏へ報告していた事実に対して、本人が自白した。我社の情報を流したことへの報酬として、鄭氏から毎月のようにお金をもらっていたという。また、ホテルの備品についても我社で購入して、隣へ運んでいたという事実も本人は認めたのだった。そこまで自白すれば解雇処分は免れない。告訴をされないだけでも彼女にとってはありがたいと思うしかない。他にも手伝っていた社員がいたが、私が在任する前に隣のホテルへ移ったと聞いた。
正直なところ、社長は心の清らかな山水のような方なので、最初は彼女の事を信じていらしたようだ。黄秋梅の恋人が彼女を訪ねて来た時に、このホテルの業務内容や社長の訪日予定、そして今後の計画などを恋人に話していた事実があった。この恋人もオープン当初から料理人としてこのホテルで働いていたのだが、あまりにも杜撰な仕事ぶりのため解雇をされたという。私が社長と海南島へ初めて来た当日、解雇の問題で激怒した彼が社長を殴りかかりそうになったということがあった。解雇に対する会社の保障が少ないという理由だったと聞いている。実は、その料理人も、あの日中友好組織のN氏が連れてきた社員だった。解雇されてからの彼は、愛知県名古屋市にある有名な日本料理店で、研修生として料理の勉強をしていたらしい。一年後に彼は海南島へ戻って来て、隣のホテルに協力していたそうだ。
考えてみれば中国人が悪いのではなく、一番悪いのは金銭を餌にして中国人を利用した日本人だ。しかし、陰で中国人を操るN氏は、今なお海南島のマスコミでは栄誉を称えられている。この温泉地である保亭県の政府関係者を日本へ招待したり、福祉事業に寄付をしたり、まるで善人のように地元の政府には思われている。本当の正体を知っている人からすれば、とても恥ずかしい醜い日本人なのだ。ホテルの近くにある村に電気を供給して、道路の整備をしてきたのは我社の社長なのだ。本来なら社長が地元で称えられるのが筋ではないだろうか。なぜN氏なのか。本当に納得がいかない。
社長は、常に人の心を尊重される方なので、今まで信頼してきた社員に騙されたショックは計り知れないことだろう。