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私が見た南国の星 第4集「流れ星」⑤

帰国便欠航


  会議が終わり、社長や河本氏と共に最後の会食をした。ホテルへ戻り明日の身支度をしながら、テレビのニュースの台風情報が気にかかった。
 朝、航空会社へ確認の電話を入れると」私たちが乗る予定の飛行機が、台風の接近で欠航になったと言われた。出国当日の朝になって、こんなことは今までなかったので驚いた。
「本日の便が欠航ですから、台風の進路次第では今後のフライトも不明でございます。どうしても本日のご出発が必要でしたら、別の航路をお探ししますので暫くお待ち下さいませ」
とのことだった。日本で滞在延長するこたとは出来ない日程だったので、ハラハラしながら航空会社からの電話が掛かってくるのを待っていると、10分くらいして、電話がかかってきて、
「申し訳ございませんが、名古屋からですと、本日は海南島へのご到着の便に間に合いません。大阪の関西国際空港からでしたら上海経由で海南島の三亜までは、本日ご到着が出来ますので如何でしょうか」
と言われた。急に大阪に行けと言われても、と思ったが今日中に帰るには仕方がないと思い、とにかく「早く大阪へ行こう」と思い身支度をした。ホテルから慌ててタクシーに乗り、名古屋駅まで向かった。荷物もたくさんあるので大変だったが、馮さんがいたお陰で今回は助かった。新幹線で大阪まで、大阪駅から「はるか」号という電車に乗った。関西国際空港への到着は思ったよりも早かった。本来ならばキャセイ航空に乗り、香港経由で三亜に到着する予定だったが、結局、大阪から上海、そして上海から三亜、三亜到着予定は夜の11時ということだった。
 関西国際空港のキャセイ航空カウンターへ行くと、今回の大阪までの経費について全額支払ってくれた。もし中国の飛行機だったら全額は戻らなかったと思う。さすが香港の航空会社、対応が早くて丁寧な説明と謝罪には感心した。まさかホテルから名古屋駅までのタクシー代や高速道路料金まで、全て支払いをしてもらえるとは思ってもいなかった。しかし、本音を言えば名古屋からの荷物が多かったので、やはり名古屋から出発したかった、それでも、重い荷物はほとんど馮さんが持ってくれたので助かった。
「馮さん、重いでしょう。ごめんね」
と言ったが、
「大丈夫ですよ」
という彼女の言葉に甘えた。搭乗手続きまで時間の余裕があり、疲れも忘れて二人で空港内を歩きながら、ため息が出てきた。
「馮さん、今回の貴女は新幹線の移動が多かったわよね。中国へ戻る当日まで新幹線に乗るなんて思わなかったでしょう」
という、私の言葉に彼女はうなずいていた。
 目の回るような目まぐるしい日本滞在だったが、私たちはこうして無事に日本を出国することが出来た。
飛行機が離陸体制に入った時だった。
「お姉さん、今回の日本の旅は楽しかったです。ありがとうございました」
と言う彼女の様子はすこし寂しそうだった。やはり、せっかくの妹との再会だったのに、あまりに短い滞在期間だった。次はいつ会えるか分からない妹との別れが辛かったのだろう。私は、
「馮さん、元気でいたら日本へ来る次の機会もありますよ。次は妹さんの所で、のんびりして来て下さいね。今回は、本当にお疲れ様でした」
と言って、少しセンチメンタルな気分になった。
 やがて飛行機は関西国際空港を飛び立った。機内では寝てしまったので、あっと言う間に上海の浦東空港へ到着していた。朝から慌ただしかったことが、まるで嘘のように、気がついたら中国にいた。

上海乗り継ぎ


 上海から海南島の三亜までは3時間の空の旅になる。搭乗時間までには、かなりの待ち時間があったので、空港内で軽い食事をすることにした。先ほどまでは日本語を聞くことが出来て、私には心地よかったのだが、急に中国語の大きな声を聞いて、
「あぁ、これが中国なのだよね」
と、独り言が出てしまった。彼女は何を勘違いしたのか、
「お姉さん、どうしたの?どこか痛いですか」
と、びっくりした様子だった。私も彼女の言葉に理解ができず、
「えぇ?私どこも痛くないわよ。どうして?」
と尋ねた。
「先ほど、お姉さんは何か言われませんでしたか」
と言われた私は、
「あぁ、先ほど私が言ったことね。やっぱり中国がいいわよって言ったのよ」
と嘘をついた。彼女は不思議そうな顔をして、
「お姉さん、日本の国の方がいいわよ!何でもあるし便利でしょ、食べ物も美味しいしね」
と言った。彼女は少しお腹が空いてきたのか、日本で食べた物を思い出していたようだった。
「さぁ、レストランへ行きましょう」思わず私も、中国人に負けないくらい大きな声を出していた。やっぱり私の心の中は、「日本は素晴らしい国ですよ」と叫びたかった。レストランでは、あまり美味しそうなメニューもなくて、二人でラーメンを食べた。
「やっぱり、まずい~」
つい発してしまった、私の声が店員に聞こえてしまった。
「美味しくないですか?」
という日本語が返ってきた。
「しまった!ここは海南島ではなかったわぁ、上海だったねぇ」
私の名古屋弁が面白かったのだろうか、店員たち二人に笑われ恥ずかしかった。そして、私の側に来た店員が、日本語で話しかけてきた。
「貴女は上海旅行ですか。今日はどこのホテルに泊まりますか?良かったら紹介します」
またまた私のため息が出た。やっぱり中国だ。日本人を見たら何でもビジネスになると言うのは「本当だった」と、つくづく感じた私だった。私も下手な中国語で、
「我去海南島!今天不在上海」
と彼女に言うと、相手も負けずに、
「そうですか、では今度また来て下さい」
と流暢な日本語で返してきた。
上海の中国人は、日本語を話す人も多くて生活をするには大変便利だ。しかし、上海の女性は美人だが気が強く、何を言っても負けそうだ。
 レストランを出て直ぐに三亜行きの搭乗手続きを終えた私たちは、少し早めだったがゲート近くまで足を進ませた。ゲート近くに並んだ椅子は、中国人の観光ツアー客で占領されていた。そして彼等の話し声が、とてもうるさくて我慢にも限界がきて、思わず
「うるさい!」
とまた大きな声を出してしまった。だんだん中国人に染まってきたのかもしれないと思った瞬間、周りから白い目で見られていた。日本から戻ってきたばかりだったので、なおさら彼等の声に神経が敏感になってしまっていたのかもしれない。
 いつも思うのだが、国内線は、中国人のマナーの悪くなる。でも、「ここは中国だ」と言われれば仕方がないと諦めるようになってしまった。この日は夜の便だったので、思ったよりも機内は静かだったが、前の席と後ろの席の男性のイビキの音に悩まされ、その上、前の席の男性はシートを思いっきり倒してきたので、私は身動きがとれなかった。
「馮さん、悪いけど前の人に注意してくれませんか」
と、頼んだ。彼女ははじめ小さい声で男性に注意をしたため、彼には聞こえなかったようだったが、何度か声を掛けても反応がなかったので、馮さんは周りからの視線を集めてしまうくらい大きな声を出して、
「お姉さん、もう大丈夫ですよ」
と、平然としていた。その後は、彼女と私も眠ってしまって、その後のことは記憶にない、目が覚めた時は三亜空港の明かりが見えて、着陸態勢のガイダンスが流れていた。時計の針を見たら夜の11時頃だった。空港には阿浪が出迎えに来てくれていた。
 阿浪の顔を見たらホッとして急に疲れが出てしまった。空港からホテルまでの道のりは、夜でも車で1時間半以上かかる。山道を登ったり下ったりの道路だったが、疲れていた私は眠っていて、目が覚めた頃には、保亭県の街の明かりが見えていた。


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