見出し画像

舞台は選ぶか創るか_我流に仕事論を内省する

最近、仕事ばっかしてる。

別に、仕事が好きなわけじゃない

けれど、仕事をこなし、信用を得れば、また次の仕事が依頼される。

基本的なことだが、仕事に手を抜くと、後で痛い目を見る。

だから仕事は、引き受けるか、断るかの二択しかないと思う。
引き受けたらベストを尽くし、断ったら一切関与しない。

それが、相手に対しての礼儀だと思う。


クライアントはステークホルダーに対して、仕事を通じ、価値提供する責任がある。
そのために、我々を供給者として評価している。供給者は、求められるもの以上なサービスを提供できれば、クライアントのニーズを達することができる。世の中、とてもシンプルだと思う。

しかし、厳しい。

どんなに仕事を美化しようとも、何かを提供できなければ、壇上にも上がれない。
ある程度、組織が活性化するには、ある程度の人材がどうしても必要だと思う。
舞台に出演し、演じることができるのは、力量を持った人だ。

だから、舞台を選ぶことが、仕事人としては大切だ。舞台は選べるし、作れる。重要なのは、自分がどんな舞台に合うか内省して、とりあえず舞台に立ってみることだ。

私の場合、キラキラした人間に憧れた。舞台の主役を張れて、皆から羨望な眼差しで見つめられる、そんな主役ような役に憧れた。
憧れだけで、バンドではボーカルをやり、仕事では営業をやってみた。いわゆる、フロントマンだ。

だか、向いてなかった。
ステージに立ち思うことは、自分は顧客に対し、何も提供する気になれなかった。主役は、観客に夢と希望を与える。心を躍らせる。
私は、そんなことを提供する気にもなれない幼稚な大人だった。当然、需要も作れなかったし、不評だった。

だから、舞台は慎重に選ぶ必要があるし、自分の適正を憧れを捨てて、受け入れる残酷さも必要だと思う。夢を捨てる勇気も必要だ。
そう、舞台選びは悲劇の温床で、ハードルも案外高い。

なぜ、こんなことを考えているのかというと、最近怖いぐらい、仕事が当たっているからだ。自分が提供したいものと、それに対する周りからの評価が、一致しているからだ。
それらは上手く噛み合い、ヒットを出している。

良いことだと思いつつ、ちょっと半信半疑だ。一先ず、噛み合ってる要素を分析する。

たぶん、自分の無意識レベルの持ち味が、たまたまハマっただけな気がする。
他メンバーの常識的な枠組みでの考えは、概念的に成熟されている。そこに私のような非常識さが、固定概念の揺さぶりをかけ、課題の再発見に繋がっている気がする。

煙たがられが、重宝はされている。

だから今の状況は、フラフラと歩いて、面白そうなところにふらっと入ったら、たまたま自分に合った舞台が存在した。そんな状況だ。

再現性はあるのだろうか。

おそらく、難しい。

私が担当している、基幹システム入替プロジェクトは、既存の常識を疑い、アップデートすることが求められる。データベースと会計の世界だ。組織改革も入ってる。そういうのは、自分は得意だ。

しかし、頻繁には無い。
違う既存改修系プロジェクトに携わるのか?
それも違う気がする。
正直、適性はあるが、あまり面白くはないのだ。

いつもこのパターンだ。
自分はつまらないと感じるが、適正はある。他の人より、ちょっとだけ成果を出せる。

キャリアとして、今後どうするか?

また、ふらふらするのが良いのかもしれない。
日常を生活し、物見遊山で面白そうな舞台を探索してみる。
偶然を多く体験し、また舞台に上がれば、一つぐらいハマるものがあるかもしれない。

#今週の振り返り

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?