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会社でのバックオフィスの存在意義ー内省録

改めてマインドセット。

コーポレート部門の存在意義は何か?

私は、支店運営する部門、そのものだと思っている。

会社の看板背負って、全国へ進出している以上、一応どこに行っても会社としての組織文化を継承している。会社全店が機能的に動くためのルールもある。普通に考えて、物理的に社員を制約していないのに、これは雇用契約という共同幻想だけで、人は行動を律し、要求に対し変身するのは不思議なことだ。

だが、現状の組織は、ブロックチェーンのように有機的に紐づいている。
以前はヒラエルキー型のトップダウンで、それは組織図では形式上残っているが、実態は違う。現場の人間はそんなのは無視して、ある意味自律分散型に仕事している。しかし、組織として崩壊はしていなく、勝手に動いているように見えるが、大まかな共通価値を共有している。これは摩訶不思議だ。

なぜ、オフィスに人が集まるかというと、そこで働くという共同幻想を社員で共有している。そこから雰囲気ができ、風土ができ、文化が作られる。

コーポレート部門は、運営そのもので、経営資源を扱う。かなりデリケートな部門で、扱いには慎重にならざるを得ない。成果を出すために、より効果的な資源を調達し、活用を検討し、運用する。投資とも言える。
ボールペンや付箋でも調達による価値創造を検討すれば、いくらでも工夫できる。面倒だが、何のためにボールペンを調達するのか、それによりどのような効果があるのか、とか。いくらでも吟味することができる。

つまり、経営資源をいかに活用するかで、支店運営が円滑にいくか、重要な要素だと思っている。例えば、社員には顧客と接し、価値を創造することで利益を生んでもらう必要がある。その土台として、原価は何かをすぐさま把握する必要があるし、適正かどうかも判断しなければならない。顧客のもとにいく社用車だって、価値創造するための資源だ。適切に資源管理することは、とても重要だと思う。その主たる役割は、コーポレート部門だ。

最近、私自身、コーポレート部門の必要性に疑問を感じていたし、答えを見つけられなかった。だが、こうやってそもそもの存在意義から掘り起こしていくと、それは発掘前の油田のように、的があっていれば、掘った分だけ価値を採掘できる。これが、共同幻想を纏った人間の社会的活動における、不思議な部分だ。

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