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令嬢改心 2-4:人気者の「リセ」(1/3)

「……ということで、またしても授業の際に上手く答えられず。本日も午後から落ち込んでいらしたのですが」
 いつもの様に、夕刻の裏庭で。
 ヴィオレット様の授業中の様子をリュシー殿に聞いたところ、ヴィオレット様が逃げる理由はどうも身分の上下に関するものが多いらしい。
 姿勢の矯正、豊富な話題作りの為の教養、といった内容については黙々と熟すのだが――何やら身分が絡むと、悲しげな顔をして沈黙するか子供のように泣き出して、次の日には朝からどこかに消えてしまうのだとか。
 そんな事が……この十日間に四度も。
「わたくし共は未だ何がヴィオレット様のお心を煩わせるのかも分からず、それ故にヴィオレット様は信を置いてくださらないのでしょう。また明日も、何処へなりと気晴らしに向かわれるのかと思うと……己の未熟さに益々身の置き場がなくなる心持ちです」
 リュシー殿が己の胸元にほっそりとした手を置き、溜息を吐く。
 主人の心が分からない。確かにそれは、侍女として心穏やかではいられないものだろう。
「そんな、リュシー殿はよくやっておられます」
 私の言葉に、リュシー殿はきゅっと唇を噛むと頭を振った。
「いいえ、いいえ。連日の騒動は、偏に主人のお心を汲む事も出来ないわたくし共の未熟故。心が幼くなられた今のヴィオレット様は、その純真さゆえに侍女達が真に仕える相手があると見透かしておいでなのでしょう……」
 リュシー殿の言葉に、私はハッとした。
 基本的に侍女やメイドなどの女性使用人の管理は、侍女頭と言われる年配の女性が行なっている。だが、当然ながら侍女頭自身にも仕える者が存在する。
 それは誰かと言えば、そう、ヴィオレット様の母君である公爵夫人だ。
 当主代理として働く公爵夫人は大変にお忙しい方だ。だが、仮にも母君である。ヴィオレット様の現況が届いている筈だろうに、残念ながら今まで一度も見舞いすら届いていない。
 女性使用人の頂点たる夫人が娘に無関心なのだから――それは当然、下の者達にも伝播する。
「それは……」
 私は掛ける言葉を失った。
「二心ある侍女達は、日々ヴィオレット様を疑心に満ち満ちた目で見ております。その口から出る言葉も、何処か浮ついた心なき言葉ばかり。それでは心も塞ぎましょう」
 本日も淑女の見本のような装いの侍女殿は、憂い顔を浮かべてばかりだ。その端正な顔にが曇ると、何故か私の心がしくりと痛む。
「けれど、それはわたくしもなのです。真の意味でヴィオレット様へ心を預けているかと言われれば――わたくしの矜持に賭けて、違う、と――そう言わねばなりません」
 侍女としての矜持なのだろう。ヴィオレット様に同情していても、彼女は公爵家の侍女である事を辞められない。
 それは、心を捧げている者がある者同士よく分かる。裏切れないのだ、心は。
「ヴィオレット様が私共からお逃げになる気持ちもあるいはそこにあるのかと。貴族令嬢というものは、多くの者に傅かれているようで、孤独なのです」
 リュシー殿が胸の前で組んだ両手が震えている。きつく握り締めた両手は、複雑な感情を表すように白くなっていた。
「リュシー殿……」
 咄嗟にその手を取って慰めたいという気持ちが湧くが、それは彼女の矜持を愚弄する行為だと己を戒める。
 それは不思議な心持ちだ。
 リュシー殿と話すと心が弾む。リュシー殿が嘆けば心がざわめく。
 そんな一喜一憂を、私は最近間近に見たような気がするが……。
 心の奥に芽生え掛けたものに、私は慌てて蓋をする。いいやこれは、これは同僚への同情心であって。
 私は心を平静に保つよう、拳を握り締めた。そう、こんな時に――恋だの愛だのと、騒いでいる場合ではないのだ。

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