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令嬢改心2-3 獣相手の方がまだしも気楽です。(1/2)

 それは、ヴィオレット様が礼儀作法の授業から逃げ出した日から三日後の事である。
「ふう……。大貴族ともなると、下位貴族に対し利益を供与しなければいけない立場ですので、断り一つにも色々考えなければならない。全く難しいものだな……」
 今日もまた次期公爵家当主として振り分けられたヴィオレット様の書類と招待状の山を崩しつつ、私は溜息を吐いた。
 そこに、控えめなノックの音が響く。私は重要書類を鍵付きの引き出しに仕舞うと、素早く扉に近づいて扉を開ける。
「どうしましたか」
 扉の外には、ヴィオレット様付きの侍女殿が居た。明るい栗色の髪のこの人は確か、ヴィオレット様の化粧や装いを主に管理する侍女だった筈だ。
「エルネスト殿、お忙しいところ失礼します……緊急にサビーヌ子爵夫人より、お会いしたいとの事で」
「そうですか、ではすぐに向かいます」
 こんな事もあろうかと重要書類は片付けてある。私は書類を鍵付き棚に速やかに仕舞うと、侍女殿に頷いた。
「早速の応援、大変に助かります。では、わたくしが現場までご案内致します」
 栗色の髪の侍女殿は安堵の笑みを浮かべると、その細い指で行き先を指し示す――その指が示した場所は、ヴィオレット様の書斎から見える、薔薇の咲き誇る庭であった。
 青々と茂る草の上。美しく整えられた薔薇庭には木製の丸テーブル三つに軽く茶菓子が用意されており、ヴィオレット様付きの侍女らと共に、指導役のサビーヌ様がテーブルの横で待機している。
 今日は庭での茶会を模した実践的授業であったようで、茶会の招待客を想定した侍女らは、控えめながらも美しく着飾っていた。
 ――それが役割演技としての茶会だとしても午後のひと時を楽しみにしていたのだろう事は、侍女達の装い一つ見てもありありと浮かぶ。
 これはまた気まずいというか……予想外に被害が甚大で、大変に申し訳ない気分になるものだ。とはいえ、私の立場としては余り多くを言う訳にもいかない。私は努めて平静な態度を崩さぬよう注意しながら、ふかふかとした芝生の上を進みサビーヌ様の前に立った。
「サビーヌ様、遅くなりまして申し訳ありません」
 軽く一礼する私に、サビーヌ様は目を眇めて開口一番、
「端的に申しまして、ヴィオレット様は本日も授業を放棄されました」
 要件をあっさりと一纏めにして要件を告げた。
 私は即座に謝罪する。
「我が主人が、申し訳ありま……」
「形式的な謝罪は結構。いちいち謝っていては話が進みません」
 だがサビーヌ様は私の謝罪をばっさりと切って捨てた。私は内心に頭を抱える。
 これは相当に怒っているな……と。
 サビーヌ様は上位貴族の礼儀作法の教師を勤められる程に完成した淑女であるが、侍従一族に生まれついたせいか、時に効率を重視する事がある。
 特に、己が矜持として許せない状況に面した時には、その傾向が激化する。つまり、今がそうだ。
「は……」
 私が又謝りそうになると、サビーヌ様は諦めたように溜息を吐き、こう続けた。
「一応、貴方はヴィオレット様付きですから簡単に状況を説明しましょう」
「お願いします」
 それは確かに有難い事なので、サビーヌ様に頷く。
 サビーヌ様は庭の綺麗に整えられたテーブルを眺めやってから、話し始めた。
「そうですね……これは昨日の事ですが、応接室を使い、わたくしはお茶会形式の授業をしていました」
「はい」
「その時、お茶を注いでいたメイドが粗相を致しまして。わたくし、これ幸いとヴィオレット様にメイドにどう指導するかと課題を出しました。さて……貴方、ヴィオレット様は何と仰ったと思いますか?」
「大事なお客様に掛かったら大事であると、まず状況を認識させた後、お客様に謝罪させ、後は罰としてしばらく次期当主付きを外す、でしょうか」
 サビーヌ様は軽く頷く。
「……及第点でしょう。まずは、お客様の確認を一番に。後は被害が及ばなかったかを速やかに確認する為、メイドを一度叱責した後は下げてしまっても良いでしょう。この場合、優先順序と共に示しを付ける事を考えなければならない訳ですが……配置換えに関しては当主代理である奥方様にも確認せねばなりませんし、メイドの教育については後回しにしても、お客様への対応が優先されます……と、そういう話をしている訳ではありませんでした。ヴィオレット様の答えですが――」
 それまではきはきと話していらしたサビーヌ様がそこで言い澱み、口元を覆う。
 私は悪い予感がした。そして予感は的中する。
『誰にでも間違いはあるし、今回は反省して次に活かそう! ってメイドさんに言います! お客様にはメイドさんを叱らないでください、私が悪いんですって頭を下げますねっ』
 ……ヴィオレット様は、明るい笑顔でそう仰ったとか。それを聞いた私は、何とか引きつりそうになる表情を堪えるのが精一杯だった。
「それは……友人を招いての事であるなら、それでも良いでしょうが」
 私は迷い迷い口にする。
 主人の否定など従僕がするものではなく、ここは黙秘すればいいのだろうが、サビーヌ様の苦い顔を見るとそれもまた憚られた。
「ええ。内々の催しであれば特に問題がないのですが、わたくしが設定したのはあくまで賓客として相手をもてなす場合。大事なお客様を前に、使用人にそのような甘やかしをするなど大問題です。況してや、己の不利をむざむざ招くなどどんな差し障りがあるか……」
 不快げに眉根を寄せたサビーヌ様は続ける。彼女は指導として、ヴィオレット様にそれを指摘されたそうだ。
「そうしましたら、ヴィオレット様は急に、何を思ってか顔を伏せられてさめざめと泣き始められたのです。そしてこう仰いました」
『ちょっとした失敗で仕事を外されるなんて、メイドさんが可哀想だよ。謝るべきは雇用主のわたしで……メイドさんは何も悪くないんじゃないのかな』
 ……と。
「はあ……」
 私はとうとう告げる言葉を失い、生返事するのみだ。
 ――それは確かに、指導役として困っただろう。
 民にはよく贅沢だ暇潰しの遊びだなど噂されるが、貴族はただ友人と遊ぶ為にお茶会を開いている訳ではない。
 それは政治の場だ。
 華やかに装った貴族令嬢や夫人達は、噂話に耳を澄まし、政敵の浮き沈みをいちはやく察知したり、あるいは流行の先端のドレスを着て己の耳聡さを誇る。
 友人という名の支持形成は基本で、正しく己が勢力を誇り政敵へと群れでもって威嚇する。
 かように、表面上は優雅でも、多分に含みのある場なのだ。
 そんな場所で失態を犯したのだから注意程度で済む訳もない。配置換えはむしろ温情であるという事など、勤めたばかりの子供でも分かる程度の話なのだが……いやはや、これは頭が痛い。
 何とも心折れる話を聞いた後、薔薇庭から去った私は書類整理を早々に終わらせ、午後からはまたヴィオレット様を探索する事となった。

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