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令嬢改心 2-4:人気者の「リセ」(2/3)

 結局、ヴィオレット様の逃走癖は全くと言っていい程に直らなかった。
 ある日は洗濯場近くの控え室で繕いもの。またある日は……。
 ヴィオレット様は使用人らの中に当たり前のように溶け込んだ。時には、その特徴的な薔薇色の髪を見つけながらも半信半疑となるぐらいその場に馴染む姿に、私は驚き通しだった。
 楽しげとくるくると働くヴィオレット様はいつだってご機嫌で、それ故に皆は新入りの姿を好意的に捉える。
 その姿は、大変に生き生きとしていた。
 また、ヴィオレット様は同僚達にも好かれているらしい。何処に居ても、話題の中心はヴィオレット様……偽名はリセと言ったか……が中心だ。
「ねえリセ、昨日言っていた生活の知恵とやらを教えてよ。ええっと、確か簡単な食器の汚れ落としの方法だったっけ?」
 赤茶の癖っ毛を三つ編みにした年若のメイドが聞くと、ヴィオレット様は明るく「いいよ」 と答えた。
「ええと、何だっけ……以前、エコ生活とかにハマってて、ジュウソウとかお酢を使った掃除の方法とかよく調べてたんだよね」
「ジュウソウ? なにそれ」
 メイド達が揃って首を傾げる。ヴィオレット様は「あはは、そうかジュウソウは通じないかー。じゃあお酢の方ね」 と、笑いながら掃除の方法をメイドらに伝授する。
 メイド達の控え室は基本的に簡素な造りだ。殺風景な石壁を飾る壁掛けもなく、床石も剥き出しのままで、湯沸かし様用の暖炉と水瓶、木製の棚が備え付けられている。茶器や銀器の類は高級品の為、基本的に高級使用人が管理しているものだから、客人でも来ない限りには存在しない。そんな寒々とした場所であるが、何せメイドらが仕事に呼ばれるまで待機するだけの部屋であって、客人が見せる訳でもないので、これで用が足りるのだ。
 かように公爵令嬢に似つかわしくない場所に木製の背凭れのない椅子を幾つも並べて、ヴィオレット様は仮初めの仲間たちと共に円座になって繕い物をしている。
 時折、何が楽しいのか、くすくすと笑い皆の話を聞きながら。
「次はさ、あたしはあの恋の歌が聞きたいなあ。妙に早い拍子だけど、すっごい面白いから」
「ああ、それもいいねー。アタシはねえ、あれ! 身分違いの恋話とか!」
 メイド達の間に、笑顔が弾ける。ヴィオレット様も屈託無く笑う。どこまでも、自然に。
 ヴィオレット様はやはり細肩にのし掛かった重責に悩んでいたのか? それはあの、メッセージカードにも繋がる。
 ――それならば、もう二度とあの気高いヴィオレット様には会えないのだろうか? 私の中に、じわりと喪失感が浮かんだ。
 それはヴィオレット様が礼儀作法の時間から逃げ出すようになり、半月ほど経ったある日の事だ。
 何時ものようにヴィオレット様を探しに出た私は、裏庭で男女が囁き交わす逢い引きの場に出喰わしてしまった。
 一人は長身の男性で、筋肉の発達具合からして騎士と思われる。もう一人は下働きの女性がよく着る簡素なチュニックにエプロン姿なので、おそらくはメイドだろう。
「……まあ、独身男を助けると思って少しばかり仲良くしてくれても良いではないか」
 裏庭の細道を歩く二人の声が近づいてくる。聞こえた限り声の主は若い男のようだが、随分とまた浮ついている。一体どこの軟派男だろうかと私は思わず眉根を寄せた。
「……わたしこれでも、婚約者がいるのでお断りしますっ! そういうのお互いに良くないと思うんですよね!」
 しまった。その気はないのだが立ち聞きしている状況になってしまっているぞ。何となく気まずくなった私は、慌てて近くの木立に身を潜めた。
 近づいてきた二人の顔を不躾ながらも興味本位で伺えば、何とそれは第八王子殿下とヴィオレット様が扮するメイド少女であった。
 木陰に隠れたまま私は嘆息する。これは、運がいいのか悪いのか分からないなと。
「ちょっと、人が断っているのに勝手に手を繋がないで下さいってば! 何時の間に手を取ったんですか……怖っ! 笑ってないで答えて下さいよっ、もう、どんな距離感なんですか!」
「ははは、よく知った幼馴染に似ているせいでつい手を引いてしまった。済まん済まん、今度からは声を掛けよう」
 ヴィオレット様が半分悲鳴のような声を上げる。
 二人が更に近づいてくる。そっと二人の様子を伺えば、顔を真っ赤にして下から睨みつけているヴィオレット様を、第八王子殿下が笑っていなしているのが見えた。
「お、幼馴染……?」
「そう。少々引っ込み思案な娘だが可愛い子でな。僕の初恋の相手だ。その子は隠れんぼが得意だったが、長い間、誰にも見つけて貰えないと寂しくなって泣いてしまうような子でもあった。そんな時に、僕は彼女の手を引いて家までよく送ったものだ」
「……へえ」
「君を見ると、どうもそんな事を思い出してね。そんな訳で、手を繋いでも?」
「う……手、ぐらいなら」
 ――それはまるで、かつての再現だ。
 苦労を知らない箱入り令嬢と、一介の騎士見習いの少年はこの土地で出会い、小さな恋を育んだ。
 少女が大貴族の後継者となる、その時まで――。
 懐かしさに胸を打たれて足を止めていた私は、靴音すら聞こえる距離となった時点でここから立ち去る事を諦め、木と同化する事に専念する事にした。
 それに、立場上お二人の会話が気になりもする訳で。
「話は戻るが、僕は別に浮気をしようと言っているわけではないぞ?」
 明るく笑う第八王子殿下は、長身を屈めるようにして隣を歩くヴィオレット様の顔を覗き込む。
「いえいえっ! 婚約者に隠れて男女だけで会ってるって時点で、結構怪しいと思うんですけど」
 ぶんぶんと頭を振ってお誘いをお断りするヴィオレット様を、第八王子殿下は不思議そうな顔で見る。
「本当にお固いなあ。友達として仲良くしようというだけじゃないか」
「貴方が緩すぎるんじゃないかと思うんですがっ!」
 元気に反論するヴィオレット様。一体どういう事なのだろうか、これは……。

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