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令嬢改心2-6 執事は、公爵夫人に報告します。

 近頃のヴィオレット様のおかしな行動を見ていると、いよいよメッセージカードに信憑性を感じる。
 自室で身支度を整え、隠しポケットのカードをそっと撫でつつ私は思う……主人は壊れたのだろうと。
 何せ、偉大なる祖先を偲ぶあの庭の事さえも忘れているのだ。
 民の為に芋を植えるなどと仰って……一体、どのぐらい自分の事についても覚えているものか。
 暗澹たる気持ちで廊下を歩いていると、明かり番と言われる魔法のランプに魔力を供給する使用人に声を掛けられる。
「おはようございます、エルネスト様!」
「ああ、おはよう」
 私の勤めるこの城は、古来には北の要所として戦争を想定した堅城である。
 それゆえ、基本的に昼も暗い。
 高位貴族として余りにも堅苦しく見栄えが悪いという理由で、後の時代に改装された二階部分を別としても、一階や地下などは、未だに小さな明かり取りの窓や矢弾を撃つ為の細い矢穴ぐらいしか存在しないのだ。
 その為、昼間から明かりが必須となる訳だが、その明かりを守る為に、魔力を持つ者が定期的に城内を回っている。
 松明ならば誰でも交換出来るし安いのではないかと思うだろうが、ここが地上から遥か上空にある事を忘れてはならない。希少な木材を消費するよりは、休めば回復する魔力を消費した方がよしと、そうなるのは必然であった。
 ちなみに、武力を主とするこの領には魔力持ちは少ない。魔力持ちの多くはより武力を増す為に身体能力の強化にその力を使うが、肉体的に優れない者、あるいは騎士試験に落ちた者などが次に狙うのがこの城の明かり番であった。魔力を消費する事は疲労を伴うのだが、安定した職を得られる事はやはり何物にも代え難いのである。
 いつものようにヴィオレット様の食事を補助し、侍女殿に社交の授業へ向かう主人をお願いすると、書類を片付けにヴィオレット様の執務室に向かう。
 雲の上であるこの城から眺める庭は、いつも季節の薔薇が満開だ。
 二階のバルコニーから庭を望みつつ思う。
 今はただただ美しいばかりの薔薇庭は、遠い昔、蛮族として地上から攻め上がってきたこの土地の先祖が地上を偲び、野薔薇を植えたのが最初である。
 代々、領軍が地上へ飛行生物の雛を捕獲しに行く際などに薔薇を寄贈され、品種改良をし、そうして受け継いできた。
 この庭にしたって、そうだ。ヴィオレット様は領の行く末を考える時、この庭を眺めつつ言っていたのだ。
『わたくしの自慢の薔薇は、どうかしら。何もないと言われる公爵領だけれど、皆様が褒めるこの庭だけは他領にない魅力ではないかしら。砂糖漬けにしたら、きっと香り高い菓子になるわ。精製すれば、香水としても利用出来るわよね。何よりそのままでも贈り物になるわ。ねえ、エルネスト。わたくしこの薔薇達を、領の特産にしたいわ』
 品種改良して見事な大輪を咲かせるようになった庭の薔薇を、この何もない領地の売りに出来ないかと。
 そう言っていたのはヴィオレット様自身だったろうに、何故忘れてしまったのだろう……。
 私はその日の午後、意を決し、公爵夫人の下に向かった。
 若かりし頃は社交界の華と言われていた公爵夫人の装いは今日も華麗であった。コルセットで締め上げた細腰を強調するように豪華な刺繍のされたガウンを紐で締め、たっぷりとした三角形に垂れる袖からはフリルが見えている。何時なりと客人に見えても良いようにと身なりを整えていらっしゃるのだ。
「ヴィオレット様について、お伝えしたい事があります」
 主人なき公爵閣下の執務室で、手紙を読みながら公爵夫人は私の報告を聞いている。
 ヴィオレット様が残したカードの事は話せないが、それ以外の事は出来るだけ詳細に話したつもりだ。だが……。
「そうですか」
 たった一言。紙面から顔を上げもせず、公爵夫人は呟いた。
「報告は聞きました。下がりなさい」
「……失礼ながら、ヴィオレット様を放っておかれるのですか」
 夫人の余りの感心のなさに、私は思わず食い下がる。
「下がりなさい、という言葉は聞こえませんでしたか? わたくしは城主代理で忙しい。ヴィオレットの事は以前からリュシーより報告が上がっていましたし、今更貴方から聞く事などありません」
 一度も、こちらを見る事なく。平板な声で公爵夫人は言う。
 六年前から、そう。戦争で二人の子供を失った時からこの方は変わってしまった。
 以前は笑顔の多い大らかな夫人だった。穏やかで政治手腕の高い長男、騎士の本場らしく戦馬鹿の次男。引っ込み思案だが笑顔の可愛い長女。
 三人の子に囲まれた夫人はいつも幸せそうだった。そう、あの訃報を聞くまでは――。
「大体、あの子の脆さなど昔からの事です。幼い頃からあの子はとても泣き虫だった。長じてはそれを上手く隠す事が出来るようになったようですが、人の性根はそうそう変わらない。今まで持った事こそ奇跡のようなものでしょう。元より、娘には、期待など最初からしていません」
「なっ……!」
「考えてもご覧なさい。北の要衝であるこの土地の後継者候補二人を、陛下は戦地へ送り込んだ。隣国との最後の交戦の時、あの六年前から公爵領の命運は決まっていたのです。この領は、王家に存続を許されていない――」
 何でもないような口調で公爵夫人は言う。
「――元より我らが先祖は無頼の者。王家の血を混ぜ、縁戚として遇したものの、未だ不浄の地である地上を行き来する蛮勇ぶりに陛下は業を煮やしておられるのでしょう」
「ですが、地上の資源がなくば最早我らが領、いや我らが国は……」
 実際、長年に渡り隣国と小競り合いをしている理由はそこにあった。祖神が空に持ち上げた平穏の地。この浮遊群島は特異な場所ゆえに利用可能な土地が限られている。どれだけ手厚く農業畜産を推奨しても、土地という縛りがある故に増産には限りがあった。
 ……そこで最後の手として考えられたのが、地上への回帰策だ。とはいえ、地上は未だ獣の跋扈す危険な地。力なき農民の入植は難しい。そこで新たな商材を求め危険を冒しても新規開拓を目指すブリス殿ら冒険商人という存在が生まれた。彼ら商人は傭兵を雇い入れて年に数度、我らが公爵家の付属軍と共に地上に赴いている。
 私の考えなどお見通しなのだろう。公爵夫人は優雅に細顎を頷かせると次の言葉を紡ぐ。
「ええ。それは当然に陛下も考えておられる筈。だからこその、末子リュカ様の婿入りなのでしょう。末子を送り込んだ事から我らを血絶やしにまでは考えておらぬようですが、少なくともこの領地はヴィオレットの代で削られるか、取り上げられるかするとわたくしも我が君も考えています」
「そんな筈は……!」
 私の言葉に、公爵夫人は首を振る。
「いいえ。戦争後から今までの間ずっと騎士団長として我が君……公爵閣下が王都へ留められているということでも明らかです。事態は進行している。そろそろ、人冒険商人らの台頭も目障りとなってきましたし、地上の王国軍運用の為に、我が君が留め置かれている可能性すらあります。互いを消耗するだけの戦よりも、豊かな地上を目指す。隣国との和解さえ済めば後は地上の事を考えるだけなのです。そういう局面に来ていると――我々貴族も考え直さねばならないのでしょう」
 そこまで揺らぎなく言った公爵夫人は、そこで初めて感情らしきものを見せた。ひどく疲れ切った顔で、一つ溜息を吐いて。
「――六年前、我が子を取り上げられた時に決めたのです。滅びに殉ずると。わたくしの想いなど、ただの一つも通じないと知ったから。しかし、己が故郷が滅びゆく様を正気のまま見せるのも酷な話。娘が子供返りしたなら、それが幸せなのかも知れませんね。あの子は、昔から優しい子ですから……」
 それは、まるで溜息の続きのようなか細い呟きだった。
「さて。今更王命である婚約は中止出来ませんし、婚約式まではせいぜい優秀な貴方が補佐してやりなさい。婚約後は……そうね、婚約者である第八王子殿下が考える事でしょう。わたくしからは以上です。下がりなさい」
 まるで他人のように突き放す言葉に怒りを覚えるも、疲労の色濃い公爵夫人に文句を言うことも出来ない。
「お邪魔、致しました」
 悲しいような、悔しいような、何とも言えない気分で扉を閉ざす私を、聞き慣れた声が呼び止めた。
「エルネスト、待ちなさい」
「父う……いえ、第二執事殿」
 振り返れば、そこには灰白の髪をきちんと撫で付けた上品な紳士が立っている。青の膝丈ダブレットにゆったりとした長ズボン姿の父は、ゆっくりとこちらへと近づいてきた。思わず礼を取れば、相手は気楽にしなさいと軽く手を振る。
「少々、言っておかねばならないと思ってね。先程の話だが……」
「はい」
「第一執事……つまりお前の祖父より聞いた話だが、公爵閣下の読みでは国王陛下は特に我が領に対し悪意はなかろうと。しかし実際に男子の後継者が消えてしまい、女子の後継者の所に秘蔵の殿下が降婿されるという事の意味を考えれば……追々、王家へ吸収されるつもりである事は確かだろう」
「はい……」
 悪い話が続くものだと、私は内心落胆する。だが、考えてみればその通りである。
 折悪く男子の後継者が欠けたとして女性の後継者が継ぐとなっても、それが二度続く事はまずない。
 なぜなら、この国の貴族というものは、領地の防衛の為に兵を率いる強さの象徴だ。貴族がが領地の危機に戦わないなど以ての外なのである。戦となれば何週間も陣を張り野外で泥臭く戦う事になる訳で、大凡体力のある男であっても戦場というのは過酷。その為、後継者は男子である事が望ましい。
 そうした事情もあり、女性領主というのは大変に珍しい訳だが。
「しかし、それはヴィオレット様の代ではあるまいよ。追々の話、だ。何より、国王陛下はヴィオレット様の事を大変に高く買っていらっしゃる。何せ、目に入れても痛くない程可愛がっておられる末の王子を賜るのだから、な」
 父はおどけて片目を瞑り朗らかと言った。
「今は、難しい局面だ。だが、決して希望が無いわけではない。お前が仕えるのは誰か? そしてお前自身の望みは何か……まず、自身に問い掛けなさい。分からないというなら、何度でも諦めずに問い続ける事だ」
 私は無言で頷いた。
 そうだ、迷いは己の中にある。それを見つめず答えを出さずにいたからこそ、未だにヴィオレット様の発言に振り回されたり、動揺したりする。
 私の目に揺らぎが無くなった事を認めたのか満足そうに頷いた父は、いつも通りの完璧な紳士の顔に戻り、一つ咳払いして私に向かって言った。
「迷ったら、主人をよく見なさい。そして話しなさい。主従とはいえ人同士。相互の理解を務める事こそが重要です」
「主人を、よく見る……」
「そうです。もしも、主人を認められなくなったならばそれは離れる時。使用人にも仕える相手を選ぶ権利がありますからね。幸いな事にお前は若い。騎士に戻る事も出来るでしょう。エルネスト、お前は私の自慢の息子。お前の決断を、私は決して否定しない」
 ――どうするのかは自分次第だと言い、執務室に戻るピンと伸びた父の後ろ姿を眺めながら、私は考え込んだ。

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