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令嬢改心3-3 殿下の愛人(?) がやって来ました。

 その日は、近づいてきた夜会に備えての準備を行なっていた。
 場所は一階の大広間。私は黙々と夜会準備に関する資料を目の前の金髪の青年に説明する役目を果たしている。
「まあ、服装はこれでいいとしてだ。当日の警備なんだが……」
「警備の事なら兄……じゃない、ドミニク百人隊長が詳しいですよ」
 ちなみにドミニクとは、我が兄の名前である。
「ふうん。じゃあ後でドミニク隊長に聞いておくか。献立はよし、式次第も問題なしと。後は、入城の順番だよな……はあ、しかしヴィオレットは毎回こんな面倒臭い事やってたのか」
 殿下は魔法の明かりの付いていないシャンデリアを見上げて、溜息を吐く。
「面倒とは何ですか。殿下は貴族の長の配偶者となるんですからしっかりして下さい。こういった事を雑に済ませると後に響くんです」
「ハイハイ……あー、まだ素振り百本の方が楽だ」
「この確認が済みましたらご存分に」
 いちいちぼやきが入る第八王子殿下に、私は素っ気なく返す。下手に甘やかすとどこまでも調子に乗る性格なので、ここは流すに限る。
「チッ、本当にエルネストは可愛げな……って、誰だお前!」
 バタバタと廊下を走る音が聞こえたかと思えば、乱暴に両開きの扉を開け、闖入してくる不逞の輩に私は身構えた。
 殿下はというと、既に腰に帯いた剣を抜き、扉からの侵入者に切っ先を向けている。
「殿下ぁ、そんな怖いもの向けないで下さーい。貴方のメラニーがやって参りましたぁ」
 それはヴィオレット様が倒れた原因の片割れ――というか、問題の夜会で殿下に庇われていた男爵令嬢その人であった。
 その顔を見た瞬間、殿下は真っ青になり剣を鞘に戻すと、大きく開いた扉の向こうへ突っ走る。
「ああん、待って下さい殿下ー! 貴方の恋人が参りましたよー!」
「誰が恋人だ! 僕はお前の王都での仕打ちを許さないからなっ」
 そう言い捨て、脱兎の如く逃げる殿下を楽しげに追うメラニー男爵令嬢。
 何が何だかよく分からないが、放っておく訳にもいかない。手元の資料を若手使用人に預けると、私は二人を追った。

 その追いかけっこはそもそもが長く続く訳がなかった。
 日頃から騎士身分として鍛えている男子と、蝶よ花よと大事に育てられている温室育ちのご令嬢である。体力の差からあっという間に突き放されたメラニー嬢。
「ま、待ってくださーい殿下ぁ」
 肩で息するご令嬢をそのまま放っておけないので、とりあえず庭掃除していた庭師の弟子に預けると、今度は殿下を追いかける。やれやれ、執事のお仕着せはそんなに走るのに向いていないのだが。
 そうして追いかけることしばし。殿下にようやく追い付いた時には城壁が近づいていた。そこには、騎士団の寮がある。私が追いついたのを振り返って認めた殿下は顎で寮を示し、そのまま寮内へ駆け込む。
 私が静かに扉を閉めると、殿下はその場にくたくたと座り込んでしまった。
 成る程、確かにここは女人禁制の上、関係者以外進入禁止だ。件の男爵令嬢避けにも相応しい場所と言えるだろう。
「何であの女が⁉︎ まさかエルネスト、なかなか王都へ帰らない僕に業を煮やしてお前が手配したのか」
「何故私がそんな事をせねばならないのです……ヴィオレット様をさも悪者かのように言う女性、しかも婚約者である殿下の側に主人の敵を送り込む訳がない。混乱しているようですが、少し落ち着いて下さい」
「そ、そうだな。確かにその通りだ。余りの事に少々頭が回らなくなっていたらしい」
 殿下は座り込んだまま両手で頭を抱えた。大きな、深呼吸とも溜息ともつかない息を吐いて、がっくりと項垂れる。
「落ち着いたようで何よりです。ところで、殿下は宮廷でどのようになさっていたのですか?」
「今更その質問か……まあいいが」
 このまま玄関でずっと立ち話するのも何なので、食堂に移動して話を聞く。木製の長机を挟んで、薄いエールを水代わりに話し出した殿下の顔はどんよりとしていた。
「そうだな、どこから話せばいいか……王都に戻ってから数日は平和だったんだ。いつも通り、忙しい兄上達の補佐として王都内に居る貴族に会いに行ったり、宰相から声掛けられて父上に資料届けに行ったり、後はまあ騎士の稽古に混ぜて貰って鈍らないようにしたりさ」
「成る程、いつも通りですね」
「うん。でも平和なのはそこまでだった。ある日突然、あの男爵令嬢がお使いに出た僕の前に現れたんだ。まるで偶然を装っていたけど、どうなんだか」
 そう言ってテーブルに頬杖を突く殿下は、乱暴に頭を掻いた後、大きく溜息を吐く。
「最初はさ、キラキラした目で見てくるし、僕を詩人の唄う正義の騎士のようだ! なんて持ち上げてくるからまあいい気になっていたのさ。でも、それが二度三度と続いたらどうだ? 僕が使いで回る所に常に先回りして、それで偶然ですねと言われたら」
「正直、怖いですね」
 一体どんな伝手があればそんな事が実行出来るものだか。殿下はいかにも正直者で粗忽なところがあるが、これで一応王族だ。普通は公式な催事でもなければ、その行動は機密とされる筈だが……。
 私が顎に手を添え悩んでいると、憤懣やるかたないといった様子の殿下がテーブルを握り拳で叩く。
「そうなんだよ。怖いんだよ! それも三度じゃ済まなかった! 何度でも出向いた先にはあの女がいて、僕との出逢いをその度に語っては僕と結ばれる運命だなどと言ってくる‼︎ いつでも、どこでもだ!」
 リュカ王子は私の運命の王子様――そんなことを夢見がちに語る少女、か。
 内容自体は夢見がちな乙女の可愛い妄想で済むが、行動自体が怖すぎるのは確かだ。
「そんな訳で、宮廷雀達が囀るのさ。ヴィオレットとの婚約など蹴って、真実の恋に生きたらどうだと。それでようやく僕は気付いたんだよ。こいつらが情報源かって‼︎」
 殿下は憎々しげに語る。それでなくとも、真っ直ぐな気性の殿下は迂遠な策によって政敵を影から仕留める宮廷貴族達の事が嫌いだと公言しているのに、武門の長の娘から宮廷貴族お勧めの娘へ鞍替えせよなどと囁かれたら、殿下の気性からして……。
「まさか暴れませんでしたよね? 王子とはいえ、王宮で剣を抜いたらいけませんよ」
「流石に堪えたさ! 正直その口を切り落としてやりたかったが‼︎」
「おっと、そうテーブルを叩くものではありませんよ。食堂のテーブルもそろそろガタが来てるんですから」
 私が指摘すると、フーフーと息荒く怒っていた殿下は腕組みをした。テーブルを極力殴らないように己で戒めてみたらしい。こういう所はお可愛い方なのだが……正式に公爵家当主の伴侶となる前にはこの激昂癖もどうにかしたいものだ。
 と、話を戻そう。ともかく、宮廷貴族達の後押しもあってか、殿下と件の男爵令嬢の噂は瞬く間に王都中へ広がったという。
「幾ら僕が訂正しても無駄さ王都はあいつら宮廷貴族どもの庭だ。そして、陛下はそれを決して止めたりしない」
 国王陛下もその辺りは冷静だ。隣国とはこれまでも戦争まで行かないものの多数の小競り合いがあった。抗争中は国の主力である地方領主達は解消に注力せざる得ず、主力が欠けたままでは王国の運営が立ち行かない。
 そこで登場したのが、領地を持たぬ貴族達だ。彼らは国王の忠実な部下であり、王の治世が円滑であるよう尽力する。
「陛下はあいつらが可愛いからな、役に立たない僕などより」
 少々拗ねていらっしゃる殿下は放っておいて、今までの話から推察するに……。
「宮廷貴族は、何が何でも殿下とヴィオレット様の婚約を阻止したいようですね」
 あの令嬢がその役目を果たせるかどうかは別として、殿下とヴィオレット様が不仲であり殿下には婚約前から浮気相手がいる、という印象を広く持たせるのは、正式な婚姻届を出す前の不祥事としては結構な重さであり、政敵にとっての武器になりそうだ。
 これはまた、なかなかどうして……。
「だから奴らが嫌いなんだ僕は。反吐が出る」
 殿下は苦み走った顔で低く呟いた。

「王都の話はこれでいいか? 僕は気分転換に素振りでもしてくる」
「はい、大変に参考になりました。ならば私もお付き合いしましょう」
「お? エルネストも来るなら軽く模擬戦するか」
 殿下はパッと顔を明るくした。
 未だ男爵令嬢が徘徊している可能性がある為、城壁の上に場所を移す事に。
 騎士団寮の端に立つ尖塔は、騎士団の事務所兼見張り塔の役目がある。尖塔の螺旋階段を上がり尖り屋根を頭上に見ながら扉を開ければ、城壁の上に出られるようになっていた。
「おー、相変わらずここは見晴らしがいいな。歩哨は退屈で仕方ないが、この風景を見るだけでも価値がある気がするよ」
「そうですね」
 殿下が仰るように山の中腹にある城の城壁からは城下町が見え、頭上には天高く澄んだ青空が広がっている。
 遠くに雲海を望むこの場所は歩哨が立てるように広い通路状になっていて、ちょっとした打ち合いぐらいなら十分出来る。私達は兵士に声を掛けると邪魔にならない場所まで歩いて、そこで模擬戦をする事となった。

「折角だし、魔法ありでやるか。流石に大怪我はまずいからそこだけ注意してな」
「はい。ではどちらかが参ったと言うまでで」
「お、珍しくやる気だな」
「……私も少々、溜まっていましてね」
「いやあ、エルネストとやりあうのは久しぶりだな」
 殿下はそう言って途中で拾ってきた木剣を構える。楽しそうな殿下に悪いが、こちらにも一応受けた理由があった。
 殿下は、あまりにも婚約者に無関心過ぎる。
 ヴィオレット様が子供返りなさって悩んでいる姿も見ず、婚約者の城に逗留中だというのに顔を見せにも来ない。挙句は、ヴィオレット様扮するメイド少女に熱を上げたり、だと思えば王都では別の愛人騒ぎが起こすなど、女性関係にもだらしがない。
 正直、ヴィオレット様が不憫過ぎるのである。ここは執事として怒っていいと思うのだ……。
 最初は手合わせ程度。そのうち、速度不利と見た殿下が身体強化で速度を上げてくる。
 こちらはそれも織り込み済みと応戦。カンカンと、木剣の打ち合わされる乾いた音が静かな城壁に響く。歩哨に立つ兵士がこちらを興味深そうに見ているのを職務に戻れと視線で咎め、私は更に速度を上げる。
 カンカンと高い音からガツガツとした鈍い音へ。このままでは打ち負けると、私は少しばかり下がり剣を両手で握り斜に構えると、防戦の形を取った。殿下は兄に似て腕力を武器に一撃で仕留めようとする豪剣の主だ。だからこそ細剣や短剣が得意の私は細かに動いて隙を突き、小さな傷を与えて相手の体力を奪うという反撃の立ち回りが基本となる。
 それが分かっているから、殿下も攻めあぐねているようだ。しばし、打ち合いの音が止み、風音だけが聞こえる――技術より感覚を優先する殿下は、そろそろ苛ついてくる筈。
「よしっ、今だ!」
 殿下が焦りに大きく振りかぶったとき――。
 私は腰に下げた短杖に触れて唱える。
「水よ、かの者の頭上へ。渇きを癒し、潤いをもたらせ」
 ――それは本来対人でなく、水瓶やケトルなどに大気中の水分を集める為の生活用呪文だ。
 当然、殿下はずぶ濡れに。
「……おいっ! 攻撃呪文ありとは言ったがこれはどんな嫌がらせだ!」
 殿下は額に張り付いた金髪を搔き上げ、こちらを睨みつけてくる。水で湿ったダブレットは殿下の上半身を重く拘束していることだろう。それに何と言っても湿った服というものは不快だ。
「最近、殿下が考えなしに動かれる事で私や主人にも影響が出てきまして、少々苛立っております。そこで意趣返しに少しばかり冷や水をと。どうです、少しは目は覚めましたか?」
 私が慇懃な笑みを浮かべ言うと、肌に張り付上衣を嫌そうに引っ張りつつ殿下は答える。
「そりゃ覚めたが…一体何を怒ってるんだ? 言っておくがあの女とは全く関係ないぞ僕は。不満があるなら口に出せ。僕はお前のように頭が良くないから言われないと分からないぞ?」
 と、殿下はまったく悪びれない。私の嫌味はこうしてさらりと流されたのだ。
 ……これから先の人生を歩む片割れを労わらない己を見出して下さればと思ったが、これは一生掛かっても自身では理解されないだろう。それでは破綻が見えている。
 私は頭痛を堪えるように額を押さえた。
「どうしたエルネスト」
「いえ、先が思いやられるなと……」
 残念な事だが、いずれ殿下にも時間を取って話すしかないかと私は腹を括った。幾ら殿下がヴィオレット様を嫌いでも、婚約は止められないのだから。

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