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らしさ。

とあるSNSの記事で介護(施設生活)の末、お母様が他界され、『最期までお母さんらしかった』と思った方の記事を読みました。

実は、私の母も施設生活をもう約6年しております。

詳細はまた機会があれば書くとして…

介護。

ただただ私の考えを残したいと思います。

自宅介護も経験しました。
とてもじゃないけど、自宅でバッチリ介護出来るよ!ってほどのバリアフリー化にはすることは出来ず、
ベッドがあって、その横にトイレがあって、出入口だけスロープにしただけ。

そんな環境も完璧じゃないところでの介護。

親だからこそ、子供だからこそ、
思い通りにならないとぶつかる。

ストレスも溜まる。

介護して、身支度して、仕事行って、また介護。

寝たと思ったら、『トイレしたい』と起こされる。

自由がない。

当時、23歳だった私にとっては早すぎる、そして、悲しく辛すぎる毎日でした。

これでも兄が3人も居てまして…
末っ子長女の私の意見はどこへやら。

勝手に自宅介護にするからねーってなったと思ったら、施設に入れるよーって。

そりゃ、毎日きつかった。
どんなに『病気だから』と自分に言い聞かせても、娘である私ばかりに頼られるのがしんどかった。

けど、勝手なもんでね。
いざ、施設に行ってもらおうってなると、
罪悪感と寂しさとごめんねしか出てこない。

施設は『空いたよー』ってなると、待ってはくれない。
そりゃそうだわ。
空くのを待って、待って、待って…ってしてるんだもんね。
施設が決まった3日後に入所。

その間に持ち物全てに名前書いて、
『あぁ、子供の入園や入学準備よりこっちが先か…』
ってなって、
『いや、これもお母さんへの恩返し!』ってなって、
もう気持ちがぐちゃぐちゃで、
病気になるのが私だったら良かったのにって…

そして、入所。
お母さんに『いっぱい会いに来るからね』って約束して。
お母さんが寝てない部屋のベッド見てはまた寂しくて。
でも、解放された感もあって…

時間が経てば慣れるけど、慣れるまでの日々がまたしんどかったなぁ。。

お母さんは病気をしてからよく泣くようになった。

だから、私は未だにお母さんに1人では会いに行けないし、そんなに頻繁に行けてないのが事実。

泣かれるのが嫌だから。

『また来てね』って握られる手のあたたかさが辛いから。

一個人の気持ちとしてはこんなところなんだが、
客観視した時に、介護を仕事にしてる人は凄いと思う。

私には絶対出来ない。

正直に言うと、絶対いらいらするし、利用者さんに対して好き嫌いをハッキリしてしまうと思う。

その好きだなぁって思う人が最期を迎えてしまったら、感情が入りすぎてダメになりそうだし。

そこで、身近な人が介護の仕事に就いた。

色んな話を聞かせてもらう。

そして、今日、最初に書いた記事を読んだ。

施設生活の中で、【その人らしく】って一体なんなのだろう。。。

お母さんらしく…

お母さんは元々すごく気を使う人で、今でもトイレに行きたいのに職員さんが忙しそうだと言えずにいる。

娘からすると、『気にせず言えばいいねん。それも職員さんの仕事やで』なの。

職員さんの立場に立つと、『えー、今!?ちょっと待ってー!』

って時ももちろんあると思う。

今あのテレビが見たいから、部屋に戻りたい。
でも、1人では戻れない。

今歯磨きはしたくないのに、してって歯ブラシはもう口に入ってる。

規則正しい一般的な生活がその人らしさ?

いや、介護施設を否定してるんじゃないよ?

利用者・家族・職員・経営者
何か私からしたらすごい歯がゆい矛盾というか、、
んー、上手く言葉に表せないけど、とにかく難しい世界なんだと思うの。

結局のところ、お世話になってるから施設さんがするやり方でやってもらうしかないし、全然それで文句も言えないし、言うつもりもないけど。

ただ、今もしもお母さんがこの世を去ったら…
私はきっと『最期までお母さんらしかった』とは言えないと思うなぁと思って…。

それは決して、施設生活だからとかではなくて。

お金持ちだったら。

自宅で介護しやすい福祉の制度があったら。

何より、自分がもっと強い人間だったら。

元気だった頃のお母さんと私みたいに、
どんな時でもそばで一緒に居たかなって…

だけどさ、結局は今自分らしいかなんて本人にしか分からないし、、、

んー、人間て難しい生き物だ。


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