第十四集:君側之悪

 朝堂。
 そこは天子とともに朝臣たちが政治を行う場所。
 長く大きな階段の先、いくつもの廊下で結ばれた建物はどれも荘厳で美しく、国の大事を話し合うに値する場であった。
 しかし、十七年前のある時期から、この朝堂には悪意と欺瞞ぎまん蔓延はびこるようになり、その権威は侵入してきた毒によって徐々に侵されつつあった。
「国境で瑞泉軍が命を賭けて闘っているからこそ、文官の皆様は政治を行えるのでは?」
 朝政の場にて、支出が多いのではないかと戸部尚書こぶしょうしょに問われた英王は、微笑みを浮かべながら言った。
 本来ならば軍務を統括しているはずの兵部尚書は、夏でもないのに大量の汗をかきながらうつむき続けている。
 役に立たない同僚をしり目に、戸部尚書は言葉を重ねていった。
「ですが! なにも花丹かたん国の軍は英王殿下の瑞泉軍だけではないのですよ! 他の戦地がひっ迫した状況なのです。いつまでもそのような態度をとられては……」
「勝ち続けているのはわが息子が主師しゅすいを務める瑞泉軍だけですがね。皇太子殿下に賞していただいたからその分の資金があるだけで、兵部から渡される軍資金は他とあまり変わりますまい。いかがかな? 戸部尚書殿」
「何を、屁理屈を!」
 声を荒げた戸部尚書は、すぐにハッとした顔で皇太子が座る玉座を向き、深くお辞儀をして謝罪した。
「朝議にて大声を出すなど……、申し訳ありません殿下」
「……よい。楽にせよ。私がもっと全体に目を配るよう約束しよう。気をもませてしまったな」
「いえ! 殿下に落ち度はございません。すべては我々が上手く調整すべきこと……」
 戸部尚書が再び頭を下げようとした瞬間、英王は柔和な笑みをうかべ、皇太子に言った。
「殿下はこの世でたった一人でございます。軍務はわたくしがしっかりと目を光らせておきます故、治国にご専念くださいませ。皇帝陛下もきっとそれを望んでおられるはずです」
「陛下……。父上も月初の朝議には参加出来よう。皇伯殿、どうか父上を支えて差し上げてほしい」
「もちろんです。わたくしは陛下の兄ですから。兄が弟を大切にするのは当たり前のことです」
 皇太子は聡明で柔和で素晴らしい人物だが、その優しすぎる性質を、今まさに英王に利用されている。しかし、家族思いの性格が災いし、伯父である英王の思惑気付いてすらいない。
 もし、このまま皇帝が崩御なんてことになれば、花丹かたん国は皇太子から英王にその玉座を奪われてしまうことだろう。
 すでに英王とその世子の根回しはほぼ成功し、国境を護るすべての軍に英王親子の息がかかった兵士が派遣されてしまっている。
 このままでは、国中の軍隊が瑞泉軍もとい、英王のものとなり、仮に謀反が起こっても、皇太子を護ることができる兵士がわずかとなってしまう。
 地盤が着々と準備されてしまっているのである。
 英王は今の状況に薄笑いを浮かべ、ちらりと朝臣たちを見た。
(工部、兵部、刑部は手に入れた……。まだまだやることは多いが、必ずや、皇位を我が手中におさめてやる)
 和やかではない雰囲気で終了した朝議。
 英王は朝堂の長い階段を降りながら、ふと立ち止まると、空を見上げた。
(さぞ愉快だったことだろう。私を見下す感覚は! なぁ、皇帝よ!)
 英王は手を握りしめ、突然笑い出した。
 英王には恨んでも恨んでも足りないほど憎い皇帝が二人いる。
 一人は自分を皇太子に選んでくれなかった父親である先帝。
 そしてもう一人は、皇長子である自分から皇太子の座を奪った弟。十七年前のあの事件から体調の思わしくない皇帝その人だ。
(私を支持していたはずの朝臣たちも、弟が皇太子に冊封された日から態度を変え、それ以降わたしには見向きもしなくなった……。それどころか、梅寧軍を率いる、ただの庶出の弥王にすり寄る始末……。後悔させてやる。私を皇帝にしなかったことを!)
 梅寧軍はもういない。瑞泉軍を従える英王を止めることのできる人物など、いないに等しい。
 しかし、まだ皇帝は生きているし、その権力も民からの信頼も厚い。
 いまはまだその時ではないのだ。
 
 
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 時を同じくして、蒐集屋敷銀耀ぎんようでは、出勤したわたしと雇い主スペンサーの間で作戦会議が行われていた。
「まずはどこから始めますか?」
「そうですねぇ……。六部尚書の誰かに恩を売るっているのはどうでしょうか」
「ううん……。それって計略で恩を売っても、心の底から信じてくれることにはならないのでは?」
「まずは翠琅すいろうさんの実力を覚えてもらわねばなりませんでしょう?」
「まぁ、それはそうかもしれませんけど」
「じゃぁ、この依頼をこなしちゃいましょう」
 そう言ってスペンサーから見せられた地図にあったのは、このあいだ行ってきた長海の魔窟ダンジョンだった。
「また行くんですか?」
「そうです。兄上からの依頼もまだ果たせてませんしね。それに……、どうやらこの現世には魔窟ダンジョンにしかない薬草があるらしく、それさえあれば刑部尚書の娘さんの病がよくなるそうですよ」
「……人命を駆け引きの材料にするんですか?」
「駆け引きではありません。好意で助けてあげるのです。見返りは求めませんよ」
「でも、恩を売るって……」
「恩は受け取り手が勝手にそう感じるだけで、わたくしどもにコントロールできる心の動きではありません」
「狡賢いですね。でも、気に入りました。さっそく行ってきます」
「え、もう行っちゃうんですか?」
「早いに越したことはありませんから。今度は来ないでくださいね」
「うっ……。はい……」
 わたしは屋敷から出ると、すぐに大仙針だいせんしんに乗り、長海目指して飛び上がった。

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