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SCOT 『世界の果てからこんにちはⅠ』

SCOT SUMMERシーズン2024にていつもの通り観劇。もう何度観ただろうか。こちらはYoutubeにも映像があるので、リンクを張っておく。


演出ノート

日本という幻想

 私の演劇活動の初期は二つの思想的な課題を軸に展開した。一つは日本の現代演劇は西洋の影響のもとに出発したが、その影響の受け方はこれで良かったのかどうか、もう一つは日本人と呼ばれる人種あるいは人間集団の思考や情動の独自性はどんなものかを解明することであった。前者は新劇の演技の再検討となり、後者は日本人が日本語で書いた文章、小説、戯曲、随筆、論文などの言語的な素材を積極的に舞台化することにつながった。『劇的なるものをめぐって』シリーズはこの時期の代表的な舞台である。

 今回の舞台、『世界の果てからこんにちは』は利賀フェスティバル開催10周年を記念して、これまでの私の作品の中から、日本について考えさせる場面を抜き取り、花火を使ったショウとして構成したものである。長年私の舞台を見てくださった方には、見覚えのある場面が次から次へと出てくるように思われるだろうが、今までとはまったく異なった主題の文脈で出現しているから、また新鮮に感じていただけるかと思う。宗教人の世俗性や日本主義者の民族的妄想、あるいは食べ物をめぐっての些細ではあるが熱狂的な諍いや、歌謡曲に表出される自己満足的でセンチメンタルな抒情など、日本人が陥るバランスを欠いた心性の幾つかを批評的に造形してみた。むろん、それらの心性も時代環境や人間関係の特殊性が生み出す有為転変のものなので、ベケットやシェイクスピアの歴史的時間に対する意識性との対比の中で展開するようにしてある。

 結論的に言えば、現在の我々には日本という言葉から感じる共有のアイデンティティーはないのだということになるが、それは第二次世界大戦を挟んだ日本という国の在り方、その断絶と継続の局面をどう把握するかという努力を意識的にあいまいにしてきた国家的怠慢に起因しているという私の考えによっている。シェイクスピアのマクベスの死ぬ直前の有名な場面のマクべス夫人が亡くなったという報告を、「日本がお亡くなりに」にし、つづいての独白を「日本もいつかは死なねばならなかった。そういう知らせを一度は聞くだろうと思っていた」と改変したのはそのためである。

 ともかく花火を使って空襲や特攻隊自爆のイメージを再現できるなどとは思いもよらなかった。こういう劇場は世界のどこにもないだろう。こんなことが一過疎村で実現したということにあらためて驚くのだが、演劇人としてはたいへん幸せなことで、こんな劇場を作ってくださった利賀村民の皆様に心からの感謝を申しあげたい。

https://www.scot-suzukicompany.com/works/09/

自分にとっては、1年に一度、富山の山奥で日本人とは何か?を考えるタイミングにもなっている。毎回、感じること考えることが違うから不思議だ。

今回は、『シラノ・ド・ベルジュラック』の後での公演だったため、竹森さんは連投。さすがに喉が少し厳しそうだった。花火は年々技術が上がっているのか、あるいは地元の子どもたちも多い最終週だったためか、やや空襲的なイメージは控えめだったような気もする。

演劇という歴史の記憶

最終場面はシェイクスピアの「マクベス」のセリフを少し変更し、主人公に語らせている。マクベス夫人が死んだという報告を聴く場面のそれである。マクベス夫人のことを「ニッポン」という言葉に置き換えた。

  男 何を騒いでいた。
  女 ニッポンが、陛下、お亡くなりに。
  男 ニッポンもいつかは死なねばならなかった。
    このような知らせを一度は聞くだろうと思っていた。
    明日、また明日、また明日と、時は小きざみな足どりで
    一日一日を歩み、ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく、
    昨日という日はすべて愚かな人間が塵と化す、
    死への道を照らしてきた。
 
日本人がまだ、東日本大震災の惨状を生きている現在、「海ゆかば」も「マクベス」の書き換えたセリフも、かっての舞台とは異なった印象を与えることになるかもしれない。

 小林秀雄は第二次大戦中に「無常といふ事」の中で次のように書いた。「思い出が、僕らを一種の動物である事から救うのだ。記憶するだけではいけないのだろう。思ひ出さなくてはいけないのだろう。多くの歴史家が、一種の動物に止まるのは、頭を記憶で一杯にしているので、心を虚しくして思ひ出す事が出来ないからではあるまいか。上手に思ひ出す事は非常に難しい」。

 確かに演劇はギリシャ以来、思い出の歴史である。過去とそれを思い出す、その思い出し方の方法を集団で共有しようとする努力の産物であった。小林秀雄的に言えば、死んでからはっきりした人間の形を獲得するのではなく、生きている間に、少しでも人間の顔を持ちたいという願望に支えられた文化活動だった。

 今回の「世界の果てからこんにちは」の舞台が、演劇のそういう努力の歴史に連なっていればと思っている。

https://www.scot-suzukicompany.com/blog/suzuki/2011-06/68/

情報洪水の現代社会、日々情報を効率的に処理することに最適化した生活を送っていると近視眼になって、記憶のない動物と化してしまう。

「記憶を失えば、楽になるのに」

それでも、記憶を捨てず、記憶を集団で共有せんとする所為。今回の観劇では鈴木先生のそうした叫びのようなものが特に伝わってきた。

御年85歳。寺山修司、唐十郎、磯崎新、別役実、蔦森皓祐、先生の同志は皆逝ってしまった。枯れすすきに濁点を付けて、枯れ鈴木。いよいよもうオシマイ、等と言われたらどうしよう。そう思っていたが、死ぬまで走り続けると力強く仰っていただき、内心涙が止まらない。

今でもそうだが、野外劇場の公演が終わると、舞台上で鏡割りをする。生酒の入った樽の蓋を、餅つきの時に使う杵で割り、観客全員にふるまうことを恒例としている。舞台上はコップを手にして、背後の池や山を眺める人たちでギッシリ。

https://www.scot-suzukicompany.com/blog/suzuki/2013-07/142/

この鏡割りの際、今年は先生に一緒に写真を撮っていただいた。こんなことめったにするものではないが、一も二もなくお願いをしていた。

必ずまた来ます。

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