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三浦春馬ーブレイブ群青戦記

 右を向いても左を向いてもコナン。今、映画館は、多くのスクリーンをコナンが占めている。ここまでくると圧巻だなぁ、と思いつつ、一人、「ブレイブ群青戦記」のボタンを押した。

 気分が落ちている。まさかここに来て、ここまで落ちると思わなかった。

 わが町でもようやく「キンキーブーツ」の映画が公開となり、先週、勢いに任せて、でもすごく楽しみで、ウッキウキで行ってきたのだ。観るまでは、あの時得た感動をもう一度リアルに呼び起こせると思っていた。

 たしかに呼び起こせはした。しかし。冒頭のピンポンパンの音楽を聴いた瞬間、言い表せないほどの切なさが襲ってきて、まだ始まってないのに涙が出そうになった。 

 2019年、冒頭からウキウキして、いつローラが出てくるのかな?って思っていたことや、出てきたら出てきたで楽しいのに会えた嬉しさで涙が出たこととか、ローラが出てきたらローラしか見てなかったこととか、ローラみたいにくるくるパーマにしてみたいなって思ったこととか、体は大きいのに美しかったこととか、ローラのように優しく強くなりたいなって思ったこととか、あげたらキリがないほどの感情がわいてきた。ストーリーを追いながら、申し訳ないけれど、脳内は完全に春馬くんにすげ替えしていて、会いたくて会いたくてたまらなくなった。私の心のベクトルは春馬ローラにしか向かなくなった。

 家に帰ってきてトリビュート映像を見て、CDを聴いたけれど、かえってそれが傷口に塩を塗り込んだ。まさしく心の自傷行為だ。ますます会いたさが募ってしまって、私のリフレッシュ休日は、いとも簡単に底を打ったはずの底を抜けて、足のつかない沼に入り込んでしまった。

 そんなどうしようもない私を見かねたのか、春馬くんの日の朝方、夢に春馬くんが登場した。昨年の7月28日の夢以来だ。(ってメモっているところが、自分でも引く。)あの時は一緒に写真を撮ってくれたんだ。(ってメモしてあるところも、引く。) 

 今回は風早くんで登場。白シャツ、白ベスト、グレーのズボンになぜだかネクタイじゃなくて、バーガンディ色のひもをリボン結びにしている。かわいい、、、完全にかわいい。にこにこして校門に腰を掛けてヴァイオリンを背負っている。すると音楽室で甘い音色を奏でたと思ったら、技巧的な弾き方をして、私をびっくりさせる。「春馬くん、なんでそんなに弾けるようになったの?」って思って顔を上げたら、ニコニコはにかんで、夢が途切れた。町内でクリーン作戦と称したイベントで、側溝をスコップでなぞる、あの音が、私と風早君の間の愛しい時間を裂いた。恨むよ、クリーン作戦!!

 寝ぼけながらも、もしかしたら、もうヴァイオリンの練習とかしちゃって、弾けるようになってたりするのかな、、向こうでもやっぱり努力しているんだろうか、なんて思ってしまった。もう少しゆるりとしていてほしいよ、と思いながら体を起こしたのが7時で、ブレイブ唯一の上映時間、8時半に間に合うんじゃないだろうか、と思った。前夜、休日の8時半とか無理、絶対に無理、って思っていたんだけれど、これは行けということではないか、春馬くんに、元康様に会いに行けということじゃないだろうか。何より今日は春馬くんの日。私は顔をバシャバシャと洗って、ノーメイクにマスクに眼鏡という、春馬くんに会いに行くには絶対的にダメ子ないでたちで映画館に向かったのだ。そして冒頭に戻る。

 さて、ブレイブについて書くという気持ちにもなっていなかったので、メモも取らずにただただ、春馬くんを目で追っていた。 

 ブレイブでとにかく圧巻なのは、ひいき目で観なくとも、元康の存在感だ。登場するやいなや、人を引き付ける空気が放たれている。現れるだけで、ピンと張り詰めた感じ。当時のリーダーには欠かせぬ突き抜けたカリスマ性は、考太や蒼が元康に取引を持ち掛けるシーンでまずは見せつけられる。春馬くんの目や眉の動かし方、蒼に向けた刃さばき、息をしない息遣い…それらが稀有な存在感とカリスマ性を引き出している。まさにここに三浦春馬ありき、のシーンだ。

  「おぬしらが、丸根砦をせめるのじゃ」

 きっと皆さんもこのシーンは印象に残っていると思うが、私はここを自分で「見返り春馬」と名付けている。ただ振り向くだけでない。いや、もしかしたらただ振り向いただけ?いやいや、春馬くんのことだからそんなことはないはずだ。振り向くスピードと首の角度も、髪の流れ方、すべて計算されている気がする。とにかくすっごくかっこいい。あの一瞬で、カリスマ性に拍車がかかって、「殿!」って私も呼びたくなるくらいだ。

 ハッキリ言って殿はとても若い。調べたら、当時の元康は17歳。ということは、この世で言えば高校生、蒼たちと同じ世代である。

 同じだけど同じじゃない。若くても多くの人を率いる殿と普通の高校生。きっと春馬くんもマッケンもちゃんとそれを感じて演じていたんだろうな。元康の確固たるその居住まいと、蒼の自己肯定感の低さと、両方が重なり合って、元康のカリスマ性が生まれたのだろうと思った。

 でも、ちょっぴり同世代かなと思わせるシーンがある。元康が蒼に未来の話を尋ねながら、いやいや待て待て、と蒼の回答を遮るノリ突っ込みのようなあの場面だ。元康の生き生きとはしゃぐような楽しそうなあの目が、こちらをも一瞬楽しくさせる。なんか純粋に、いいなぁ、と思えたシーンだった。

 話が進み、考太が討たれてしまい、蒼の仲間を守りたいという奥底から本能が目覚める瞬間、すなわち荒野で元康と蒼が語り合うあのシーン。元康が蒼の話、決意をただ静かに聞きながら、蒼の中の素質を感じて、その進むべき道を指し示すあのシーンは作品の中でとても大切なシーンだということが分かる。元康の静かだけれど、その心には蠟燭の芯のように燃える何かが秘めており、蒼を諭しつつそっと蒼を導く姿に、胸が熱くなった。カリスマ性とはまた違う、寄り添いながら力を渡していくような春馬くんの演技にやっぱり感嘆する。

 後半になると、不破瑠衣(渡邊圭祐)が登場し、カリスマ性の対比が生まれてくる。

 元康は民を守ることに命を注ぎ、不破は自分の信念の邪魔をするどんな者にも容赦はしない。だけど春馬くんの「加勢いたす」からの戦いぶりは、不破の利己的・排他的な心の貧しさを浮き出し、元康の命がけで民を守る信念と利他的なリーダー性、信頼性を顕在化させる。大切なものを守ることの強さが、力でねじ伏せる強さよりも勝ることを我々に伝えてくれるのだ。

 それを感じながら、これって現代に生きる我々が本能的に求めているものだよな、とも思った。切り捨てることによって生まれる効率性も時には大事だけど、捨てたその余白に大切なものがあったり、自由な個人主義も裏を返せば他人に興味や思いやりを持たないことでもあり、人に気にかけられたり、承認してもらったり、人の思いに触れたくなることだってある。春馬くんが追い続けた「日本製」にも通じるけれど、生産性の高い物の生み出し方もあれば、ずっと伝統を守って製品を紡ぎ出すことだって大切なのだ。

 あの二人のカリスマ性を感じて、こんな思考にまで至るって、どんだけの影響力を持っているの!どんだけすごいの、春馬くん!!かっこいいし、理知的な演技だし、やっぱり大きい声で「殿!!」って叫びたくなる。(2度目。)

 だけどね、カリスマ性、リーダー性、ってさっきから書いているけれど、元康の魅力はそこだけでないと思っている。

 ここで紹介したいのが、私のTwitterのフォロワーさんなのです。その方とお嬢さんは大の春馬ファン。お嬢さんは小学校1年生になったばかりかな?春馬くんの大ファン。結婚したいくらい大ファン。もう、本当に結婚してあげてほしいって思う。で、私はそのお嬢さんの絵の大ファン。彼女の書く春馬くんの絵は忠実なのだ。ローラのワンショルダーのドレスも丁寧に書かれているし、ほくろも必ず書いてある。そしていつでもにこにこ。優しい。

 ブレイブの「かせいいたす」のシーンも描いているんだけれど、その顔はやっぱりにっこり。そしてこちらもほっこり。その絵を見て、ああ、元康の優しさが、小さな子どもにも伝わっているんだろうな、って思った。人を率いるカリスマ性の裏側に、民を守るという信念があり、人を思いやるという心がある。画面に顕著には表れないけれど、元康のどこかおおらかで優しい人となりが、春馬くんの演技、醸し出す空気を通して、小さな子にも、私たちにも透けて見えるんだろうな、って思った。

 ブレイブを観た後、元康を演じる前の春馬くんのコメントに出会った。

「作品の持つ壮大なスケールの中、他人を思いやり、奮闘する事が、未来に繋がるというメッセージを届けられるよう少しでも尽力出来ればと思います」

 そうなんだ。そう語っていたんだ。春馬くんのその演技、伝わっているよ。そしてそのメッセージ受け取っているよ。

 帰り際、私よりもずっと年上の人が目頭を押さえたままその場を動こうとしなかった。気持ちは手にとるようにわかる。どうしても辛くなってしまうんだ。先週までの私と同じだ。そうだった私がこんなこと言うのもおこがましいのだけれど、でも、春馬くんはきっと私たちがめそめそすることは望んでないだろう。受け取ったメッセージをつないでいった方が、きっと目をキラキラさせながら喜んでくれるだろう。

 「皆、寂しくて、一生懸命」

 これは昨晩読んだ、「女王様の夜食カフェ/古内一絵」という本の一節だ。ドラグクィーンのシャールさんが主人公のこの本で語られる言葉たちを、私はいつもローラが言っているように変換してしまう。

 元康も蒼に語りかけた「一所懸命」。現代では「一生懸命」と変容しているが、私たちも、寂しくて、一生懸命だ。一生懸命、立ち上がろうとするし、寂しさに蓋をしながら、春馬くんの素晴らしさを一生懸命語るし、何より、一生懸命生きている。ただ今は一生懸命生きればいい。それがしんどかったら、立ってるだけでいい。そして、一歩前に足を出そうとする時に、春馬くんから受け取ったものを携えて、一生懸命、心から語れる時が来れば語って繋いでいけばいい。ブレイブを観て、めそめそだった私も今、そう感じている。