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ひよっこライター、増田明美さんの名解説に学ぶ。『調べて、伝えて、近づいて 思いを届けるレッスン』

陸上競技一色だった中高時代、私の愛読書は『月刊陸上競技(講談社)』だった。その名のとおり、陸上競技で埋め尽くされた専門誌だ。

夏までのトラックシーズンは女子800、1500、3000メートルの中長距離種目。冬は駅伝競技と、走ること中心の学生生活を送った。そんな私が当時、憧れていたのは「こまかすぎるマラソン解説」でおなじみ、スポーツジャーナリストの増田明美さんだ。

増田さんは20年以上にわたり大阪芸術大学で教鞭を執るほか、2017年のNHK連続テレビ小説『ひよっこ』のナレーションを務めるなど、幅広いフィールドで活躍されている。

ランニングシューズを脱いで数十年……。このたび未経験からライターの世界に飛び込んだ私は、一冊の本をとおして増田明美氏に“再会”した。

これからお話しするのは、「ひよっこライター」が過去と今を行ったり来たりしながら、増田さんの本を読んで学んだこと、気づいたこと、あれこれ考えたことを記した成長の記録だ。

と、今自分ができる最大限の背伸びをして書いた(つもり)ですが、さとゆみさんの「初心者のためのエッセイの書き方」講座で学んだことをせっかくならアウトプットしてみようと、練習のつもりで書いています。少しお付き合いいただけたら嬉しいです。


少女のときめき

時は、2000年。私は福島県の南部中央に位置する白河市にいた。ようやく残暑が落ち着き、季節の移り変わりを感じる9月の終わりのころ。長距離種目勢にとっては、早くも駅伝シーズンの幕開けとなる大会、「しらかわ駅伝」に参加していたのだった。

どこまでも田畑が広がる穏やかな風景。その緑に敷かれた一本道を、私はジョグで行ったり来たりしながら身体を温めていた。今かいまかとチームメイトの襷(たすき)を待つ。でも気持ちがソワソワして落ち着かないのは、それだけじゃなかった。

「高橋尚子が金とったぁ〜!!」

スマホやライブ中継なんてなかった当時、ラジオ中継を聞きつけた誰かの声が、田園いったいに響きわたる。第3中継所に居あわせた全員が、歓喜を押し殺すようになんとか出力をおさえて「おぉ!」と小さくリアクションした。選手も付き添い部員も誘導スタッフも、駅伝大会のさなかであることを忘れて、たしかな一体感に包まれたのだった。

日本人初の五輪マラソン金メダルという快挙に歴史が動いたこの時代、陸上少女にとって忘れがたい記憶がある。それは、ある大会の開会式に増田明美さんが来賓で来られていたことだ。壇上から私たち選手に向かって手を振ってくれたのを今でも覚えている。距離があったせいか、想像よりもうんと小柄で、手の振りが素早かった。私はときめいた。


茶の間のテレビで

望んだかどうかは別として、私はたまたま「走ってみたら長距離が早い人」に生まれた。心肺機能が強めだったらしい。校内のマラソン大会で走るといつも1位だった。中学生のとき運よく優秀な指導者に恵まれて、あれよあれよと関東・全国大会に出場する選手になった。

母や祖母は、応援で各地に出向くうちに私よりマラソン観戦に夢中になった。茶の間の大きなテレビで、マラソンや駅伝中継をよく一緒に観た。増田さんの「こまかすぎる」解説を聞いて私たちはあーだこーだと話しながら、引き込まれるようにレース展開に夢中になった。

ある女子マラソン大会でのこと。ひとりの外国人選手について「〇〇さんはね、毎朝起きて聖書を読むんですって。彼女は信じる力が強いんですね」と増田さん。すると私たちは「ほぉ〜」。

また、ある駅伝大会で「〇〇さんは、7人兄弟の末っ子なんですよね。お母さんが貧血の彼を心配してね、家の冷蔵庫を開けると必ずほうれん草のストックが置いてあるそうなんです。」と増田さんの解説が入ると、母が自分の姿と重ねたのだろう、横からすすり泣きが聞こえてくる。

マラソンや駅伝は、いかに早くゴールにたどりつくかを競うシンプルな競技だ。1秒でも早い者、早いチームが勝ち。これ以上ないほど単純明快な競技だ。しかしこのシンプルさの裏には、当然ながらおのおのの選手のストーリーがあり、監督やチームメイト、家族など関わる多くの人の存在がある。

関係性があるか熱烈なファンでない限り、テレビ観戦する側の人というのは、走っているのがA選手なのかB選手なのか、正直どちらでもよい。このとき、選手とは普通名詞だ。しかし、増田さんの解説によって選手個人の人となりを知っていくと、だんだんそれがカラーになって、立体になって、浮かびあがってくる。固有名詞になってくるように思う。選手に対して、親しみや思い入れが湧いてくるようになる。

42キロの長い道のりを中継車で運ばれるようにして、選手たちを追っている。なんとかゴールまで踏ん張ってくれ、頑張ってくれと祈るように見守る。同じランナーとして、憧れの選手として、家族として、めいめいの立場や役割になって、思いを寄せたり共感したりして、一緒に走っている。こうしておんな3世代は、マラソン中継を観て盛り上がったのだった。今から20年以上も前の話。


懐かしくて新しい再会

私が増田明美さんの『調べて、伝えて、近づいて 思いを届けるレッスン』という本を手に取ったのは、過去の経験を棚卸して陸上少女時代を思い出したのがきっかけだった。この数年は特に子育てやらなにやらで忙しない日々を過ごし、一度は忘れ去ったような過去だった。

40歳を目前にして、未経験からライターの世界に飛び込んだ私は、セカンドキャリアは「持っているものを総動員して『総合力』でいくっきゃない!」と自分に言い聞かせた。こうして重い腰を上げるように過去を掘り起こしていると、増田明美さんのあの解説が聞こえてくるような感覚を覚えた。当時の私は、将来の自分がライターになっているとは夢にも思わなかっただろう。増田さんとの“再会”に、懐かしさと新しさが入り混じっていた。

この本では増田さんの取材の原点や相手との信頼関係の築き方、情報収集の極意などが紹介されており、私は弟子入りする気持ちで読み進めた。


今わかった、増田さんの解説は……

先月、ライターでコラムニストの佐藤友美さん(以下、さとゆみさん)が教える、エッセイの書き方講座に参加させていただいた。身の丈に合うのかわからず、おそるおそる講座に申し込んだ。zoomの画面をオンにする勇気を持てずにいたが、講座が進むにつれてこわばった心身がほぐれていった。そして、最後の締めくくりにさとゆみさんが送ってくださったメッセージを聞いたとき、私の心に光が差した。

そのメッセージとは「『知ることは愛することです』。もう一つ多く聞き、問いを重ね、人を知ろうとする。それは、自分の周り半径5mを愛することにすごく近い」というものだった。

ライターって、なんて素敵な仕事じゃないか!と誇らしくなり、熱くなり、奮い立つように高揚していると、ある言葉がつながって、私に迫ってきた。

本書のなかで、増田さんは取材相手をとことん調べると繰り返し書かれていた。レース前だけではなく、時間がゆるす限り練習場や合宿場などへ赴き、筆ペンを走らせると。あれだけの情報を蓄えたうえで「小ネタ」を出し入れするのだから、徹底したリサーチがあることは簡単に想像できる。

そしてその「小ネタ」となる話を聞き出すために、加えて相手との信頼関係が欠かせないそうだ。増田さんが人との人間関係をつなぐために心がけているのは、「相手に興味を持ち、相手を知ろうとすること」だと書かれていた。続いて、1つの言葉が紹介されていた。その言葉というのが、「愛の反対は憎しみではなく、無関心である(マザー・テレサ)」だった。

書く仕事は、無関心でいられない。というか、無関心では書けない。取材対象を知らないと書けない。経験が浅いながら、これには「ひよっこ」もうなずく。相手を知ろうとすること、目と耳と心を向けること、理解しようとすること、そして問い、もう一つ深く知ろうとすること。それが愛であるなら、振り返ってこう思った。増田明美さんの解説の主成分は「愛」であったと。「ひよっこ」は更に深くうなずいた。


「愛する」という選択

ここまで書いたところで、私は数年前にある牧師さんから聞いたこんな話を思い出していた。

「愛(ギリシア語でアガペー)は感情的なものではなく、選択です」という言葉だ。聖書で「愛」は理性的な選択であり、意志をともなって主体的に行動を選び取ることであると。感情に左右されるものではなく、優先順位を決めて「選ぶ」ことなのだという話だった。

これを聞いたとき私は、なにやら難しそうと思ったが、愛することはホレたハレれたの愛憎劇ではなくて、もっと深いものなのだなと、みょうに納得したところがあった。それからというもの、私は「愛する(行動)」と「好き(感情)」を分けてとらえるようになった。「好き」は私の感情であるから自分が主語で、「愛する」は感情に一呼吸置いてから視線を少しずらし、自分を含む相手や周りの最善を考えて行動を選んでいくみたいな感じ。

知った結果、その対象となるものに対して、好きになるか嫌いになるかはわからない。不条理な真実に怒りが沸き、それこそ「憎しみ」すらもってしまうかもしれない。だけど「無関心」であることはやめられる。より知ろうとしたり、理解に努めることはできる。私は、愛することを選び続けるようでありたいと思った。

とてもじゃないけど、「愛」という壮大なテーマについて、私が今ここで語ることはとうていできない。「愛はどこからやってくるのでしょう、自分の胸に問いかけた(hitomi / LOVE 2000)」としても、それは人生かけて学ぶテーマの1つであって、これから先もこの問いは続くだろう。


書くことで、愛する世界に生きる

マラソンは、ゴールまで何が起こるかわからない。それでも、本番前にコースの試走ができるからいいよなと思った。「ひよっこライター」がぶっつけ本番で走り出した道のりは、この先どんな難コースが待ち受けているのかわからないから。でも、走り続けるならば、そこには豊かな時間が満ちているに違いない。

書くことで、愛する世界を生きてみよう。
そう思った。筆ペンは、買った。

「さぁ、だんご状態から抜け出しましたよ。恵崎さんはね……」
あの聞き心地のよいトーンとテンポ、優しい語り口で、増田明美さんの解説がエールとともに聞こえてくるような気がしている。


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書いてみた感想

  • これはおそらく、第13稿目くらい。途中、なかなか執筆が進まず、言葉に書き表すことができなくて苦しかった。

  • 下書きのままお蔵入りしそうになったが、「書けない」から逃げちゃダメだ!と、向き合って脳みそにいっぱい汗かいた〜煙でた〜

  • 書けなかった理由としては、「視座」と「視点」のアイディアはすぐ浮かんで定ったものの、内容(=発見や気づき)が薄っぺらいからだなと思った。

もっと詳しく書きたいところですが、長くなってしまいそうなので、続きはまた明日書きたいと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
それでは、またあした!


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