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初note!経歴やptsdについて…

9月になりました。
今月で52歳になるメグっぺです。

嘘でしょ?ってくらい時が早く進んでいて、気が付いたら50歳過ぎてました🤣

私が洋裁教室を始めたのが40歳になってからです。
遅咲き?なのかなぁ〜?
この時、下の子が小学校に入学するから〜
私も新しい事を始めようと思っていました。

元々小さな頃からお裁縫が大好きで❤️
中学を卒業し、洋裁学校に入りました。

そこで洋裁免許の中級を取得しています。
ドレスメーキングを一通り学べたわけです。

修了後、更に技術を向上させようと思い文化式の洋裁を学べる学校へ入ろうと、入学金の為に1年バイトしました…

が、、、何故かバイト先の建築会社で建物が建って行く工程に魅了され!
建築デザインの学校に入ってしまったーーーー🤣

その後は、そのまま某ゼネコンに雇われ〜
現場事務所で働く日々!
男性社会!縦社会!
厳しい〜世界だったけれど、学びも多かったです。

この時、24歳だった私には、世間一般で言うところの『彼氏』と言う者が存在していました。

男性の『彼氏』です。

後に、この『彼氏』と結婚して、子供が生まれるのですが…

実は、、、子供が産みたくて、子供が欲しくて、結婚しました。

望みは叶い、私は母になれました。

育児の為に、仕事は辞めました。
仕事に未練は一切なかったです。

偽りの結婚かと言われると、そこはちょっと違くて、
いわゆる性行為が、唯一嫌じゃない相手が旦那さんだった!
そして、人として魅力的だった!
尊敬していたし、愛していました。

これ以上のパートナーは私のような人間の前には
もう一生現れないだろうと…

生まれてきた子は男の子♡
男の子の子育ては、そりゃ〜もう大変でした。

なにが大変って、体弱い!!!
くせに、動きが活発!!!
多動症なのかと思うくらい、ちっともじっとしててくれない!!!
全然〜寝ない!だから私も寝れない!
そして、オネショがなかなか治らない!

ってなお決まりのパターンでの初育児を経験させて頂きました✨

そんなある日の初夏…1歳3ヶ月になった子供を連れて銀行のATMで用事を済ませていました。

もう時期アパートを出て新築の家に引っ越すと言う事もあって、
市役所やら不動産屋さんやら銀行やら〜小さな子供を連れ、忙しく動いていたってわけなのです。

銀行の窓口は時間外にて閉まっており、
ATMにお金を入金したり通帳に記帳したりしていました。

歩き始めたばかりで、歩く事が楽しい時期だった息子は、
自動ドアが開いたりしまったりするのを楽しそうに見たり、試したり!

危ないからと、自分の方に引き戻しに行ったり、バタバタとしていると、男性が入ってきました。

隣の機械の前に立ち、鞄をゴソゴソさせているだけで、機械を操作していない様子。。。
「カードとか通帳を忘れちゃったのかなぁ〜?」
なんて思いながら記帳が終わるのを待つ私&息子。。。

手を振り払って、またしても自動ドアの方へ行ってしまう息子!
連れ戻そうと思った瞬間、隣の機械の前に立っていた男性(くたびれた格好のおじさん)が鞄の中から包丁を出してきてニヤリと笑いかけてくるじゃ〜ありませんか?!

そして、お決まりのセリフ…
『金を出せ!』
ってヘラヘラ〜っと笑いながら言った。

なんかオドオドした様子。

きっと初めてなんだろうなぁ〜
めっちゃお金に困ってるから仕方なくやってるんだろうなぁ〜

なんて冷静な事を感じていた時、、、、
自動ドアが開いて、女性が1人入ってきた。
その女性に着いて歩く息子?

驚いた様子で男性は出ていった。

息子を引き寄せ、へなへな〜っとヘタリ込む私。。。
女性が用を済ませ出て行ってから、ATMに備え付けてある受話器で通報!

監視カメラのビデオは見せてもらえなかった。
きっと、そーゆー決まりなんだろう。

警察が来て、私も息子も警察署に連れて行かれたのだが、この時パトカーに乗れた息子は大はしゃぎだった。

調書を取るのに何時間もかかって、少ない記憶を辿りながら似顔絵の作成をしたり。。。

夜になってしまい、食事をだしてもらったり。
やっと終わったので、パトカーで送ってもらう事に…

現場の銀行の前で下ろしてもらって置いて来たチャリで帰ろうと思ってたけど、現場検証中だし、犯人は捕まっていないから〜という事で家まで送ってもらいました。

報道しますか?って刑事さんに聞かれたけど、しません。って答えた。
何も取られてないしね〜

翌日、銀行の職員さん(きっと偉い人達)が家に来て謝罪???お菓子とか色々持って来た。

銀行の人のせいじゃないのに大変ですね〜
くらいの気持ちだったのが…

日を追うごとに、恐怖心みたいな?ものがちょっとづつあらわれ、私は少しづつ外に出る事が不安になって行く。。。

でも、引っ越したことで回復❤️‍🩹

自分の命だけではなく、子供の命も守らなければならない。。。

あの時、女性が後から入ってこなかったら?私達、、、どうなってただろう???

そのプレッシャーに負けそうになりながら、、、新生活は始まった。

新しい家での生活に慣れ始めた頃、家族でインフルエンザにかかる。

息子が重症で、10日間も42度の熱。
飲まず食わずで小さな体で戦っていた。

この子、大丈夫?このまま生きられる?
後遺症とか残らない?

不安MAXな状態に追い討ちをかけるように痙攣を起こす息子😱

回復した夫はサッサと仕事に出かけ、残された母子は熱と戦い続ける。

当時27歳だった私は、インフルエンザ治療薬タミフルの服用で異常行動を起こすと言う経験をしている。

いてもたってもいられなくなって、車を暴走させジャス◯の屋上に行き、車中で暴れた。
屋上から飛び降りてもイイかもしれない。

思いとどまって、店内で毛布を2枚購入し、薬局へ行き、この症状をなんとかして欲しいと訴えた。

鎮静剤なる物を売ってもらい、暴走しながら帰宅。
しかも家の塀に思いっきり追突させながらバックして車を停めた。

鎮静剤なる物を飲み、新しい毛布にくるまって寝てみるも、体を動かさずにはいられない衝動が治らない。

数時間後、息が出来なくなり、早めに帰宅した旦那に病院へ連れて行ってもらった。

副作用で頻脈発作が起こったとの事だった。。。
衰弱もあるとの事で、解熱剤と栄養剤の点滴を受けて帰宅。

息子は11日目から熱が下がり始めた。
私も通常とは行かないものの、インフルからは脱した!

これからは平和だー!!!

そう思っていた矢先…私は妊娠していたと判明!
しかも胞状奇胎だと〜?!?!

手術後に運ばれた部屋が奇しくも息子を産んだ時の部屋…悔しくて泣く事をあまり経験した事のない私が、病室の天井を見ながら号泣した。

1年で1番寒い2月の事だった。


退院してから…体調が悪い事も多く、母や妹が気晴らしに外に出ようと気を遣ってくれた。

出かけると必ず襲ってくる恐怖心。。。

あの時と同じだ!!!

そう思った瞬間!フラッシュバックが起こった。

過呼吸発作を起こし、救急車で運ばれた。
診断は「PTSD」「パニック障害」「鉄欠乏性貧血」「起立性低血圧症」「低血糖症」
156cm、39キロしかなかった。
(お陰様で今は65キロあります🤣)

ようやくっ最近は銀行強盗にあった事を話す事が出来る様になりました。

けれど、外出時の移動はもっぱら自分で運転する車のみ!
バス、電車、飛行機、船も乗れません。
発作起きます😓

車も人の運転で長距離はダメです。
交通量の多い国道や高速道路も自分の運転でも人の運転でもダメ!

克服しようと試みるも…上手く行かない状態です。

しかし、別に乗れなくても困らないので普通に生活できています。

太ることへの憧れが強く、今では立派なおデブちゃんになれました♡

諦めていた2人目も病気から5年後に授かり、
子育てをドップリ楽しんだ後に!
好きな洋裁で働く事を決め、行動に移したのが40歳の時。。。

以上が只今の人生史でございます。。。

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