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トキとロウソクと、ホット

 

あったかい。
暑いというわけではなく、温度を感じる。

温度がない。
冷たいというわけではなく、何も感じられない。

 

温度は、時間とともに冷めていく。
というよりも、自分軸の経過で冷めていく、と言う方が合っているのかもしれない。
また蓋をあけたら、いつでもあったかい。あの時の感覚と、その時の感覚と、温度と共に感じることができる。

あの時、温度がなかったものも
自分軸の経過の中で、時が経てば、あったかく感じられるのかもしれない。
 
けれど今はまだ、有るものが嘘をついているように、本当に何も感じられない。
時が経てば、あったかく感じられるなんてことも、きっとないと思う。
ただ、その有った事実だけが存在しているだけ。

 

二週間で一度に体感したようだった。
こんなにも違うものなんだ、と、ある意味、不思議と俯瞰してみていた。
そのドライさは驚くほど恐ろしく、自分の中のどこかが、ふぅっと吹っ切れていた。

 

その言葉や、あの言葉も
自分にとっては、氷水の中で感じる釘のようで。
一度にくるものではなく、ジリジリとくる。
特に、自分を自分で分かるようになってから。勝手にそうなっていったのかもしれない。

このロウソクも、あの言葉も
今の自分に相応しいように、誰かに取って使われ、渡されていく。
チーズケーキが一番好き。前に言ったきり、ただそれだけで、やってくる。
望んだら必ずくるとは限らないけど、望まないところにはこないようになっている。ただ、真逆の場合は別例で、本心で望まなくても必ずやってくる。
このロウソクも出番はないだろうに、やってきた。
 
取られもせず、使われなかったらなかったで、時と共に流れていく。
あの時に温度がなかったものより、もっと遠くにすーっと消えていく。

 

前は信じていた言葉の力。
それさえも、信じる信じないなんて、どの辺をみれば分かるのか。
 
もしかしたら、安定しない球体に「ここが底辺だ」と言っているようなものなのかもしれない。
どこかに置けたとしても、どの道、緩やかだろうがなかろうが、坂道であることは確かなのに。
 
もしかしたら、絶え間なく揺れ動いているロウソクの火を「これは止まっている」と言っているようなものかもしれない。
自分軸で止まっている自分を他所に、刻々と絶え間なく流動してるというのに。

 

ホットを用意して、半年ぶりの水筒に注ぐ。
日常はすぐやってくる。あれは幻だ、と、当たり前のように浸らせてはくれない。
ボトルの音に特別感が沸きながら、鍵をしめて、水たまりに踏み込んだいつものバスに乗りこんだ。
時と共に身は流れていくけど、心はあの時の感情にまた揺れ動く。

じゃあ、なにを望んでいるのか、どんな言葉が相応しいのか。
どうすれば良いのか、分かっているようで分からない。
私なら、きっと、私へはなにもしてあげられない。
くみ取れるような器ではないな、と、何のために増えたのか分からない手の相をゆらゆらと眺めて
また日常に降り立つ。

 

今書いているこの手で
何もできずに鍵をしめて出てきた。
くみ取るどころか、もしかしたら、素敵なものでさえ、腐らせてしまうかもしれない。
本当、勝手。

何もないはずなのに、何かにとらわれていて
ありがたいことなのか、とらわれていることなのか。
世間では普通のことで、ある人にとったらとてもありがたいことで
それも充分承知はしているのだけれど、自分にとってはどっちでもあることは、もう避けられなくなっている。

 

氷水でジリジリと刺され、やがて麻痺してきたら
また、この手で
少しは正常に温度を感じられるようになるのかな。

 

ホットはいつでもあったかい。

 

 

 

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