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お世辞とか、八方美人とかじゃない褒める理由

「人をよく褒めるよね」と言われることがある。

「人のいいところをよく見ているよね」
「嬉しいことを言ってくれるよね」

しかし、この人(私)は調子良く誰にでも言っているのだろうと思われてしまったり、お世辞なんじゃないかと訝しむ人もたまにいる。
褒められること自体好きではない人もいるし
褒めるという行為は、厳密に言えば上から目線でもあると思うので、褒められると不愉快になる人もいるかもしれない。

褒めるなんて、エラソーにするつもりなど少しもないのだけれど
いいなと思うと、伝えたくなる。
もうこれはイッツ・オートマティックである。

先日「どうして人をよく褒めるの」と言われ
理由を初めて考えてみた。

楽しい瞬間を見落とさずに救い出したいからなんじゃないか
そう思った。
いいことばかりではなく、悲しさ、寂しさ、虚しさに霞んで見える私の世界の中で。

子供の頃、私はヤングケアラーだった。
泣きたくなる瞬間がいくつもあった。あまり泣かなかったが。
灰色の街で、悲しみに首まで静かに浸かって生きてきたようなかんじがする。

灰色の街では、嬉しいことや、楽しいことが宝物のように光る。
遠くに落ちていても、すぐに見つけてしまう。
そっと駆け寄り、それを掬い上げる。
赤やピンクやオレンジ色に光るそれを見て、心に灯がともる。

人といて、「素敵だな」「いいじゃんそういうの」と思う時
それが自然と言葉になって口から出る。
人といて、悪意など存在せず和やかに笑っている瞬間
そんなものを、自分はわりと切実に求めているのだと気づいた。
それのかけがえのなさを思うと、つい伝えたくなってしまうのだろう。

八方美人だと思われてもいい。
何か裏があるの?と思われてもかまわない。

それいいね、うん、いいね、
いいでしょ、うんうんいいよね。

と笑い合える罪なき瞬間。
かけがえのない、涙の出るような、ひとときでも闇を忘れるような。
そんな瞬間は多ければ多いほどいい。

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