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人が命を賭けて言語を守った事件

こんにちは。芽 -MEGUMU- の西村奏嵐です。今日(2月21日)は、何の日か知っていますか?今朝、Twitterで紹介したように今日は「国際母語デー」です。

1999年に世界中の言語を守ろうとユネスコ(国際連合教育科学文化機関)
が制定しました。

この記念日は、1951年にバングラデシュの学生が、自分達の母語を守ろうとデモを行い、政府によって射殺された事件に由来します。そこで今日は、この事件について紹介します。

イギリスがインドから撤退する1947年、それまでイギリスの植民地だった地域は、宗教によりインドとパキスタンに分けられました。イスラム教を国家の中心とするパキスタンは、西パキスタンと東パキスタン(現バングラデシュ)という地理的にも言語的にも離れた地域で構成されることになりました。

当時、人口は東パキスタンの方が多かったのですが、政府の中枢は西パキスタンにおかれました。東パキスタンの人々の多くは、ベンガル語を母語とし、西パキスタンの人々は、パンジャーブ語、パシュトー語、シンド語などが話されました。しかし、政府の中枢では、インド・イスラム王朝の中心地であるデリーで使われていたウルドゥー語を使っていました。

そこでパキスタン政府は、ウルドゥー語を全パキスタンの唯一の国語として掲げ、メディアや学校などでウルドゥー語を用いさせようとしました。これに反発したのが、ダッカ大学の学生たちです。1952年2月21日、彼らは抗議活動を宣言しました。これに対し、パキスタン政府は、彼らの集会は、反政府行動であるとし、射殺を命じました。同日、集会を開いていた学生たちに対し、警官が発砲し、彼らは射殺されました。

この事件は、人が、自分の命よりも言語を選び、命を賭けて闘った初めての事件でした。

その後、ショヒド・ミナール(言語に殉じた若者たちの碑)が建立されました。その半世紀後の1999年にユネスコが「国際言語デー」を制定しました。

※シュビド・ナールのレプリカは、世界中に建てられており、日本にも、東京・池袋駅近くの公園に建てられています。

この事件を知って

現代社会では、英語が世界共通語としての圧倒的な力がある一方で、消滅する危機に瀕している言語が世界中にたくさんあります。そんななかでこの記念日は、その地の歴史や人々の感情などが込められている言語を尊重し、後世に残していくためにも非常に大切なものだと思います。今回は、紹介できませんが、私たちの母語である「日本語」も非常に面白い歴史を経て現代に伝わっています。ぜひ、気になる方は、調べてみてください!

ライター:西村奏嵐

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