見出し画像

なぜ、子どもの話を100%聞かなければならないのか?

【こどもは100%親に(特に母親に)認めてほしいのだ】

子どもの頃、うちの家は商売をしていた。しかも子どもは女子ばかり5人、そして全員年子(小学校の時は1年から6年のクラスに姉や妹が全員いた)忙しい母、仕事より趣味に忙しい父、そんな家庭環境だったから、母にとって「子ども一人一人に向き合う時間」などあるはずもなく、学校に持っていくお弁当を姉が作ってくれたこともありました。

【親も先生も困っているけど、一番困っているのは子どもかも?】

多動症の子どもが増えているらしい。小学校入学に際して、「オムツが取れた状態でお願いします」といったアナウンスが学校からあったという話を聞いて驚愕した。学校の先生が鬱になっていたり、学校の先生同士のいじめがあったり、先生という職業が事務仕事の多さで子供と向き合う時間が取れないといった、大変なことになっているのも要因らしい。モンスターペアレントにしても、親がどうとか、先生がどうとか、社会がどうとか、いう前に「こどもたちはどうなんだろう?」と考えてほしいと思うのです。子どもたちはこんな社会で「人としてのあり方」を体験を通して学んでいくのかと思うと、「ヤバい」と感じているのは私だけではないはず。

【あなたは将来どんなことで社会の役に立ちたいの?】

そういう意味では、アメリカは「早期起業家教育」が行き届いているのかも?と感じています。これはある本でよんだのですが、アメリカの家庭教育の軸となっている考え方で、親は常に子どもに対してこんなことを言うらしい「あなたは将来どんなことで社会の役に立ちたいの?」と。

なるほど、日本ではテストが何点だったとか、誰それちゃんのほうが成績がいいとか、スポーツができるとかに親が必死になる教育システムなのではないか?学校の先生方が大変なのもその辺りに原因があるのではないか?と感じています。「子どもを見ずに教育委員会の方を見ざるを得ない」と、小学校の先生を辞めた方がおっしゃっていました。

未来のビジョンを決めてから具体的にやることを決めるのはゼロイチ事業では常識となっていますが、日常生活の中では、特に我が子のこととなると目先の枝葉(枝葉末節)となりがちです。そして実はそのことがどれだけ子ども達の芽を摘んでしまっているのか・・・・

【母親が子どもに期待するわけ】

母親になるということは、自分の人生に子どもの人生を追加して、伴走するということだと思うのです。そして、子どもがいるということは常にその子の未来を考える時間が増えるということなのです。母親が我が子の未来を考えながら、伴走するということは、「母親が考えている理想の未来」なのだということを最初にわかっておく必要があります。

テクノロジーが劇的に進化している現代社会では、今、母親自身が見ている、体験している世界と、我が子が10年後20年後に体験する世界は全くの別物になっていることを最初に理解しておく必要があります。ちょっと思い出していただきたいのですが、Facebookが世の中に出てきてまだ10年ちょっとしか経っていないのですが、SNSは今、既にインフラ的存在になっています。先日Facebookが世界的にバグったことがありました。その時に私自身が体験したのはFacebookというSNSが使えなくなったということだけではなく、同時にFacebookアカウントで入っていた他のツールも同時にバグがでたような印象に感じるほど、私自身はFacebookに依存していたのだと気が付きました。

例えば、5年前奄美にUターンで戻ってくることの決定事項の一つが「南の離島であってもAmazon商品が送料無料で受け取れる」ということでした。それ以外にも、都会と同じようにWi-Fiが使えることだったり、無料でできる会議システムzoomがあったり。この2年間で「コロナ」によるパンデミックに遭遇したことで、人々は強制的に「場所を選ばない働き方を選択できる体験」をさせられたのではないでしょうか?オンラインでのコミュニケーションは常識となりつつあるのです。これはコロナが落ち着いてからもきっと変わることなく、「便利なこと」として使い続けられるでしょう。あれほどできなかった「働き方改革」がコロナにより、変えることができたのです。これからの10年は今までの10年の数倍の勢いでテクノロジーにより、全てが変わっていくのです。子どもの未来はわからないのです。


物理的なことは今まで書いたようなことですが、ではメンタル的なことはどうでしょうか?母親は自分が乳児期、幼児期、のことはあまり覚えていないでしょうから乳児幼児の子育ては当然手探りになる。そして子育てに関して、わからないことは本やネットで調べる、もしくは自分の親がやってくれたことを思い出しつつ、良かれと思ったことを手探りで再現するぐらいなのではないでしょうか?親になることができたとしても親になるためのレッスンはほとんどの方が受けていないのです。そのように考えると、場所を選ばない働き方の中で大きな地位を占めるのは「どのようなコミュニティの中で子育てをするのか?」ここは新米である母親にとって物凄く重要なことだと思うのです。

【日本人の自己肯定感が低い理由】

自己肯定感とは、「自分の存在には価値がある」「自分自身に満足できている」と自分の価値や存在意義を肯定できる、自分自身を認め尊重できる感覚のことです。自分が他人からどう評価されているかではなく、自分自身が現状の自分に満足できているかどうかを基準に考えることで、自己肯定感の高さは決まります。

自己肯定感が低い人は心から自分を愛することができず、良くない部分ばかりが目に付いてしまい、なかなか自分を認めてあげることができません。周囲から見ると十分に成果を上げていて評価されていても、本人にとっては「自分はまだまだ能力が不足している」と思い込んでしまっている場合もあります。

自己肯定感が高い低いは子どもの頃の愛着形成に影響を受けるという事が最近、医学的にもかなり注目されている部分だと言われています。そして、子どもの自己肯定感を高めるためにやるといいことは以下の3つの柱を軸に子どもに関わり続けることなのだそう。

!)愛着の形成の基本の基本に立ち返り、子供たちの行動に目を向け、適切な反応を返すこと。
2)今のあなたを愛していると、言葉でも、行動でも伝えること。
3)その上で、彼らが成長する具体的な手伝いをすること。
特に生まれてから2歳になるまではスキンシップや声がけを十分にしてあげること。そして12歳まではポジティブな声がけ(フィードバック)を日常的に行うことが大事なのだそう。もう既に親になってしまっている我が家の息子、娘にはこのことをもっと早く知っていれば・・・と、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

【日本人の自己肯定感が低い理由】

日本人は自己肯定感が低いとよく言われます。謙虚さを美徳とする国民であることを考えると、「私なんて(うちの子なんて)まだまだです」という言葉や態度は美しく見えるのかもしれません。でも、ほとんどの方は謙虚と卑屈の違いに気付いていない。謙虚と卑屈の違いに関してこんな文章をみつけました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何かをすることよりも、何かをしないことを続ける方が遥かに難しい。
「しないこと」を続けることができる人は、他者の承認を必要としない真性の謙虚さを持っている人なんです。
承認欲求が由来の見せかけだけの謙虚さではなく、他者の承認を必要としない本物の謙虚さが「しないこと」に出るんですよ。

「謙虚な人には自信がある」とよく言われるのですが、実は自信なんてないんです。ただ自信を必要としていないだけなんです。
自信を原動力にしようとしていないだけ、好奇心を原動力に動いているだけ。元々自信なんかで動いていないから、身軽に動けるだけなんです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「他者の承認を必要としない謙虚さ」これこそが日本人の「美しさ、潔さ」なのかもしれない。子どもの頃に愛着形成がしっかりと行われていた子どもは自分の意思で立つことができるのでしょうね。今、母親に求められているのは日常的に子どもが好奇心をベースに身軽に行動できるために伴走してあげる事なのではないでしょうか?



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?