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「母」という言葉からどんなことを連想しますか?

出版に向けてタイトルを考えてみました。思考を言語化する難しさを感じています。

「言葉は言霊、生きて働く」という言葉・・・
これは昔仏教に興味があって、京都のお寺や、滋賀の比叡山や、奈良、和歌山などに出向いていた頃に聞いた言葉です。
人間が動物と大きく違うのは、自分の思考を言語化して、他者とコミュニケーションをし、「共に創り上げていく能力がある」ということ。

動物が一緒に何かを「協働」している姿はあまりみたことがない。逆に言えば、この「協働」こそが、人間を霊長類のトップに押し上げた要因でもあるのかもしれない。
そんな人間(ホモサピエンス)は自然界で生き延びるために、150人ぐらいのコミュニティを作り、コミュニティの中で子どもを産み育てるシステムをつくったのだそう。


思考を言語化することで、ヒトは周りを巻き込むことができ、何かを変えることができたのです。

今の日本が「子育て」にさまざまな課題があるのは、
「言葉」もっと言えば「日本語」そのものが時代の変化の中で「認識にずれを生じさせている」のではないか?ということです。

美しい日本語

日本語は世界中で一番難しいと言われています。日本語を訳そうとしても該当する言語がない国も多いのだとか、例えば英語の表現だと「あなた」は「you」でいいのですが、日本語では「あなた」「君」「おまえ」「貴殿」などなど、目上の人とか相手によって言語が変わるということも難しいと言われる所以かもしれません。
日本語は美しいと言われます、この「美しい」と言う言語1つとっても、自然界に使う言葉だったのが、人にも使われるようになり、外見だけではなく、内面も伴う人のことを「美しい」と表現したりしています。

そういう趣を持っている「日本語」という角度から考えると、
「母」という言葉には日本文化の様々な要因が入っている気がするのです。
その代表格が「良妻賢母」という言葉。これは明治時代の女性たちに対して「理想の母親・妻像」を表した言葉なのだそう。
「結婚したら専業主婦となり、夫に支え、家事をそつなくこなし、子どもたちを育てることに専念する」
そして、これは個人的な意見なのですが、男性にとって「母」という表現は自分自身の「母」と比較している気がしてならないのです。
つまり、「マザコン?」的なニュアンスがある。

「母」は重い!「ママ」がいいよね

私自身も2人の男女の子育てをしている中で、女の子にはある意味「共感や理解」があったけど、男の子には「未知の生き物」という視点で「可愛さと興味深さ」が相まっていたのです。ということは男性にとっても「母」という存在は良くも悪くも未知なる存在「ある意味憧れ?」があるのかも知れません。
そんな男性(夫)の理想である母親像になろう!と思った時から夫婦間の認識の違いによるズレから、不幸が始まる気がします。

「言葉が言霊となり、生きて働く」のであれば、親になった女性が自分自身を言語化するなら、「母」ではなく「ママ」でいい!と感じています。

続く


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