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"めぐみ ゆう"を知って欲しい

冬は朝になっても暗い。起床してすぐ、パソコンのLEDを頼りに、覚束ない手付きでキーボードを叩く。これが僕の最近の日課だ。

別に高尚な心がけってわけでもないが、朝の活動は妙にはかどる。もしかしたら寝起きで「きつい、つらい、しんどい」と思う余裕すらないのかもしれない。とかく僕はこの時間でnoteを書いている。

僕は昨日までの3日で、計8つの記事を投稿した。これはなかなかのペースだろう。特段、気を張った記事ではないが、僕なりのメッセージを伝えられていると思う。

たとえば『どうして努力は殺されたのか?』という記事では、マインドセットという概念を説明するために、実際の経験談を用意した。詳細は僕のプロフィールから飛んで欲しい。

1つ1つの記事には、メッセージが込められていて、もちろんこの記事にもある。ただし実際にどう読み解くかは読者の裁量に任せている。というのも僕は、書き物を含め作品の解釈を統一するという考えが好かないのだ。読者のなかにも同様に考えを示す人もいるだろう。

解釈は自由だから、読むかどうかも自由。そこに作者の力量が確かめられる。そして自由だからこそ人は成長しようとする。どうやったら読んでもらえるか、伝えたいように伝えられるか。そこに作品を生み出す面白さがある。

ところで僕は、こんな日記のような内容でも記事を書くことにしている。僕のようなアマチュアは読者になれても、読者のような気持ちにはなれないのである。だから何が当たるかわからない。僕自身、これはダメだろって思いながら書いていた作品が、評価されて驚いた経験がある。

またnoteの性質上、いやSNSの性質と言ったらいいか、情報の流れるスピードが早すぎて存在すら認知されない恐れがある。そういった理由で必ず更新しようと思った次第である。

構成から執筆まで30分にも満たないこの記事を世に送り出す怖さを抱えながら、やはり投稿しようと思う。それは、めぐみ ゆうという人間が存在していることを知って欲しいからだ。

僕は認知されたいのだ。そして良ければ読者のみなさんに、スキやフォローをしていただきたいのだ。下世話と言われようと、人間の根源的な欲求である承認を、僕は願い続けるだろいう。

#エッセイ #コラム

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