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ただの経済学部出身者が、プータローを経てデザイナーになる話(経済学部編)

こんにちは、「描ける×書けるデザイナー」のうっちーです。
この記事は、
美術系の学校出てないけどデザイナーになりたい
・転職でデザイナー目指すけど間に合う?
という方や、
業界が違えども、似たような状況で「自分には無理なんじゃなかろうか」と自信を持てない方へ、
こんなに何も考えてなかった人間もなんとかなるぞ、ということをお伝えできればと、書いています。

※前回は、進路も何も考えてなかった10代の話を書きました

京都と、美容と、洋服に垣間見たクリエイティブ

大学4年間の間で、一気にクリエイティブに触れました。
・京都にいたこと
・美容業界に関われたこと
・服や古着を狂ったように買ったこと
ざっくりはこんなポイントで刺激を受けてきました。
山深い田舎から出てきたもんだから、何でもキラキラ見えちゃって大変でした。
洋服は本当狂ったように買ったし、友達とも死ぬほど遊んでいました。

また、京都という地は、雑貨系作家と個性的なカフェが多い点で、私の興味にもフィットしたのだと思います。
きっと東京でも、地方でも、自分と相性の良い地域や人が必ずあるんじゃないかと思います。

おしゃれな人たちの泥臭い姿

ある日、大学の近所を猫背でぼやっと歩いていたら、おっしゃれーなお姉さんに声を掛けられたのです。カットモデルのお誘いでした。

最初は浮ついて興味だけではじめたことですが、結果的に私の学生生活においては最もクリエイティブの高い世界に関われた機会だったと思います。

そして、美容師さんと仲良くなるにつれて、華やかな業界のリアルも見るようになります。反省会の話題、終電までずっと練習し続ける姿とか、とにかく営業中の華やかさとは真逆な地味で地道な時間。

それでも、皆さんの目が本当に真剣で、カットのデザインを悩んでいる姿も、とにかく「良いものを作りたい!」という意気込みが感じられました。

クリエイティブなことで悩み向き合う姿って、本当にかっこよかった。

自然と、泥臭く悩みながらデザインを考えてみる日々を送るっていいなぁと憧れるようになり、目的を失っている大学生の自分にとっては、見ているだけでも刺激されて幸せになれるのでした。

それと、これとは別の話。

おしゃれな方々と触れ合う傍らで、自分は経済がマクロだとかミクロだとか粛々と学校に通って、気がつけば就職活動の時期になっていました。

採用ページで「デザイナー職」という表記に目が行くものの、
「あれは憧れ。就職は違う。」
という打ち消しを同時にしていました。
”専門職”と書かれた採用欄を見ながら、これまで関わったクリエイティブな世界と就職は別なんだと無意識の判断が働いていたのでした。

経済学部としてお気楽に過ごしてきた私には、圧倒的に経験に自信がなかったように思います。
何か特別なスキルが身についているわけでもなく、頑張って作り上げた実績もなく、平凡な学生の状態でしたから。

どこでもひっかかればいいかな〜くらいの邪な気持ちで業界を絞らずエントリーしてみたり、ちょっと興味ある業界も大した努力せずに応募してみたり。

今思えば、周りに遅れをとりたくないがゆえ、自分と向き合う時間をきちんと取らずに、目に見えて”行動している感”あるエントリーを早く始めたかったのだと思います。

後々関わることとなるweb業界も当時はベンチャー企業ばかり。「ベンチャー」というだけで、「会社の将来が見えない」とか、「なんか肉食系でしんどそう」とか、偏見とできない理由を並べ立てていました
(本当に失礼な話やでしかし。)

「なんか…ちょっと、違うなぁ。」なんて、そんなことを頭のどこかに起きながら就職活動を続けていたので、そりゃあ人事の方はひと目で見抜くでしょうね。
いわゆる”お祈りメール”とか履歴書返送がことごとく届いて、惨敗しました。

表面しか見れない自分を恥じる

やがて都会の企業の就活に疲れた頃、いや、それでも何目線やねんという話なんですが、
「ちょっと地元に帰ってもいいかもな〜」と、地元のアパレル企業を受けてみました。
洋服は好きだった一方で、自暴自棄にもなっていて、もうどっちでもいいわー、くらいに受けたと思います。
(大阪や神戸の行きたいアパレル企業は既に落ちていたし 笑)

そこで聞いた人事の方の話が・・・何の話だったかな・・・
(結局覚えてないのが自分らしいところなんですが、)とにかく「人のために働くということ」の話だったと思います。
心がぐぁぁあああっと熱くなったことを覚えています。
(でも内容忘れたっていう)

全国から憧れを集める京都で暮らせて、勘違いをしていた私。田舎コンプレックスも相まって、根拠なく田舎にある企業というだけで、地味でだっせぇと、本当最悪にも、そう感じていました。
だけど、この人事の方の話を聞いて、急に表面的な自分が恥ずかしくなったのです。

どこの企業にも受からないやつが何を選り好みしてんだと思ったし、今まで企業に何を伝えてきたんだ私は、とも思った。
なんだか自分のダメさ具合がここにきて後悔&悔しさの塊になった瞬間だったのです。
この企業だけは、無理せず感じるままの想いでぶつかろうと、そんな気持ちで面接していたら、後日あっけなく就職が決まりました。

次の年は京都の桜を見ることなく、長野の実家で、販売職の道を進むこととなるのでした。

同時にそれは、自分の中にある「デザイナー」や「クリエイティブ」といった仕事に頂いていた憧れを諦めた時でもあったのです。



さて、またしてもデザイン「デ」の字が出てきませんでした。
本当もったいぶるよねぇ〜
次回は、「そうだ、京都へ戻ろう」編です。
(今度こそ、デザイナーの道に進むよ!)


※アイキャッチの写真はam_500さんの写真をお借りしました。
京都駅のデザインは本当にかっこいい。建築家の原広司さんと同じ高校だと知った時に鳥肌立ったのを今でも覚えています。ありがとうございます。

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