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f分の1の揺らぎと伝統文化の話

「f分の1の揺らぎ」という言葉はどれくらいポピュラーなのだろう。
私が初めて「f分の1の揺らぎ」について知ったのは、大学で農学部にいたときに聴いた「森林浴」の講義だった。

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緑の中からこぼれる木漏れ日、
小川のせせらぎの音、小鳥のさえずり…

私の簡素な記憶だと、「あぁ、なんとなく気持ちいいなぁ」と多くの人が感じるものにおいて、多くが同じ周波数・振幅数・比率(的なもの)となっていて、その一定の比率のことを「f分の1の揺らぎ」と呼んでいますというものだった。だからこそ、森の中で人は癒され、森林浴というリラクゼーションが成り立つという文脈だ。

大学を卒業して、それからしばらくの間、「f分の1の揺らぎ」という言葉は耳にしなかったのだが、不意に出逢ったのはなんと、伝統産業に携わる会社に転職をしてからだった。「f分の1の揺らぎ」が日本の伝統産業品にも見られるというのだ。

それは、和ろうそくのゆらめきや
心地よいと感じる織り目、木目を生かした設えなどに…

下記の記事では、和ろうそくの揺らぎに触れているので、読んでいただけると面白いかもしれない。

伝統産業品の多くが自然の素材から生まれているということもあるだろう。確かに、それらからは一定のリズムを感じるし、「和室にいるとなんだか心地よいなぁ」と思う感覚には「f分の1の揺らぎ」が関係しているのかもしれない。和室に佇んでいて、障子から西日が差し込んで木の陰が揺れたときにはもう、なんて幸せなんだと思ったりするのだが、よく考えれば「f分の1の揺らぎ」の温泉にでも浸かっているようなもので、効果がかけあわされているのだから、そりゃそうだと思ってしまった。

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正直、農学部の講義と日本の伝統文化というものがつながるとは、びっくりした。でも、自然から生まれた無理のない品には、確かに「森の中にいた記憶」がしっかりある。職人さんの手を通った後も、自然からいただいた素材を活かしたものの中にはきっと「f分の1の揺らぎ」が残る。

人の鼓動も「f分の1の揺らぎ」だという。聴いていると心地がいいとされている声は「f分の1の揺らぎ」になっていて、人を惹きつけるということも分かっているらしい。


きっと、人も揺らぎながら生きていて、だからこそ、その人の、丁寧な呼吸とともに作られた大切なものには揺らぎが残るのかもしれない。工房に訪れて職人さんがものづくりをされている様子を拝見したときに、あぁ気持ちがいいと思うことがあったのだが、おそらく職人さんが製作過程で奏でる音、手の微妙な動き、まばたきの仕方なんかも、もしかしたら「f分の1の揺らぎ」なのかもしれない。

私が無性に惹かれる、人が触って丸みを帯びた手すりや経年変化で艶を増した木の光加減なんかにも、もしかしたら理由があるんだろう。

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加工された後にも残る自然素材の呼吸

以前、土壁の職人さんとお話しした際に言っていたことがある。

「気が通るなぁ、気持ちがいいなぁと感じる空間にいるとき、人は細部ではなくそれを大きく占める壁から察知しているが多いんだ。
漆喰や楮をすき込んだ土壁や障子など、自然のものは呼吸している。」と。

ものになった後も、「自然素材は生きている」ということはよく言われているし、頭で分かっていたけれど、この素材の呼吸に意識を向けると、ある空間に身を置いたときに感じる心地よさは、素材が呼吸することで生まれる「自然の鼓動」自体の揺らぎが理由の一つなのかもしれない。更にそこに人間の揺らいだ呼吸が重なり合うことで、自然素材と共に生きている感覚を味わってきたのが日本人ともいえるのではなかろうか。

身の回りにある、自然から生まれた家具や道具たちが「f分の1の揺らぎ」で呼吸しているかもしれないと考えると、世界に奥行きが増すように思った。

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