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第12週 水曜日教育者 香川綾

12人目の教育者は 香川栄養学園の創始者で医学博士であり、日本における栄養学の普及に多大なる功績を残した香川綾さんです。


香川 綾(かがわ あや)さんは、1899年3月28日 に和歌山県東牟婁郡本宮村(現:田辺市)に警察官のお父さん横巻一茂氏とのぶ枝さんの娘として生まれられました。

お母さんの祖父が紀州藩の食膳係を務めていたこともあり、幼い頃から食生活の大切さを教わっていたそうです。

14歳の時にお母さんを肺炎で亡くし、この経験から医師を志すようになられます。


1914年和歌山県師範学校女子部(現:和歌山大学)に入学されます。

卒業後は小学校の教師を務めておられましたが、1921年に上京して東京女子医学専門学校(現:東京女子医科大学)へ入学されます。

1926年東京帝国大学医学部の島薗順次郎氏の元に勤務されます。

1930年、同じ研究室でビタミンの研究などを行なっていた香川昇三氏と結婚されます。

夫昇三氏と綾さんは共にビタミンに関する研究をされました。

その成果として、胚芽米にビタミンB1が多く含まれることを証明されました。

当時はビタミンB1の不足による脚気が慢性的に広まっていたこともあり、胚芽米を普及させてこれを予防することを提唱されました。

同時に、米を縦に回転して精米することにより胚芽を残して精米する方法を発明されました。


また1928年頃より、綾さんは胚芽米の推進とともに「おかずは魚1、豆1、野菜4の割合」にすることを提唱していた。

健康のためには単に栄養を摂取するだけでは不十分で、バランス良く栄養を摂取しなければならない。

このことを一般の人にも判りやすく、かつ実践しやすくするために、香川は食品を4つの群に分けて考えることを提唱されたのです。




1933年、香川栄養学園の前身の家庭食養研究会を夫とともに設立され、1937年に女子栄養学園に改称されます。



1945年7月17日、戦争の疎開先で昇三と死別されます。この時期に栄養学に一生を捧げる決意を固められます。

1949年「本邦食品のビタミンB1と脚気の研究」によって東京大学より医学博士の学位を受けられます。

同年香川栄養学園を設立されます。



学校は発展して、1950年、女子栄養短大創立にいたります。

更に1961年、女子栄養大学を創設し、学長に就任されます。

1950年代、家政学部の一授業内容であるという扱いであった栄養学に対し綾さんは栄養学部の必要性を強く説かれました。

女子栄養大学が栄養学を専門とする初の4年制大学としてスタートした1961年にはその主張は認められなかったが、1965年に東大医学部長から徳島大学学長に就任した児玉桂三氏らと共に再度栄養学部の創設を文部省に働きかけ、認められたそうです。

同時期に、それまであった栄養士の資格の上級資格に相当する「管理栄養士」の創設にも関与し、栄養学の専門家の地位の確立を図られました。

なお、管理栄養士を栄養学部卒業者の資格にしたかったらしいが、その通りにはならなかったそうです。


1962年、藍綬褒章を受賞されます。

1965年、同大学に栄養学部を創設し、管理栄養士資格の創設に貢献されます。

1969年、大学院栄養学研究科修士課程を設置します。


1970年に綾さんは1928年頃から考えていた食品を4つの群に分けて考えることまとめを4群点数法として発表されました。

4群点数法の骨子は次のようなものです。

食品を次の4つの群に分類します。
第1群:乳・乳製品、卵
第2群:魚介類、肉類、大豆・大豆製品
第3群:野菜、芋類、果物
第4群:穀物、砂糖、油脂
食材毎に80kcal=1点の「点数」が公表されています。
一日の食事で摂取した食材の点数の合計が20点になるように食事を整える(性別や職業などによって点数は増減する)。
第1群、第2群、第3群からそれぞれ3点以上を採るようにし、残りを第4群の点数で摂取するようにします。

点数の例としては、次のようになっている。
牛乳:コップ1杯=1.4点
鮭:1/2切れ=1点
ジャガイモ:中1個=1点
みかん:1個=0.3点
ご飯:茶碗1杯=2点
計量カップと計量スプーン



こうして栄養のバランスをとるために4群点数法で食事を定量化する試みは成功しました。

しかし塩分摂取量などに関しては調味料の使用量が大きく影響するため、調味料を定量化して考える必要性が高かったのです。

そこで綾さんはは家庭料理で使われる調味料の量を研究し、15cc、10cc、5ccの3種類のスプーンを用意しておけば家庭内でも調味料の使用量が判りやすいことを発見されました(計量スプーン)。

また同時に、200ccのカップの内側に50cc毎のメモリをつけた計量カップも考案されます。

実際には、明治時代に日本初の料理学校を開設した赤堀峰吉氏が同様のものを既に考案していたとの記録もあるが、香川綾さんは独自に考案したものであり、また、一般家庭に計量スプーン・計量カップが普及することになったのも香川の活動によるものです。

これらの発明により、塩分などの摂取量をコントロールしやすくなったばかりでなく、「味付けの定量化」を図ることが可能となり、雑誌やテレビなどで料理の製法を伝えやすくなりました。

このことは日本人の食文化を多彩にすることに大きく役に立っていると言えます。

1972年、綾さんは勲二等瑞宝章を受章されます。

1984年、エイボン女性大賞受賞されます。

1991年、文部省(現:文部科学省)より文化功労者の顕彰を受けられます。

1997年4月2日午前9時25分、母校東京女子医科大学で98年の生涯を閉じる。


香川綾さんについて以下の本が出ています。

めぐめぐがすごいと思う香川綾さんのこと

1小さいころお母さまをなくされ、お医者さんを目指され、その後生涯日本人の健康について考えられたこと。

2また戦争末期に夫を亡くされてからも、二人でしてきた研究が世に認められるまで、ずっと研究されたこと。

3そして学校を設立されてからも、日本の栄養学のために研究され、ずっと働きかけられたこと。


計量カップなどはフランスから来たと思っていたので、驚きました。

そして香川綾さんがおられたからこそ、日本は現在長寿大国なのだと思います。


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